35 深海遊泳 2/2
水深十五メートル地点。
そこは、氷脈の真下だった。流氷の割れ目からから、葉脈のように光が差し込む。
氷脈の光と、氷越しの淡い太陽光に満ちたその場所には珊瑚が広がっていた。恐らく、かつて「山」だった場所。海洋国グラス・ラフトに最も近い「地面」である。
このあたりまでの深度にやってくると「赤」が視界に入ってきて、白、黄色、ピンク、オレンジ、緑、そして青。色鮮やかな
そして、そこには一輪の大輪の花と、寄り添うような薄空色の綿毛の花が咲いている。
先程の光るくらげと同じように、ミヨゾティはその白い花に釘付けだったが、やはりその花に触るのは危険だ。まっしろに咲く「ヒダベリイソギンチャク」であり、花ではない。
先のくらげ然り、触れたら直ぐに死ぬわけではないが、クラゲやイソギンチャクは往々にして毒を持っている。触らないに越したことはない。
その隣に寄り添っていた綿毛の花も、良く見れば十文字クラゲ(Lucernaria quadricornis)だった。胴体は十の
岸壁には、オレンジ色のヒトデが海の中に星空を造り出していた。
(あ、シロトゲウミウシ……)
珊瑚の上には、白い小さな小さな、体調一センチにも満たない小さな白い生き物がいた。
この星は急激に温かくなり、海面が上昇し、地底が沈み、そして陸はなくなった。
彼が住む海洋国グラス・ラフトも、昔は今よりずっと気温が低く、気温が氷点下を上回ることはなかったらしい。太陽が沈んだまま出てこない「極夜」や、逆に昇ったまま沈まない「白夜」の季節もあったらしいが、今は毎日、太陽は沈んだり昇ったりを繰り返している。
海洋国グラス・ラフトの周りを囲っている棚氷(海面上から二メートル以上ある)も年々小さくなっていた。
『ウミウシ居たの?』
彼女の手話にコクンと頷き、その小さなウミウシを指さす。
タカラはミヨゾティを呼ぶと、女神様はその小さな生き物にまたもや眼を輝かせていた。
『相変わらず好きなんだね』
『可愛いだろ』
彼の口から出た数多の小さな泡は太陽の光を乱反射させながら上へ上へと先を争うように昇っていき、いつしか見えなくなった。
海の生き物や地形も勿論好きだが、彼はこの海の下でぷかぷか浮かびながら太陽を眺めるのが大好きだった。
ミヨゾティは彼の吐いた泡に手を伸ばすが、泡はするりと彼女の手から逃げてしまう。
そんな光景を、何を考えるでもなく見ているとチリリンとベルが鳴った。
振り返れば、研究班班長が一四〇度方向を指指していた。その方向に眼を見遣れば、そこには、人魚達のもう半分。シロイルカ三頭がこちらに向かってやってきていた。彼女たちのもう半分はクジラとされているが、もっと詳しく言えばシロイルカである。クジラとイルカは大きさが違うだけで生態に差はない。何故"クジラ"としているのかといえば、ミナトいわく『なんとなくクジラの方が、箔があるからじゃない?』と言っていたが、イルカの祖先がクジラだったから、らしい。
どちらにせよ、彼にはどうでも良いことだった。
シロイルカは人魚達に非常に友好的だが、ミヨゾティを見つけると、彼女――もとい彼らを取り囲んだ。
危害は加えないと分っていても、自らの二倍近く大きいシロイルカに囲まれると思わず身構えてしまう。
シロイルカがキュウキュウと何かを言ったかと思えば、ミヨゾティも応えるようにキュウキュウとあの音を発した。
これは快挙だった。
タカラはエコロケーション能力を持っているが、それは「感知する」能力だけだ。その超音波そのものを出すことができない。だがミヨゾティは違う、あの音は超音波の音だ。
その超音波を使って、シロイルカと交信をしている。
研究班班長はチリリンと再びベルを鳴らし、タカラに向けて手話で話しかけた。
『なんて言っている?』
『言葉じゃないからわからない。でも歓迎している』
それはそうだ、いくらシロイルカは頭が良いとは言え「言語」がある訳ではない。シロイルカ同士ならば或いは分るのかもしれないが、タカラいわく何となく何を言っているのか分るらしい。
シロイルカはミヨゾティにバブルリングを飛ばした。ミヨゾティの頭上に天使の輪がかかる。
ぱしぱしとミヨゾティがシロイルカに触れると、三頭はバブルリングを飛ばしあいながら遊び始めた。ミヨゾティはそのバブルリングをくぐって、にこにこと笑っている。
そこにいる誰もがその神秘的な光景に釘付けになっていた。
正直彼は、「人魚」が生まれたという実感がずっとなかったが、彼女はまさしく人魚・マーメイドだった。
ヨゾティの首のうしろから泡が出ている。シロイルカと同じく、あそこが海の中での「鼻」にあたらしい。タカラにはないものだ。
つう、と眼から涙がこぼれる。マスクがあるため、それを
彼はこくりと頷く。
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