27 翠の眼の青年 1/3
「うわあ、今日はきれいな月ですね。そう思いませんか、看守さん」
翠の眼の青年、セダムは、まるで部屋に遊びに来た友人を歓迎するようにニカッと笑って彼を出迎えた。
執行室の小さな窓からでも、そのまん丸の月はよく見える。
「お前は、……どうしてそんないつも通りなんだよ」
「そりゃあ、ボクがサイコヤローだからですよ」
死体を流すための水路はゴウゴウと音を立て、潮の匂いと、血のような鉄のような、そんな錆びた匂いが辺りを充満していた。
彼は何度も被検体を処分してきた。しかし、いつもは赤ん坊か、そうでなければ麻酔でぐっすりと眠っているかどちらかで、こうして処分対象と話をすることなど一度もなかった。
忠誠を示すため、彼の意志を持って青年を殺す必要があると彼は理解した。
「顔色が悪いですよ、大丈夫ですか?」
「ああ、心配するな。まだお前ほどはイカれてないつもりだから」
「なんかもう、ハイになっているんですよね。逆に。変な薬でも打たれたかなあ」
彼は、青年がよくわからなかった。
青年と初めてあったとき、青年は自分が研究所に生かされている理由は「シロイヒト」としてその観察眼を買われたから、と言っていた。
しかし、その「シロイヒト」は彼の一等左官への昇進の礎になろうとしている。「シロイヒト」の能力を捨ててでも青年を執行させる理由が、彼には分からなかった。
「……お前、何者なんだ」
「ボクは人間ですよ」
「えっ?」
彼は青年の白い髪をまじまじと見たが、その髪は根元まで真っ白で、ふわふわだ。若白髪とか、そういう次元ではない。髪も眉毛も睫毛も、真っ白だ。
彼の視線に気付くと、青年はにっこりと彼に笑いかける。
「ある日を境に、ボクの髪は真っ白になってしまぃした。だから表のボクは死んだことになり、この研究所で人魚として生きることになった。髪が白くて眼が翠の人間がいたらオカシイでしょう? こんなに若いのにさ。だから間引く。間引きの理屈は翠の眼の人魚と同じです。食い扶持は少なければ少ないほど良いですから」
「で、でも、お前はオレにテソロの実験の任務に就かせたり、面接官として人事に介入したり、それなりの権力を持っていたじゃないか」
「あれはただの結果です。たまたま、ボクにそういう資質があったから、父への恩返しのために従事していただけ。ボクは本当は、人間として死んだ日にこの命も終わるはずだった。そうならなかったのは、ひとえに父の温情に他なりません」
「お前は今からオレに殺されるんだぞ!?」
「今日貴方に殺されなくても、ボクはもうじき病で死ぬ。貴方の銃で、ボクは短い苦しみだけでこの生を終えられるんです。最期に貴方と思う存分お喋りができるサービス付きで。それは幸運なことだ」
青年の翠の瞳、ねこっ毛の柔らかそうな白い髪。ひとの良さそうな笑顔に、誰かが重なる。
「そうそう、ずっと言いたいことがあったんです。いつもオクナと仲良くしてくださってありがとうございます。オクナが楽しく過ごしているようでボクは安心しました。最初は仕事だったけど、今は純粋に貴方の力になりたいと思っているんですよ」
「オク、ナ」
——そうだよ。ボクの名前は、オクナ・トンノロッソ。だから、あの研究所の闇を、結構知っている。それが嫌で家を飛び出して、勘当されて、あんな辺鄙な場所で小さな店を開いたんだ
さまざまなことが彼の頭をよぎる。
初めて彼が翠の眼の青年と会った時、少し垂れ目がちな目は、『ツナ缶』のトオノに似ていると思った。
——構わない。貴官には息子と仲良くしてくれて感謝をしている
——まあまあ、看守さんからはボクが後で詳しく話を聞いておきますから
テソロの部屋の前で、ユラ・トンノロッソと翠の眼の青年に会った時の会話。あの「息子」はトオノのことだと思っていたが、そうではなかった。
青年は、「テソロはまるでソメイヨシノのようだ」と言った。ソメイヨシノは、かつてニホンにあったサクラという花の一種だ。
トオノは、ニホンの言葉の響きが大好きだった。
ピースが、一つずつはまっていく。
「BAR『ツナ缶』でしたっけ、変な名前でしょう? でも、あれは適当につけたわけじゃないんですよ。『トンノ』って、陸に合った伊国で鮪って意味らしくて、その鮪を米国に訳すと、ツナになるらしいですよ。オクナは、自分の名前が嫌いでね、だから小さい頃はボクにも『ツナ』って呼んで! って懇願していました。おかしいですよね、兄弟なんだから名字からつけたあだ名で呼ぶはずがないのに……。ボクは結局最後まで、オクナのことを『オクナ』と呼んでやりました」
青年は何故だか誇らしげに、胸を張ってそう言う。
「貴方の話を聞いていて、ボクは本当に安心したんだ。オクナが楽しくやっているようで。そして貴方がオクナのために何かしたいと思っていることに、ボクはとても嬉しくなった。オクナはとても良い友人を持ったみたいだ」
無機質な椅子に拘束されたまま朗らかに笑う青年に、いったい何の罪があったのか、彼にはわからなかった。
青年は自身をサイコヤローと言った。確かにそうなのかもしれない。この部屋で数え切れないほど"執行"してきた彼も、もうとっくに狂っている。
それでも、青年を裁くことが正当であると、彼はどうにも思えなかった。
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