46 ヘヴン・スタンプ

 帽子を深くかぶり、黒い外套がいとうを肩に掛け、人魚のマークがついたブローチで前を留めた。


 彼個人は宗教になど全く興味がなく信じてもいないが、この国は女神"ミヨゾティ"を信仰する国。死刑を執行するのであれば、彼は神の使いとしてそれを成さなければならない。


 神の御心は民の願いより大切にするべきものである。神がその完全なる知恵と計画を持って、神は信徒を働かせ、そして益とする。つまり「人魚になるために耐えろ」そう言いたいだけだ。この国にとってなんと都合の良い神様なのか、彼は嘲笑する。


 女神"ミヨゾティ"は、この国のために造られた神だ。

 ミヨゾティなど最初から存在しない。だからこそ、この国はミナトに「大逆」の罪を着せることができたのだ。彼はそう考えている。彼にとって真実などどうでも良かった。


 彼はミナトの手首を後ろ手にロープで結び、処刑台の壇上へと歩みを進める。

 処刑台の上には、やや赤く錆びた斬頭台ギロチンが物々しく鎮座していた。


 広場には、この国のほぼすべての人魚が集まっていると言っても過言ではない程の賑わいだ。

 後ろの方から青い顔をした女性の悲鳴が上がる。彼には分らないが、おそらくミナトと同じく教会に訪れていた信徒だろうと推察した。

 ――タカラとアラシは、いない。


「ハイト・コーズランド執行官」


 彼を呼び止めたのは、海洋研究所トップ、ユラ・トンノロッソだ。


「おめでとう、貴官の勇敢なる答えを祝福しよう」

「うるせえ。オレは出世して、表からこの世界を変える。あんたにはできなかったことをオレは成し遂げる。これが、ミナトの死を無駄にしない最大限の方法だ」


 彼の不遜なもの言いに彼とミナトを囲んでいた他の執行官は彼を懲らしめようと右手を上げるが、ユラ・トンノロッソはそれをやんわりと静止した。

 彼はフンと鼻息を吐きながらミナトともに処刑台に登壇する。


「びっくりした、キミ、職場でもあんな態度なんだね」

「あのイカれたオヤジだけだ」

「仮にも上官なのに随分な言い様だね」

「あいつを見ているとむかっぱらが立つんだよ。あいつは、未来の俺だから」

「ふーん?」


 彼は咳払いをし、居丈高な声で告げる。


「グラン・ハーバー元調査員、最後に何か言い残すことはあるか」

「そうだね……。じゃあ、ハヤト、来世も一緒に海に潜ろう」

「ばか、オレ宛じゃねーよ」

「じゃあ、……父さんと母さんと爺さんのこと、よろしく頼むよ」

「結局オレ宛じゃないか、ほんと、お前はばかだ。――悪いがその願い、どちらも聞き届けることはできない」

「それは残念」


 彼は大きく×バツが描かれた黒い袋をミナトに被せると、ガン、とミナトの背中を蹴った。

 ミナトの首はそのまま斬頭台ギロチンの隙間にすっぽりと挟まる。


「大逆人グラン・ハーバー、貴様を執行する」


 彼は愛用の銀色の銃身の銃を空に構える。

 海の下へ潜行するときと同じように右手を上に掲げ、空気を貯めるジャケットに繋がれたホースの排気ボタンよろしくその銃身に指をかける。緊張で彼の銃は血で濡れたようにぬるりとしていた。

 大きく息を吸うと心臓がドキドキして、鼓動を収めるために小さく息を吐き続けて肺の中の空気を空っぽにする。

 彼の目の前では、見たこともない色彩豊かな熱帯魚が群れを成し、空の水面から光のシャワーが円を描くように踊る光景が見えた。

 それと相反するように彼の意識は、冷たい南極の海の中へと沈んでいって――

 ――そして、銃声がとどろいた。


 銃声と同時に、斬頭台に備え付けられた刃は重力に逆らわず、確かな質量を持って落っこちる。

 少し遅れて、彼の銃から放たれた薬莢やっきょうがバウンドし、そのまま氷の砂へと沈んだ。

 ミナトの頭を覆っていた黒い袋は、ミナトの身体から離れ、そして切り落とされた。


 首を斬った刃は、美味うまそうに透明のよだれを垂らして笑っている。


 その瞬間は、彼が思っていた以上にあっさりと訪れ、そしてあっさりと去った。


 彼は臆病だ。怖かった。不安だった。恐ろしかった。

 情けなくも、彼はどこかの誰かが、寸でのところで自らを処刑台から蹴り飛ばしてくれと願った。

 例えばそう、嵐のごとく、しろい髪を舞い上がらせたアラシが。

 例えばそう、さざなみのごとく、海色みいろの髪を波立たせたタカラが。

 だが、奇跡は起こらない。

 ミナトはこの時を持って処刑された。

 他ならぬ彼の手によって。


 切り落とした首の受け皿からごろりと転がった黒い布を持ち上げ、中から白い髪の頭を取り出す。

 それを掲げ、彼は吠える。


「神は、砂浜を海の境とした。これは永遠の定め、それを超えることはできない。神よ、私を懲らしめてください。しかし、正しい裁きによって」


 彼が踏みつけたミナトの残り物。

 そっとその背中に手を添えると、ミナトの体温を感じた。

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