21 群青におすまし
それから一年が経った。
光の筋が、天空に向かって伸びている。
天空に向かって光を当てているわけではない。気温の低い日、遠くの街灯などが上空の小さい氷の結晶からなる薄い雲に反射する、ライトピラーと呼ばれる現象である。
彼の眼に映るすべての家からそのライトピラーは伸びていたが、目的地であるミナトの家がもっとも長い光の柱を放っているような気がした。
彼は今日、『ツナ缶』ではなくミナトの部屋で酒を飲む予定なのだ。
そろそろ身を固めて、人間の遺伝子を後世に残すのだと言われ続けた彼は、人間の女性と付き合うことにしたが、彼はやはりタカラのことを忘れられない。
今日、彼は五人目の形ばかりの恋人にフラれた。こんな日はミナトの部屋で飲む以外の選択肢はなかった。ミナトの青い瞳の真実を知って以来、彼はふた月に一度はミナトの部屋を訪れている。今日は「色が悪くなった」とトオノから譲り受けた
彼には全くわからないが、トオノは目がとても良いらしく、そろそろ客に出せなくなるレベルらしい。その眼識があるからこそ、あの店の酒はいつもうまいのだと納得した。
「あっちから言い寄ってくるくせに理不尽過ぎやしないか? まあ、オレのことが好きで言い寄っているわけじゃないだろうけど。どこの家も『人間の遺伝子を遺せ!』って、圧がすごいからな」
「どんどん減ってるもんね」
「最終的には人魚になるのが目標なんだから、人間なんて絶滅したっていいじゃねーか。進化したいのかしたくないのか、どっちなんだよ」
「ああ、そういう話がしたいから今日は僕の部屋なわけね」
「知りたくもないことを知りすぎたんだ」
ミナトの青い瞳の前で、彼はウソをつくことは出来ない。
気を抜いて喋りすぎてしまっただけだが、ミナトは研究所について、彼と同じくらいその真実を知っていた。
罪を犯した人魚は被検体として研究所に収容されていること。
失敗したナニカは彼が処分を執行していること。
もしミナトの透明の血がバレたら、きっと彼が処分を執行すること。などなど。
「そういえば、そろそろ本物の"人魚"が出来上がるって
「ぶっこむな」
「『ツナ缶』じゃ聞けないからね」
そしてもう一つ、彼は仕事が増えた。
それは、不要な『子宮』の処分だ。
黒い髪に金色の目をした東洋人「琥珀」の遺伝子情報をコピーして造られらた最初の人造人間はタイプA・アンバーと称されていた。
タイプAとクジラを掛け合わせて生まれたのが最初の人造人魚もどき、タイプO・オリフェイル。
研究所の奥で眠るすべての彼女たちは、目覚めることのないまま一生を終える。必要なのは、彼女の美しい遺伝子と、彼女の子宮だけだからだ。
彼は、先の仕事に加え、不要になった
彼は二等佐官になり、人魚の失敗作を殺すことには慣れていたが、成熟した人間と同じ形をした生き物を殺すのは初めてだった。
だから、彼は人間の形をしたオリフィエルを執行するとき、罪悪感でどうにかなってしまうと思っていた。むしろそうなってしまった方が良いと思っていた。
だが彼は冷静だった。
翠の眼の青年を見ても、もう何も思わない。
目の前にいる透明の血を持つミナトのことだって、"仕事"だったら、きっと彼は殺せてしまうのだろう。そう自覚している。
彼の感情はすっかり凪いでしまった。
「本物の人魚、か。その噂はあながち嘘じゃないと思う」
「というと?」
「タカラと、"テソロ"と最後に会った時、いた。最終的に執行処分されたがアレはほぼ完成形だと思う。一年前の時点で最終調整って感じがしたし」
——ちょっと待って、まだこの子は子どもだから、今は機嫌が悪いだけ
——我々の貴重な資源は、稚魚の癇癪に費やすほど潤沢ではない
——あんまり痛めたら、また声が出なくなるよ。だからこの子は"そう"育てたんでしょう
——少々もったいないが、代わりはまだいる
一年前の実験現場での会話を思い出す。
あの口ぶりでは、
アラシが所属している人魚育成二科は、クローンの培養を主に行なっている課だ。となれば、それらの人魚達はアラシがいない方の人魚育成課、人魚育成一課にいるのだろうと彼は当たりをつける。
「前、あいつがさ」
「翠の眼の?」
「ああ。あいつが、タカラはまるでソメイヨシノだって言ったんだ。今なら言葉の意味がわかるよ。タカラはきっと、何十何百もの失敗作の犠牲の上に立っている。タカラの足元は死体だらけだ」
彼はいずれ、"彼女"と同じ顔をしたクローンを、処分することになるのだろう。
「……今なら"タカラ"を殺せそう?」
彼の翠の瞳に、透き通るような「青」が映る。
彼は答えなかった。
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