25 唾液で錆びついた

「女神様をさ、ハヤトがこの前処分したあの人魚の完成体に受肉させるの」

「受肉? 笑わせるな、何が受肉だ。どう見たって人造の神だろう」

「そんなことはわかってる。でもいいの。彼らにとって彼女が女神なら。ハヤトは宗教なんか信じてないからわからない感覚かもね」

「ああ、全くわからないね」

「でも、辛いとき、――例えば、子供を奪われたとき。人間から虐げられたとき。どうしようもない自らの出生を呪ったとき、彼らを救ってくれたのはきっと、宗教だよ」

「……」

「人間は、そうなるようにこの国をコントロールしてきた。人魚の成り損ない達は、神の眷属けんぞくになるという大義名分の元、人魚の糧になる。女神の祝福によって」


 タカラは、自分の首についた白い首輪をトン、と人差し指で叩いた。

 研究所内にいる人魚は罪の有無に問わずこの首輪をつけている。被検対象のタカラも、研究医のアラシも例外なく。


「白い首輪は、罪を犯した人魚の証だろ」

「別に首輪じゃなくてもいいの。体に触れるものなら何だって。この首輪がどんなものか、ハヤトはよく知っているでしょ?」

「特定の電気信号を送ることでその首輪から毒針が発射されるって仕組みだろ。まさか、それで……!?」

「そう。みーんな殺しちゃうの」


 抑揚のない声でそう言った。

 その瞳は、凍った太陽のような色をしている。


「だから、まずは国民全員に女神の祝福を授ける必要がある。でも、女神信仰に興味がない人魚は一定数いるし、思想を強制すれば反発も起きる。でもね、この世界で思想に打ち勝てるものは、圧倒的な暴力と恐怖しかないと人間達は知っている。だから人間達は、透明の血を持つ人魚をひとり大逆罪に仕立て上げて処刑することにしたの。大事なのは、それが嘘の罪であること。逆らえばこうなるって見せしめるために。透明の血、ハヤトは知ってるよね?」


 タカラの問いの答えを、彼は知っている。


「研究所はね、ミナトの一族が持つ透明の血のこと、ずっと前から知ってた。昔陸にあった『髪染』と『カラーコンタクト』の技術で普通の人魚に偽装したりデータを改竄した研究所公認の"罪人"は、結構いるらしい。こうやって有事の際に人質を取るためにね」


 今までミナトが背負ってきた罪の意識は、いったいなんだったのだろう。

 彼もミナトもタカラも、掌の上で踊らされていただけなのだ。


 どうしてなかなか、人間は愚かだが、馬鹿ではないらしい。


「私は研究所の作戦に協力することを条件に、大逆罪に仕立てる対象からミナトを外してもらった。それが、一年前。『ツナ缶』を辞める時、研究所から出された取引のひとつ」

「で、でも、そこで回避したところで、どうせ首輪の毒で全員殺すんだろ」

「一人残らず全員じゃないよ。全員殺してしまったらこの国が回らないから。だから最低限の人魚は残す。その対象に、ミナトとアラシを入れてもらった」

「けど……、あいつらだけが助かっても、他の人魚は死ぬんだろ。何とかしたいって思わないのかよ」

「思わないよ。私は、私と私の大切な人だけが守れればいいの」


 タカラは、捨てたのだ。あの暖かな瞳を。心の琴線を。彼女の中の善悪を。


「この前みたいに、タイプMの人魚を完成させるための実験に協力することが一つ目の条件。それを口外しないことが二つ目の条件。人魚が完成したら『聖母』として民衆を導くのが三つ目の条件。アラシとミナトの命に比べたらおつりが出るよ。それに、これはハヤトにとってもいいことだから」


 彼女は赤い舌で、はっきりと告げる。


「だって、ミナトを殺すのは、執行官であるハヤトだもの」






 彼の舌は、唾液で錆びついてしまったらしい。

 頭をガンと殴られた衝撃はあまりに大きく、声すら出なかった。

 彼の胸の中にあった温かいものは急速に冷えていき、足を伝ってゆっくりと地面に広がっていく。

 それは根を張り、彼の脚に見えないつたを巻いた。

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