39 宵闇と交差する 2/3

 本日のデートプランは、スノーモービル"スカジ"でドライブをしつつ開店前の『ツナ缶』で酒のを飲み、ミナト、アラシと合流というプランである。

 スノーモービルはこの国の技術の結晶であるが故、まだ出来て間もない。故に、ヘルメットの着用の義務だとか、飲酒して運転は禁止だとか、そういう法律はない。


「うわ、スノーモービル、初めて見た」

「レンタルだけどな。運転はバッチリだから安心しろ」


サングラスを掛けエンジンをかけると、そのままタカラを後ろに乗せた。


「危ないからちゃんとつかまってろよ」

「分かった」

「くー! やっと言えたぜこの台詞!! 今まで誰も後ろに乗ってくれなかったんだ」

「え、二人乗り初めて? ますます怖い」

「ちゃんと捕まっていれば怖くねーから。それよか、この季節は風が気持ちいいから楽しみにしとけ」


 ぎゅっと腰に手が回ったのを確認したのち、最初はゆっくりと、そして徐々にスピードを上げて走り出した。


「すごい……、早い!」

「気持ちいいだろ」

「うん」

「トップギアまで上げるか?」

「とっぷぎあってなに?」

「これだ」


 そう言うが同時に、彼は左のクラッチを軽く握り、左足でシフトペダルを上げ、いわゆるトップギアまで持ってくるとそのまま右手のアクセルに力を込めた。

 馬力が弱いためすぐさまという訳ではないが、初めて乗車するタカラにとっては一気に加速し、とんでもない速さで進んでいるように感じた。


「わーーーー!? 早い! なにこれ怖い!!!」

「タカラでも叫ぶことがあるんだなあ」

「元の速さに戻して!!」

「わかったわかった。てか、あばら折れそうだからちょっと力緩めて……」

「折れてもハヤトの自業自得だから!」


 ひとしきりドライブを終え休憩したとき、彼はタカラからあばらに華麗な右ストレートを食らったが、それすら楽しかった。

 開店前の『ツナ缶』では、彼が持ってきたりんご漬けの自家製蜂蜜酒ミードと共にハッピーアワーを迎えている。


「りんご漬け蜂蜜酒ミード、美味しいね。牛乳で割ったらアラシでも飲めそう」

「まあお前らに飲ますために持ってきたからな。というか、ちょっと飲みすぎじゃないか」

「大丈夫だよー」


 四十度を超えた蜂蜜酒ミードで喉と共に体を内側から焼いた。強い酒を飲むことと弄火ろうか――火遊びは同義だ。

 身体の芯を焼き、脳を焼き、時には他人の身体にも火をつける。

 タカラの脳みそは既にドロドロに溶けてしまったらしい。


「ちょ、だからお前顔が近いんだよ」

「ガブっとうなじ、噛んであげようか? あの夏の夜みたいに」


 彼を顎クイをして、タカラはそんなことを言う。

 へべれけに酔っぱらったタカラは少しめんどくさい上に、顔が近い。顔だけでなく体も近く、彼女の腕と彼の腕はゼロ距離だ。


 デートのために着飾るタカラ。みつあみがうまく出来ず苦戦するタカラ。スノーモービルで叫び声をあげるタカラ。酒に酔って距離が近いタカラ。今日は知らないタカラをたくさん知って、その度に彼の胸はキュンとする。

 嬉しい誤算ではあったが、酔った時に顔が近いのは精神衛生上良くないし、キザっぽいタカラの振る舞いに彼の乙女な何かが弾けそうだった。


「いったん休憩しようぜ、な?」

「ハヤトまだ酔ってないじゃん」

「だから今日は酔わないんだって。酒飲んで"スカジ"は流石に危ないから」

「えーー。……とりあえず飲もう?」

「はあ、トオノさん早く戻ってきて……」


 店の二階には、トオノ、旧タカラの居住スペースと客間があるが、トオノは買い出しに行っている。


「ねえハヤト、次のお酒なんだけど」

「はいはい。じゃあオレの肩に腕回して」

「お姫様と王子様ごっこ?」

「ああそうだ。こういうのやってみたかったんだよ、実は。付き合ってくれないか」

「ふーん、仕方ないなあ」


 彼は知っている。タカラは、内心いつまでも誰かにくっついていたいと思っている。それは親もおらず、孤独に生きた"テソロ"の反動なのかもしれない。顔が近いのも、ずっとアラシが引っ付いていて全く嫌そうなそぶりもしないのも、すべてはその寂しさの反動であると考えている。

 だからこうして彼にお姫様抱っこにされることも満更でない。彼も満更でなかった。


「はあ、寝そうだ。懐かしい、ハヤト臭」

「ハヤト臭って……、オレももう三十路のおっさんだから傷つくぞ」

「悪い意味じゃない」


 二重扉を開けると心地よい日差しが彼らを照らした。

 コツコツと階段を二段下り、三段目から繋げられた町へと続く氷の桟橋を歩く。


 『ツナ缶』はボートハウス構造をしており、町から見たときは普通の店だが、船の右側には操舵室があるし、バーのど真ん中から屋根を突き出て帆もある(普段は閉じられている)。というのも、海から三十メートルも離れていないこの地は冬になるとブリザードによって雪に埋もれ、夏になると氷が溶けて水上にポツンと店が浮かぶようになる。


 今は夏。鏡面は、太陽の光と青い空を映し出していた。夜になると太陽と青空の代わりに月と星空が映され、それが大変美しい。


「ほら、きれいだろ」

「もう見飽きたよ、こんな光景」

「こんなにきれいなのに見飽きるのか。お前の感性死んでいるんじゃないのか」

「そうだね、とっくの昔に死んじゃったかも、もう何も思わなくなっちゃった」


 でも、と彼女は続ける。


「今日は、ちょっと良いかも」

「そうか」


 姫抱きにしていたタカラを下すと、そのままくるりと回った。黒いロングスカートがふわりと広がる。


「どうもありがとう王子さ、あ」


 ばしゃん、とタカラは鏡面となった水の中に落ちて、尻餅をついた。


「な!? 大丈夫か!?!? もうバカ、飲みすぎなんだよ」

「いやあ、うっかりうっかり。冷たくて気持ちいいよ、ハヤトもおいでよ」

「オレには冷たいんだよその水」

「いいから」


 そのままグイと手を引かれ、二人は鏡面の空に溶け込む。

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