38 宵闇と交差する 1/3

 トップスは白のシャツで、ボトムスはブルーの折り返しのついたパンツ、ベストに同じくブルーの二連のボタンがついたものを選び、彼の短い黒髪をセットアップする。

 鏡の中の自分と戦うこと十五分。腕につけた時計を見て、彼は慌ててネイビーのレザースニーカと小さな黒いボディバック、分厚いジャケットを身に着け、待ち合わせ場所へと走り出した。

 天気は快晴。外気温はせっ氏七度。人魚にとっては猛暑日であるが、彼ら人間にとっては最高の行楽日和で――タカラとのは初めてのデートにはうってつけである。


 彼の家から研究所へと爆走し、研究所に備え付けられたタカラの自室に到着したのは約束の時間から五分ほど経過していた。

 今更多少整えたところで大して変わらない前髪を扉の前でセットし、『いーっ』と口を伸ばし表情筋を緩める。短く息を吐いた後、二度ノックすると「ハヤト? 開いているよ」と中から声がした。

 そっと扉を開け、中をのぞくと、白地に緑色の葉が大きく描かれたノースリーブのシャツに、柔らかそうな生地の黒いロングスカート。海色の髪は今日もふわりと波打っていた。


「今日は涼しげだね。カッコいいじゃん」

「お、おお……、どうも」


 間もなく三十にもなるというのに、タカラの休日らしい装いを褒められない自らの意気地の無さにため息をつく。こちらが先手を打っていればきっと言えた、と、みっともなく心の中で言い訳をした。


「そんなところでひょっこり覗いてないで、中入りなよ」

「ああ……。ていうか、どうしたんだ? 何がそんな気に入らないんだよ」

「みつあみの編み込みがどうしてなかなか難しくて、慣れないことするもんじゃないな」


 中に入り、タカラが格闘しているドレッサーの横に立つと、確かに編み込まれたみつあみが少しぐちゃっとしている気がしないでもない。彼には全く気にならないレベルであったし、多少形が崩れていようが、自らのデートのために普段はしない編み込みをしようとしてくれること自体が彼には嬉しかったのだが、そういう問題ではないのだとアラシに以前言われたことを思い出す。

 そもそも、もしかしたら彼のためというのも一理あるかもしれないが、オシャレは基本、自分のため、だそうだ。


「髪まとめるの苦手なのか?」

「空間把握能力っていうのかな、鏡を見ているとどっちが右でどっちが左かわかんなくなるんだよね」

「ほーん」


 鏡を見ていると、右と左が分からなくなる。というのは彼にはよくわからない感覚だったが、適当に相槌を打っておく。

 やってやるよ、と言うとタカラはいぶかしそうな目で彼を見返した。


「俺が器用貧乏なのは知っているだろ、たぶんできる」

「まあ確かに」

「バシッと決まっている方がお前も今日一日楽しめるだろ?」

「うん」


 声のトーンこそ落ち着いているが、タカラはにっこりと笑った。

 まとめられた髪をほどき櫛でとかしていく。

 以前、彼女のクローンを殺す時、彼はクローンの髪をとかしていた。あの時見たのと同じ水色のはずだが、今目の前にある水色はツヤツヤと瑞々しく、女性特有の甘く芳醇な香りがする。


「え、私体臭そんなきつい?」

「ん?」

「はータカラの匂いだーとか言うから」

「えっ!? いや、匂いなんて全くしないぜ!」

「さっきと言っていることが違う」

「夢でも見ていたんじゃないのか」


 髪を三つの毛束に分ける。真ん中の毛束はサイドより量を少なめにした。

 左右の髪を編み込み、それが終わると髪を左に流しながらみつあみにし、髪留めで留める。太い毛束から髪を少し引き出すと、デコボコみつあみが完成した。

 ラフなこの髪型は服装に合っているし、適度に崩れているため休日感もある。想像通りの出来に彼はにんまりした。


「よっし、やっぱり可愛いな。似合ってるぜ」

「あ、ありがとう。……ホントに、可愛い?」

「可愛いぞ」


 いつもはツンと澄ましているタカラが、手で口元を隠し俯いてしまった。


「突然どうした!? 大丈夫か!? 吐きそうなのか!?」

「いや、なんでもない。もう行こうか。髪ありがとね」

「ああ……、吐き気は大丈夫なのか」

「大丈夫。早くいこう、今日は昼から飲むんでしょ」

「ああ、そうだったな」


 体験したこともないなんだか甘酸っぱい雰囲気にタカラは内心戸惑うばかりだったが、彼本人は自らの可愛い発言に全く気が付いていない。よもや、あのタカラが照れることがあるなど夢にも思っていなかったのだ。彼は純粋にタカラの体調を心配しながら部屋を後にした。

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