04 憐れみの瞳

「実はさ、異動命令が出てるんだ。三ヶ月後、実験警護執行科に異動になる。もう断るのも四回目だからさ、流石にダメだった。ぶっちゃけ海底調査の仕事そのものには未練はないんだ。執行科も海には潜れるし。でも、ミナトとは相棒バディとしてずっとやってきたから……、オレ、働くならやっぱりあいつとがいい」


 こんなことをタカラに話したところでどうにもならないことは彼にもわかっている。けれど、どうしても誰かに話をしたいときには、やはりタカラを選んでしまうのだった。


「どうしてミナトがいいの?」

「そりゃあ、あいつは要領が悪いオレと違って仕事ができるし、ちょっとくらいの無茶なら切り抜けられるし、それに……あいつといると楽しいからな」

「職場が離れても、ミナトもハヤトも、毎晩ここに来るでしょ?」

「そうだけど、——執行科の仕事内容が、ちょっと。お前もガキの頃によく言われたんじゃないか?」

「悪い人魚は執行官に殺されちゃう、って? 子供の頃よく言われたね」


 人魚を造ることにしたこの国では、日々人魚を造るための実験が行われている。

 実験警護執行科はタカラやミナトたち「人魚」の生態を解明するための調査・観察・実験を「警護」し、そして「執行」する科だ。「警護」は主に実験中の人魚や研究医を他の外敵から警護することを指す。では、「執行」とは何か。

 それは、罪を犯した人魚の処刑だ。

 たった二十二キロの小さな国だが、犯罪は起こる。そのほとんどは刑務を終えることで赦されるが、例外もある。その例外はギロチン台で首を切り落とされるのだ。——もう、二百年以上そんなことは行われていないが、それが転じて、悪い人魚には悪魔のような悪虐非道な人体実験や拷問が行われていると噂されていた。


「そんなの、子供の人魚に言うことを聞かせるための嘘に決まってるじゃん」

「でも、なんかきな臭くないか? あそこは人間だけで構成されているし」

「まあそんなもんでしょ。人魚を造るための実験が主なわけだし」

「オレは、海の中の世界が好きなだけで、人魚を造りたいわけでも、いたぶりたいわけでも、もちろん殺したいわけでもないんだよ」

「大丈夫だよ。執行科だって、拷問なんて非効率なことしないから」


 彼はタカラの言い方に違和感を覚えたが、彼女はたまに実験協力の謝礼金をもらっていたことを思い出して得心した。

 こと実験警護執行科に関してはむしろ彼よりタカラの方が詳しいかもしれない。

 ——もっとも、仮にきな臭い何かが裏にあったとして、それを一般人のタカラに教えると思えないが、それでも少し楽になった。


「そうだよな……。いつかお前の実験に立ち会うこともあるかもな」

「そうだね、ヒドイことされそうになったら助けてよ」

「ああ、必ず」


 人魚とはいえ、姿形はほぼ人間だ。例えそれが仕事であっても、誰かを痛めつけることなんてしたくない。

 彼は確かに、そう思っていたのだ。

 そう思っていたからこそ、数ある職種の中でも花形と言われる実験警護執行科の異動命令を何度も断っていたのだから。


「私たちのちっぽけな力じゃ、何も変えられない。人事命令を跳ね除けることすらできない、私たちはそういう存在なんだよ。社会という群の中で生きているんだから、それは仕方がない。だからもし仮に、執行科の仕事が噂通りでも仕方がないと思う。どうしようもないなら、ただあらがうだけじゃなくて、あえて受け入れることでその視点を変えるという考え方も大切じゃないかな」

「視点を変える……?」

「例えば、それこそ職種が変わってもミナトとの関係が続いたら、それは職場の垣根を超えた友人になれるし、実験で嫌な思いをしている人魚を助けてあげることができるかもしれないし、もし仮に執行科の仕事が噂通りでも、それはこの国の均衡を保つための抑止力になっているんだから、結果的に誰かを助けることになるんじゃないかな」

「……そう、かな」

「うん、そうだよ」


 そう言って、タカラはわずかに目を細めた。

 アーモンドの形をした目には大きな瞳が嵌め込まれていて、その瞳は蜂蜜酒ミードのように透き通った金色をしている。

 冷たい印象を受ける金色の瞳はあやしくて、その目を見るといつも目が離せなくなるのだ。彼は呪われていた。


(やっぱり、水底から眺める太陽みたいだ)


 極寒の海の中、水深七十メートルから徐々に上へ上へと浮かんでいくと、それに比例して太陽の光は強くなる。その時の太陽は冷たくて、痛いほどに凍っている。けれども、その太陽の光のゆらめきを見ると、泣きたくなるほど安心するのだ。

 タカラの瞳は、それによく似ている。冷たくて、凍っているみたいなのに、どうしようもなく惹かれる。

 人魚にとって、金色の瞳というのは大して珍しい色じゃないのに、どうしてタカラの瞳にこうも惹かれるのか。彼には不思議でならない。


「やっぱ、お前のそういう考え方、好きだな」

「え?」

「抗わなくてもいいって、言ってくれるトコ。同僚に何度か話したこともあるんだけど、つっぱねろって言われるばかりでな。まあ多少のひがみもあったんだろうが」

「……ハヤトは、いつもベストを尽くしてるよ。ベストを尽くした上での結果を、悪く言いたくないだけ」

「ありがとな」


 ああ、やっぱり彼女が好きだと、彼は再確認する。

 彼女はいつだって彼を赦してくれた。その、憐れみの瞳で。

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