45 正答の扉

 ミナトの執行は、それからすぐに行われることになった。

 ミナトが罪をことで裁判は滞りなく終わり、翌日には死刑執行が決まった。


 今日は、ミナトの死刑執行日である。

 死刑執行人には彼が任命された。彼が自ら希望したことだ。


 死刑執行三十分前。

 彼はミナトの牢獄を訪れた。


「よう、ミナト。気分はどうだ」

「ハヤト……」


 星が三つついた帽子を深くかぶり、全身を黒の執行官の制服に身を包んでいる。

 ミナトを監視している看守に目配せをし、人払いをした。ここには、彼とミナトのみである。

 ミナトは質素な白い服を着ている。そこから見える手首や足首に傷はない。もともと無実なので当然だが――見たところ折檻は受けていないようだ。頭が吹っ飛ぶような薬を入れられた訳でもない。

 いつもと変わらないミナトに安堵するが、同時に残酷だとも思った。ミナトは彼に首を斬られるその瞬間までこの世界を生きなければならないのだ。


「まあ、悪くないかな」

「そうか、酒でも飲まないか? 俺たちがいつも飲んでいる蜂蜜酒ミードだ」

「いいね」


 とぽとぽと黄色い液体をグラスに入れ、鉄格子の隙間からそれを差し入れた。

 カチンと乾杯すると、一気に喉に流しいれる。強いアルコールが喉を焼いていくのを感じた。


「あ、見てよ、ハヤト」

「ん?」

彩雲さいうんだ」


 ミナトの視線を追って、獄中の小さな窓を見る、掌一枚分の小さな窓だ。

 その小さな窓の先では低い雲が七色に光り、そして消えてしまった。

 水の粒を多く孕んだ雲が太陽に掛かると現れる自然現象だ。ここ南極では、陸で言う「虹」と同じくらいの頻度で見ることができるそう珍しくもない現象だが、つい目を奪われてしまう。吉兆の兆しでもあり、見ると何だか幸福な気分になる。


 蜂蜜酒ミードは瞬く間に二人の奥深くへと溶けていった。


「ミナト、オレはもうすぐお前を殺す。本当はアラシみたいに、この国からの脱出を企てるべきだったのかもしれない。でも、オレにはできなかった。ごめん」

「いいって、あの時も言ったよね。これが最善の選択だ」

「……本当、お前は自分のことには無関心だな。自分のことも、世間のことも、そういうお前だったからこそ、オレはお前と居る時間が楽だったわけだが」

「無関心じゃない。僕はこの生を謳歌したと本気で思っているんだ。僕はどこまでも女神の教えを信じる信徒だから」

「皮肉だな」

「ホントにね」


 淡く笑うミナトの瞳には、引き攣った笑顔をした彼が写っていた。ミナトの瞳超しの自分と目が合う。


 翠の眼の青年は言った。


 諦めてもいい。逃げてもいい。失敗したっていい。それでも、忘れてはいけない。

 託された感情は、あなたがあなたで居るための指標になる。


「諦めてもいい。逃げてもいい。眩しくなったらその眼を潰してしまえばいい。眼を潰した後、まぶたの裏に焼付いたものが、オレの本当に大切にしているものだ。オレにとって、それはお前らだ。ミナトと、アラシと、トオノさん、タカラ。それはタカラも同じだ」

「うん? そうだね」

「光の残滓ざんしは――失われてしまった思い出なのか? 思い出がオレを照らしてくれるのか? 思い出は大切だ、辛い時オレを救ってくれるかもしれない。でも、それは『思い出にすがって生きろ』だなんて、そんな後ろ向きな意味じゃない」

「じゃあ、『光の残滓ざんし』って結局なんなの?」

「光の残滓ざんしは、『託された感情』だ。それは『オレがオレで居る為の指標』になる。セダムは、オレに選択する強さを託した。他でもないオレが、オレ自身の意思を持って、その道を進むことを願った」

「なるほど、ハヤトにしては明瞭な答えだ」

「お前のまぶたには何が焼き付いていた?」

「僕は……」


 そう言って、ミナトは鉄格子のはめられた小さな窓を見た。


「僕のまぶたに焼き付いていたのは、あの日キミらと見た星空だ。この南極のきれいな空の風景を、キミらとバカ騒ぎしながらもっと見たかった。地球えいを、ライトピラーを、七色に光る彩雲を、もっとこの眼で見たかった」


 青い瞳が開かれる。白目と黒目の均整が取れた、吸い込まれるような青い瞳だ。


「こんなことを言わせて、キミは残酷だな。僕にはもう叶わないことなのに」

「あの日の星空は、お前になんの感情を託した?」

「え?」

「オレは、お前らに託された。たくさんのものを託された。正答の扉を開くのはオレだ。お前じゃない」

「は?」

「そろそろ時間だ。着替えろ、死装束だ」

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