03 そのギザギザの歯で

 ほどなくして、海鳥のローストが完成。

 今まで静かに趣味の読書に勤しんでいたミナトだが、すぐに本から顔をあげ、海鳥にフォークを突き立てた。

 儚げな見かけとは裏腹に、ミナトは大食漢で食べるのも早い。あっという間に皿は空になった。


「あー美味しかったーー」

「そんな腹減ってたのか? 調査中もずーっとその辺の魚捕まえてパクパク食ってたのに。いくら大食いとは言え太るぞ」

「あんなのただのスナックだよ。僕達人魚は肺に大量の酸素を送ったり身体をあっためたりでエネルギーの消耗が激しいんだから。ハヤトみたいにぶくぶく肥え太れたらいいけどね」

「お前本当に口悪いな……」


 五年間も相棒バディを組んでいると、ミナトの口の悪さは日常と化し、なんとも思わなくなっていた。むしろ、ミナトの口の悪さは、彼にとって心地がいい。

 いわゆる、「おもしれー女」枠だ。——男だが。


 直径二十二キロメートルの小さな氷床の国、海洋国グラス・ラフトは、人魚を造りだすことにした。

 人体実験を重ねる内に人魚の数は瞬く間に増え、反対に人間の数はどんどん減少し、今や人魚が八割、人間が二割になっている。

 そして、この国で偉いのは、やはり人魚を作り出した「人間」なのだ。

 人間のコミュニティーは狭い。

 人魚は彼ら人間を腫れ物に触るように扱うため、なんとも居心地が悪い。

 ミナトと組む前、彼は三年ほど異なる人魚と相棒バディを組んでいたが、うやうやしくされすぎて相棒を取っ替え引っ替えしていた。それも、今は昔の話である。


「タカラはあんまり食わねーよな」

「まあ仕事中だし。でも、ミナトは本当によく食べるよね。一ヶ月の食費すごそう」

「僕はグルメだから。でもうちの庭でタコとか魚の養殖とかしてるし、結構食費抑えてるよ」

「そろそろトドとかも食いそうだよな」

「いやーさばくのが面倒でね。食いちぎるとあご痛いし」

「食ったことあんのかよ」

「あるよ」


 ここ『ツナ缶』の利用者は人間の方が多いが、店長のトオノは人間も人魚も分け隔てなく接している。さらに、二人の好物である蜂蜜酒ミードも美味しいので、ミナトと二人で通うにはうってつけのお店だった。

 あまつさえ、好みの顔立ちをした店員がいるのだ。通わない理由がない。気がつけばほぼ毎日店に顔を出すようになっていた。


「あー、やっぱり食べたりない。タカラ、おかわり」

「そう言うと思って今焼いてるよ。あと少しで出来上がる」

「さすがタカラ……! ありがとう、タカラ様、女神様」


 ミナトは両手を胸の前で組み、タカラに感謝の意を表した。

 ミナトは熱心な女神信仰者だが、別段珍しいものではない。多くの人魚が女神信仰をしているし、人間にも一定数存在していた。


「いやーここの海鳥ほんっと美味しいんだよねェ。女神様に海の恵の感謝を」

「大袈裟だなあ……。鳥は海の恵みでもないし」

「タカラは海鳥苦手なんだっけ」

「うん。ちょっと獣臭く思っちゃう。ていうか、ミナトが変わってるんだよ。人魚なのに珍しい」

「珍味だよ、珍味。牛とか豚とか鶏も苦手だっけ?」

「あれは人間の食べ物だよ。臭すぎてムリ。超高いし」

「えー美味しいのに。ねえハヤト」

「まあオレは人間だからな。タカラ、蜂蜜酒ミードくれ」

「いいけど、寝たら宿代もらうからね」

「わかってるよ」


 ゆったりと時間が流れる。

 今は風邪でダウンしている店長と、タカラと、相棒のミナトと四人で過ごすこの時間は、いつしか彼にとって何よりも大切な時間になっていた。


 * * *


 蜂蜜酒ミードは二杯ほどだったが、海底調査の疲労か、彼はプツンと糸を切ったように寝入ってしまった。月に二回の恒例行事である。

 ミナトはとっくに家路につき、閉店作業も、明日の仕込みもすでに終わっている。


「起きろ!」

「!」


 彼はガバリと起き上がる。しばらく目をパチクリさせていたが、呆れ顔のタカラの顔を見て全てを察した。


「スマン……」

「ほら、上行くよ」


 タカラに手を引かれ、客間がある二階へとなんとか這い上がる。

 目が覚めたのはほんの一瞬で、すぐに強烈な眠気が彼を襲った。


「ありがとう、タカラ」

「はいはい。ほら、布団かけないと風邪ひくよ、店長みたいに」


 ファサと布団がかけられそのまま意識を失いかけるが、両手で思い切り自らの頬を引っ張り、なんとか耐えた。

 タカラは再びの呆れ顔である。


「いってー」

「バカじゃないの」

「眠いんだよ、そのギザギザの歯でオレを噛んで欲しいくらいだ……」

「噛もうか?」

「肉ごとエグられそうだからいいや……。それより、話を聞いてくれないか」

「このタイミングで? なに」


 毛布に包まると喋っている間にも寝落ちしそうなため、ベッド上であぐらをかく。ついでにゴテゴテした服も脱いだ。

 タカラの目の前の脱着も慣れたもので、それを見ているタカラも真顔だ。

 勢い余って上裸になったものの、人間用に造られた船の中とはいえ上裸は寒すぎたのか一瞬で鳥肌がたった。


「本当にバカ。はい、スウェット。洗っといたから」

「スマン……」


 タカラは彼が脱いでも全く恥ずかしがらない。自分だけ恥ずかしがるというのも男が廃るという理由で、もう随分前から彼女の目の前で着替えをしていた。

 ミナトと知り合ったのとほぼ同時期に知り合ったため、彼女との付き合いも五年になるし、こうして深夜二人きりでいる時にほぼ裸同然の姿になったことも数えきれないほどあるが、結局何も起きないまま清い関係が続いている。

 大食漢のミナトにはヘタレだとバカにされているが、彼が行動に移すことはない。いつ彼女に身体を見られてても良いように筋トレを怠らないというささやかな努力をするのみだ。

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