第二章
私はまったく怖くない。だって、これをするために生まれてきたのだから
15 白い首輪は、罪人の証
消毒液の独特な匂いが充満する白い建物。
病院。
一見明るく清潔なように見えて、その裏に蔓延る陰鬱な空気が彼は嫌いだった。
(はあ、辛気臭いところだな。まあ、オレの職場は辛気臭いを通り越して血生臭いけど……)
あの夏の日から四か月。
ミナトや彼のように毎日というわけではないが、アラシも週に一・二回は『ツナ缶』にやってきていた。しかし、研修医になってから徐々に顔を出す頻度が減り、ついに全く顔を出さなくなって早二ヶ月。
仕事が忙しいのかと思っていたが、実家がアラシの家の近所にあるミナトいわく、家にもほとんど帰って来ていないらしい。
ゆえに、日中時間が取れないミナトやタカラ達に代わってアラシの様子を見に来たのである。
「すみません、アーシファ・サモトラケ女医と面会をしたいのですが」
「どのようなご用件でしょうか」
「……、近くを、通りがかりまして、一緒に昼食でもと」
「申し訳ございませんが、こちらでアポイントを取ることは出来ません」
ですよね、と彼は心の中で受付の女性に相槌を打つが、ここでおめおめと帰るわけにはいかない。
全く持って自分の考慮漏れによる失態だが「こういう権力をかざすようなことは本意ではないが、仕方がない」と誰かに言い訳をしながら、身分を表す士官手帳を差し出した。そこにはもちろん『海洋研究所実験警護執行科所属二等佐官 ハイト・コーズランド』の文字。
「院内の視察も兼ねていまして、何卒お願いできないでしょうか」
* * *
そうして彼が案内されたのは病院ではなく、彼が勤務する海洋研究所だった。
研究所内で、彼はアラシに会ったことはない。
もしかして、アラシも人体実験をされているのか。
そんな不安が頭をよぎるが、海洋研究所の受付に案内された先の室名は「人魚育成二課」。白い扉が開くと、二ヶ月前と何も変わらないアラシの姿がそこにあった。
「よう、待ちくたびれたぜ、アー、"アーシファ"?」
「ハヤトさん!!?」
「たまたま非番だったんでな、最近全然『ツナ缶』に顔出さないから心配していたんだ。とりあえずメシでもいこーぜ、奢るよ」
「本当ですか!? わーい!!」
アラシは、彼が予想していたよりも随分と明るい声で返事をした。
仕事が忙しかっただけで、別に何か起きたわけではなかったのかと安堵するものの、すぐにそれは早計だったことに気付く。
アラシの首には、白い首輪がはめられていた。
白い首輪は、罪人の証。研究対象の証だ。青い光が明滅している。
「お前、その首輪……」
「あ、違いますよ!? ここで勤務する人魚はこの首輪の装着が義務付けられているんです。ハヤトさんは人魚の研究員にあったことないんですか?」
「いや、まあオレが会うのはかなり限定的なやつらだし、いたとしても被験対象だと勘違いしていたのかもしれない」
「ああ、そうですよね。あたしもほとんど会ったことがありません」
とりあえずご飯でも食べましょう、というアラシの提案で向かった先は、アラシの自室だった。
二ヶ月前にこの研究所に配属され、そのままずっと缶詰らしい。
罪人ではないので外出は可能だが、かなり面倒な手続きがあり、さらに研究所勤務のことは他言無用。結局そのまま一度も実家に帰っていないとのことだった。
「しかし、研究所配属だなんてツいてないな。しんどいだろ」
「いえ、自分で志願したことなので」
「え、志願? なんで?」
「会ってみたかったんです。テソロさんに」
「テソロ……。最も"人魚"に近い、水色の髪の人魚か」
——それにほら、ニホンでは"サクラの下には死体が埋まっている"って言うらしいんですよ。まさしくテソロじゃないですか——
翠の眼の青年が、そんなことを言っていたことを思い出す。
「なんで会いたいんだ? テソロの
「テソロさんって……、テソロの正体は、多分、タカラさんだと思うから」
「……は?」
「あたし、店長に"アラシ"って名前を付けてもらった後、図書館で"ハヤト"や"ミナト"の意味も調べたんです。当然、"タカラ"の意味も調べました。タカラの意味は
「いやいや、オレの"ハヤト"だって、本名の"ハイト"に語感が似てるからって理由でつけられただけで、特に深い意味はないぞ? タカラだって、本名はティラとか、そういう感じなんじゃないのか?」
「それだけじゃありません。タカラさんって、たまに治験のアルバイトをしてる日があるって言ってましたよね。アルバイトをするときは、必ず事前に病院で検診を受けるんです。そのカルテを全て調べましたが、タカラさんらしき人物はいないんです」
「本名だって知らないんだ、お前の見落としじゃ——」
「そして、タカラさんがバーを休む日は、必ず"テソロ"のカルテがあるんです。残念ながら顔写真はありませんでしたが、身長と体重はタカラさんと同じであるように見えました」
だから、テソロの正体はタカラなんじゃないかと思い、研究所への配属を自ら志願したらしい。
仮にテソロの正体がタカラだったと言って、だから何だと言うのだ。
彼には、何がアラシをそこまで突き動かしたのか、皆目検討もつかなかった。
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