20 赤い海 2/2

 一つ目の実験は、反響定位エコロケーションテスト。

 クリック音と呼ばれる、カリカリ、ギリギリ、とした小さな音・超音波を放ち、物体からの反響を聴くことで、対象物の位置や形、大きさなどを知る。

 水中での音の速度は、海水面上の速度のおよそ四倍。速すぎて、人間やタイプOの人魚では場所を特定することができない。

 人魚として進化しているタカラと稚魚は百発百中でその音の発生源を当てていた。


 二つ目の実験は、タカラ・稚魚による共鳴試験。

 研究員が持っている装置によれば、二人の超音波は共鳴しているらしい。

 タカラ、稚魚、タカラ、稚魚と交互に鳴き、最後に同時に鳴くと、超音波の数値は一気に跳ね上がった。


『これ、読んでみて。あ、い、う、え、お』

「あ! い! う! え! お!」


 タカラは海の中でしゃべることはできないため、手話でサインをする。

 稚魚はタカラの手話に"声"で答えた。


 先程の「みどり」の一件で分かっていたことだが、それはやはり不思議だった。どういうメカニズムなのかはわからないが、声が聞こえる。

 人間の声というよりは、クジラの声に似ていた。少しくぐもった、間延びした声。


(クジラが発する音は、人間の鼻孔通路にも似た、音唇フォニック・リップスと呼ばれる頭部の構造を空気が通過することで生み出される。空気が狭い通路を通過するにつれ、音唇の薄膜は互いに吸い寄せられ、周囲の組織を振動させる。空気は音唇を通過した後、前庭ぜんてい気嚢きのうに入り、鼻部ひぶ複合体の下部へと循環される。——これが、T型人魚の真骨頂だろう。タカラにはない、あの稚魚に搭載された新しい機能。だからT型人魚は反響定位エコロケーションが巧みで、あんなふうに喋ることだってできるんだ)


 彼は腐っても、元海底研究調査員だ。海の生き物や事情には詳しい。


 面白い。

 彼は内心そう思っていた。——けれど、ここから地獄が始まる。


 三つ目の実験は、超音波強度テスト。


『もっと強く』

「もうむりぃ、つかれた」

『後少しだから、頑張って』

「やだ! もうおわり!」


 タカラとの共鳴を利用し、稚魚の超音波の出力をどんどん上げていく。

 けれど、何度も超音波を放った稚魚は疲れたのか、すっかりご機嫌ナナメになってしまった。

 タカラは何とか稚魚をやる気にさせようと、超音波の波形を変えて遊んでみたが稚魚の機嫌は悪くなる一方。

 研究所は、稚魚の機嫌が良くなるまで待つほど、優しくはなかった。


 彼の向かいの同僚がゆっくりタカラと稚魚に近づくと、手銛てもりを放った。


「イタイッ!!!!」


 ぐわん、と装置の数字が跳ね上がる。

 手銛てもりから放たれた小さな矢は、稚魚の足に刺さっていた。血は出ていない。いや——透明の血は、彼の目では認識できなかった。


(実験って、こんなことまでするのか……!?)


『お願い、痛いのは嫌だよね』

「いたいー! いたい、いたい」

『歌って? そうしたら終わるから』

「いや!!!」


 稚魚は歌わない。

 研究員は、稚魚に刺さった手銛の矢を無理矢理引き抜くと、装置の数字が少し上がった。

 慣れた手つきで、つい先程まで刺さっていた矢を手銛てもりにセットすると、再び稚魚に向けて銛の先を向けた。


『ちょっと待って、まだこの子は子どもだから、今は機嫌が悪いだけ』

『我々の貴重な資源は稚魚の癇癪に費やすほど潤沢ではない』

『あんまり痛めたら、また声が出なくなるよ。だからこの子は"そう"育てたんでしょう』

『少々もったいないが、代わりはまだいる』


 タカラは早口で——素早く手話で、実験の統括をしている研究員そう伝えるが、研究員は首を横に振る。先程の研究員は、手銛を構えた。

 再び矢が放たれると、キィィィンと耳鳴りのような音が彼の鼓膜を、骨を振動させる。


 銛を持った研究員は放った矢を引き抜き、今度は先ほどより一回り大きな矢をセットした。


『やめてってば!!! ——ッ!』


 一回り大きな矢は、稚魚を庇ったタカラの太腿に突き刺さった。

 彼女の足からも、血は出ない。


 彼はようやく、タカラがなぜ、テソロであることを隠したのか分かった。

 どうして自分にだけは正体を知られたくなかったのか。

 ——それは、彼が実験警護執行科だからだ。


『邪魔をするな』

『ちょっと待ってよ、もう今日はいいでしょう。後日日を改めて。この子には、私がよく言い聞かせておくから』

『信用ならんな、貴様はいつもそればかりだ』

『あんた達がいつも無茶な実験ばかりするからでしょ!!』

『やれ』


 隣にいた警護課の同僚数人はタカラの体を抑えに行った。

 いつものことらしく、その手つきに無駄はない。


 一回り大きな手銛はタカラの足から乱暴に抜かれ、次に稚魚に穴を穿った。

 先程よりも大きな耳鳴りと比例して、数字も大きくなっている。


 それが何度も何度も繰り返され、稚魚の体は穴だらけになっていった。


 ——やめて! 死んじゃう!!


 タカラの手は拘束されているが、タカラはそう叫んだ。

 けれど、無音の叫びは届かない。

 何度目かの手銛てもりを寸手のところで避けた稚魚は、彼に向かって一直線に泳いだ。


「みど、り」


 みどり、たすけて。稚魚はそう言いたかったのかもしれない。

 手銛は二連だったらしく、すぐに新しい矢が稚魚の体を突き刺した。ビリビリするほどに痛かった耳鳴りは、気のせいかと思うほどに小さくなっている。


 稚魚は慣性の法則に従って、ゆったりと彼の手に収まった。


 タカラと目が合う。

 一秒間が空き、彼女は目を見開いた。


 ——ハ ヤ ト


 彼女の唇が、彼の名をかたどる。


『執行しろ』


(オレはこれからも、多くのタイプTの処分をすることにもなるだろう。だからタカラは、オレの前から姿を消した。だから正体を隠したかった。オレはただ、命令に従うことしかできないから)


 ——ハヤト、たすけて


 タカラの願いを、彼はその手で絶った。

 手の中に収まった稚魚の頭を撃ち抜く。

 やはり赤い血は出ない。透明の涙が溢れるだけ。


 けれど、青いはずだった海はいつの間にか赤く染まってしまった。


 いつかお前の実験に立ち会うこともあるかもな

 そうだね、ヒドイことされそうになったら助けてよ

 ああ、必ず


 執行科への移動を打ち明けた日にしたタカラとの会話を思い出す。


(ごめん、タカラ。オレにはできない)

(何も成せない)


 彼の心は、赤い海の下で溺れて死んだ。

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