43 チープなバッドエンド 1/2
翌日。
彼が真っ先に訪れたのはユラ・トンノロッソの執務室である。
ノックもせずに部屋に入る。この部屋の持ち主である初老の男は行儀よく椅子に座り、珈琲ポットからカップにそれを注いでいた。カップの数は二つだ。
「随分遅かったじゃないか、ハイト・コーズランド執行官。まあ掛けたまえ。珈琲はブラックで大丈夫かな?」
「オレがあんたと仲良く茶をすすっておしゃべりしたいとでも思っているのか」
「そうは思わない。けれど、貴官には冷静さが足りていないから、こうして珈琲を薦めたのだよ」
「あんたのそういう態度が、オレをさらに苛立たせるんだよ。御託はいい、オレが一等佐官になったらミナトの身は保証すると言っていたはずだ。それなのに、あの逮捕状はどういうつもりだ」
「けれども、貴官は昨夜、グラン・ハーバー調査員の連行時、全く抵抗しなかったそうじゃないか」
「話の論点をずらすな。リーランドに何を言っても意味がないことくらい分かってる。あそこで歯向かえばアラシも危なかったからそうしただけた」
「それは素晴らしい。貴官は随分と賢くなった。称賛に値する」
そうは言うものの、ユラ・トンノロッソは拍手をすることもなく、彼に笑顔を向けることもない。眉間のシワは深く刻まれたままだが、足の爪先から、頭のてっぺんまで、舐めるように彼を見て、小さく破顔した。
「彼の処刑を
「その前に、一応理由を聞かせてくれ。なんであいつなんだ。あいつじゃなくたってよかったはずだ」
「彼の血の色は透明だ。透明の血には、毒がある。実際彼の家からは翠の眼の人魚も生まれていた。一家全てを執行してもいいところを、あえて彼だけの処刑で済ませたのだ。それは、彼が十年近く海底調査員として従事した功績による情状酌量に他ならない」
「透明の血に毒なんかないこと、誰だって知ってる! 大体、テソロだって、あの新しい人魚だって、血の色は透明だろうが!」
「それが周知の事実になる頃には、翠の眼の人魚が禁忌であることを知る人魚など一人もいなくなる。が、グラン・ハーバーを選んだ本当の理由はそれではない。一つは彼が女神信仰の熱心な信仰者だったから。そして、彼が貴官の友人だったからだ」
「……やっぱり、そうか」
ユラ・トンノロッソは彼を試している。翠の眼の青年を執行させたときもそうだった。
予測していた返答だったが、彼は小さく肩を震わせる。フラットだったはずの彼の心は波打ち、身体中の血が熱くなった。けれどその熱は、腹の底にずんと
過去に戻れるなら、彼はミナトと
すまない、ミナト。それでも俺は――と、心の中で釈明したところで、意味はない。
この決定は
ならば、彼は彼とミナトにとっての最良の選択をするしかない。ミナトがそう願ったように。
「ミナトを執行すれば、今度こそアラシとタカラの身の安全は保証されるんだろうな」
「私が保証するまでもない。一等佐官である貴官にはその権限がある。死刑執行を変えたくば、貴官が私の後継としてこの椅子に座るしかない」
彼が罪を重ねさせることで、彼の中の善悪は少しずつ崩れていく。その善悪の支えに——言い訳に——海洋研究所が必要になる。
罪の呵責から逃れるために思考を放棄し、海洋研究所に傾倒して駒になればよし、反発し、研究所を嫌うことで『人魚の民』へと導く存在になれば、なお良い。今回の目的は後者だ。
「あんたがオレに執行させたあいつは……。セダムは、オレにとって大切な友人だった。叶うのなら、オレはあいつを殺したくなかった。でも殺した。あいつと、ミナト達三人の命を天秤にかけて殺したんだ。それなのに、あんたはオレを裏切った。あんたが約束を反故すると知っていればオレはあいつを殺す罪を背負うことはなかったかもしれないのに」
「残念だが、貴官がセダムを執行してもしなくても、セダムの行末は変わらなかった」
「そんなことは分かってる。ミナトもそうだし、オレ自身もそうだってことも」
セダム、シロイヒト、翠の眼の青年。
青年の名はセダム・トンノロッソ。今、彼の目の前にいるユラ・トンノロッソの息子であり、『ツナ缶』店長のトオノ——もとい、オクナ・トンノロッソの兄でもある。
彼が翠の眼の青年を殺さなくても、彼がミナトを殺さなくても、二人の運命はそう変わらない。変わるのは、彼が突然の死というチープなバッドエンドを迎えることだけだ。当然、彼に選択肢など最初からない。
取引など、彼はできる立場ではない。
彼は
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