勇敢に進みなさい。そうすれば総てはうまくゆくことでしょう
23 人魚の肉
執行室には、
今日の彼の執行対象だ。
「ついに、この日が来たか」
一人目のタイプMの亡骸にはいくつもの縫合の跡があり、死してなおその命を人類に捧げたことが見てとれる。一人目のテソロも同様に、痛々しいほどの傷跡があった。
「お疲れ様。今、楽にしてやるからな……」
ツギハギだらけのテソロからは、ほんのりとタカラの匂いがした。たまらず頬を撫でると、それは仄かに熱を帯びていた。柔らかく、彼の指を弾く。
吸い込まれたかのように彼女の寝顔を見ていると、ゆるりと目が開き、「ハヤト」と彼の名を呼ぶ──そんな幻覚を見た。
タカラではなく、テソロだと頭ではわかっていても、傷だらけの彼女の姿に胸がズキズキする。
それと同時に、彼はとても興奮していた。
「タカラ……、俺、どうしちまったんだろう……」
優しく抱きしめて口づけをして、はにかむような彼女の笑顔がみたい。
彼女を殺して、彼女を救いたい。彼女を自分のものにしてしまいたい。
矛盾した感情がドロドロと溢れる。
いつしか、彼は異様なまでに彼女に執着していた。
不安定で残酷な彼の世界で、唯一彼が信じ続けた彼女への愛情に彼は目が眩んでいる。
彼にとって彼女は、想い人であり、信仰であり、「人魚の肉」なのだ。
彼女を
今、彼の行動のすべては彼女に繋がっている。
トオノやミナトやアラシは、彼に美しい感情を与えてくれたが、殺すことが日常となった彼の淀んだ感情や価値観の変化の起伏は、どこにも吐き出すことが出来なかった。淀んだ心は、彼の中の彼女が受け入れ、浄化してくれる。
彼は彼女に傾倒し、委ねることでしか、自らを保つことが出来なかった。
彼の持つライフルは、すでに安全装置が外れている。あとはちょいとその指先に力を込めればすべてが終わる。
ただそれだけの作業に、彼は一時間も手を
彼女を殺したくない、でも、彼女を殺さなければならない。
──そんな葛藤なら良かった。
彼女を殺したい欲求で、彼はどうにかなりそうだった。
彼女を殺したいなど、なんておぞましい。彼女のことが好きなんじゃないのか。そう吠える自分と、彼女を殺すことで彼女を手に入れられる、そう囁く頭の狂った自分がいる。
『早く殺して』
彼女の声が聞こえた。
幻聴なのか、それとも今目の前の彼女がしゃべったのか、彼には判断がつかない。いつだって、その幻覚は結果論でしかないのだ。
眼の前の彼女は、いつの間にかその
『早く私を楽にして。……たすけてよ、ハヤト』
彼が子供のようにコクリと頷くと、彼女は満足そうに、そしてとても悲しそうに笑う。
今度こそ、彼は彼女の願いを成し遂げたのだと、そう錯覚した。
鋭い銃声が響き渡る。
彼女から吹き出る温い透明の血は、しとやかに彼の掌紋へと、渦を描くように入り込んでいく。
微睡に落ちたのも束の間、
「ハヤト!!!」
頭の中のモヤが、猛烈な風で吹き飛ばされた。
チカチカと明滅するその視線の先には、生に満ち満ちたタカラが居た。
その瞳は、凍った太陽のような金色だ。
「えっ、え……、タカラ……?」
「ハヤト、しっかりして。水路に落ちるところだったよ。トランス状態にみたいになって……、やっぱり、おかしくなっちゃったんだね」
「本物……?」
「そうだよ」
「タカラ!!」
タカラを抱きしめる。
ふわりと、タカラの香りがした。足元に居る"彼女"よりも、先日腹を大きく膨らませていた"彼女"よりも、ずっと濃厚なタカラの匂いだ。
ここには、今先ほど自らが殺した彼女と、その赤ん坊が横たわっている。不謹慎だとわかっていても、その手を緩めることは出来なかった。
「……ごめんね、ハヤト」
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