勇敢に進みなさい。そうすれば総てはうまくゆくことでしょう

23 人魚の肉

 執行室には、海色みいろの髪と鱗を持つ小さな人魚と、二十二歳のテソロが居る。

 今日の彼の執行対象だ。


「ついに、この日が来たか」


 ひれのある人魚は、タイプM・ミヨゾティと名付けらたが、生まれてすぐに死んでしまった。

 一人目のタイプMの亡骸にはいくつもの縫合の跡があり、死してなおその命を人類に捧げたことが見てとれる。一人目のテソロも同様に、痛々しいほどの傷跡があった。


「お疲れ様。今、楽にしてやるからな……」


 ツギハギだらけのテソロからは、ほんのりとタカラの匂いがした。たまらず頬を撫でると、それは仄かに熱を帯びていた。柔らかく、彼の指を弾く。

 吸い込まれたかのように彼女の寝顔を見ていると、ゆるりと目が開き、「ハヤト」と彼の名を呼ぶ──そんな幻覚を見た。


 タカラではなく、テソロだと頭ではわかっていても、傷だらけの彼女の姿に胸がズキズキする。

 それと同時に、彼はとても興奮していた。


「タカラ……、俺、どうしちまったんだろう……」


 優しく抱きしめて口づけをして、はにかむような彼女の笑顔がみたい。

 彼女を殺して、彼女を救いたい。彼女を自分のものにしてしまいたい。

 矛盾した感情がドロドロと溢れる。


 いつしか、彼は異様なまでに彼女に執着していた。

 不安定で残酷な彼の世界で、唯一彼が信じ続けた彼女への愛情に彼は目が眩んでいる。

 彼にとって彼女は、想い人であり、信仰であり、「人魚の肉」なのだ。

 彼女をらえば、永遠の命が手に入る。もちろん、本当に不老不死になれるという意味ではない。彼女に受け入れられ、認知されることで、彼は彼の心を延命させることが出来る。

 今、彼の行動のすべては彼女に繋がっている。


 トオノやミナトやアラシは、彼に美しい感情を与えてくれたが、殺すことが日常となった彼の淀んだ感情や価値観の変化の起伏は、どこにも吐き出すことが出来なかった。淀んだ心は、彼の中の彼女が受け入れ、浄化してくれる。

 彼は彼女に傾倒し、委ねることでしか、自らを保つことが出来なかった。


 彼の持つライフルは、すでに安全装置が外れている。あとはちょいとその指先に力を込めればすべてが終わる。

 ただそれだけの作業に、彼は一時間も手をこまねいていた。


 彼女を殺したくない、でも、彼女を殺さなければならない。

 ──そんな葛藤なら良かった。


 彼女を殺したい欲求で、彼はどうにかなりそうだった。

 彼女を殺したいなど、なんておぞましい。彼女のことが好きなんじゃないのか。そう吠える自分と、彼女を殺すことで彼女を手に入れられる、そう囁く頭の狂った自分がいる。


『早く殺して』


 彼女の声が聞こえた。

 幻聴なのか、それとも今目の前の彼女がしゃべったのか、彼には判断がつかない。いつだって、その幻覚は結果論でしかないのだ。

 眼の前の彼女は、いつの間にかそのまぶたを開き、透き通った瞳を見せる。暖かい彼女の手が、引き金を引く彼の手に重なった。


『早く私を楽にして。……たすけてよ、ハヤト』


 彼が子供のようにコクリと頷くと、彼女は満足そうに、そしてとても悲しそうに笑う。

 今度こそ、彼は彼女の願いを成し遂げたのだと、そう錯覚した。


 鋭い銃声が響き渡る。

 彼女から吹き出る温い透明の血は、しとやかに彼の掌紋へと、渦を描くように入り込んでいく。


 微睡に落ちたのも束の間、


「ハヤト!!!」


 頭の中のモヤが、猛烈な風で吹き飛ばされた。

 チカチカと明滅するその視線の先には、生に満ち満ちたタカラが居た。

 その瞳は、凍った太陽のようなだ。


「えっ、え……、タカラ……?」

「ハヤト、しっかりして。水路に落ちるところだったよ。トランス状態にみたいになって……、やっぱり、おかしくなっちゃったんだね」

「本物……?」

「そうだよ」

「タカラ!!」


 タカラを抱きしめる。

 ふわりと、タカラの香りがした。足元に居る"彼女"よりも、先日腹を大きく膨らませていた"彼女"よりも、ずっと濃厚なタカラの匂いだ。


 ここには、今先ほど自らが殺した彼女と、その赤ん坊が横たわっている。不謹慎だとわかっていても、その手を緩めることは出来なかった。


「……ごめんね、ハヤト」

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