50 名もなき青たちの饗宴 2/2

 アラシの首輪は外れ、ミナトの首輪は外れ、そしてタカラの首輪は外れた。

 彼の足元には三つの首輪。自らの首に触れながら呆然としていた三人はそれぞれ顔を見合わせると、弾けたようにひしと抱き合う。

 研究所から無断で抜け出したアラシとタカラの首にも、ミナトと同じく白い首輪がついていたのだ。


「タカラさん! ミナトさん! 私達、もう自由だよ!!」

「アラシ、タカラ……」


 海洋国グラス・ラフトが求めているものは「共生」と「適応」。ゆえに、人魚が奴隷にされたり、人間から強い弾圧を受けていたわけではない。人魚は何にでもなれるし、何でもできる。だが、それは飽くまで人間の管理下内でだけだ。

 食料の供給と重要の為に自らの子供が間引かれても、逆らうことはできない。

 になれば、白い首輪がつけられる。

 人間のおもちゃの証。


「ハヤト、本当にありがとう。私たちを自由にしてくれて」

「俺は何もしてない、なるべくしてこうなったんだ」


 ふんと鼻を鳴らす彼に、三人は再び顔を背けると、生意気だ、ハヤトのくせに! などと言ながら彼の肩やら腕をたたいた。


「なんだよ生意気って、年上だぞ! 少しは敬え!」

「ここで年齢出してくるところがダサい」とミナト。

「そうだそうだー!」と野次を飛ばすのがアラシ。

「なんっ……!? てかタカラ! 無言で叩くけどお前のパンチが一番いてーんだよ! やめろ!」

「鍛え方が違う」と、彼女は笑った。


「あはは、随分楽しそうだねえ」

「トオノさん! ひどいんすよこいつらいきなり」


 船体が安定してきたのか、トオノは操舵室からダイニングへとひょっこりと顔を出した。


「ねえ、ハヤトくん、覚えてる? キミが研究所の秘密を知ったとき、処刑台で会ったよね」

「ええ、覚えてますよ」

「あの時、僕は言った。『罪深いのは誰なのか』って。それは、虐殺を試みた人魚だったのか、そうさせた人間だったのか。透明の血を持つミナトくんなのか、人魚に近い存在として生まれたテソロなのか、人魚を愛してしまったボクらなのか。ハヤトくんはさ、誰が罪深いと思う? 誰が罪人?」

「罪人は――そんなもの、いないです。生き残ろうとした人間も、生き残りたいと願った人魚も、誰も悪くない。テソロだって悪くない、テソロが好きなアラシも、ミナトも、トオノさんもオレも、誰も悪くなんてない」


 彼は一つ息を吸って、そして笑った。


「人間は人魚へと進化する選択をしたけれど、オレは違う。俺は人魚にはならない」


 彼はそう言い、足元に転がっていた三つの白い首輪を拾い上げた。

 大きく振りかぶって、それを海へと投げ捨てる。


「じゃあ、私も!」


 彼女はそう言い、厚ぼったい長く白い髪と眼鏡を剥ぎ取り、海へと投げ捨てる。

 現れたのは、肩のあたりに整えられた海色の髪を風に泳がせた、本当の姿のタカラだ。


「やっぱり、そっちの髪色の方が似合って——」

「わあああ!! かわいい!! ちゃんと見たの初めてだよぉ!」

「ありがとアラシ。髪型はさ、アラシのボブかわいいなって思って真似しちゃった」

「なにそれカワイイ!!」




 "私たちは一つの人生しか生きられないし、信じたようにしかそれを生きられない"

 "私はまったく怖くない。だって、これをするために生まれてきたのだから"

 "あなたが何者であるかを放棄し信念を持たずに生きることは、死ぬよりも悲しい。若くして死ぬことよりも"

 "勇敢に進みなさい。そうすれば総てはうまくゆくでしょう"

 "一度だけの人生。それが私たちの持つ人生の全てだ"

 ――ジャンヌ・ダルク


 "神は、砂浜を海の境とした。これは永遠の定め、それを超えることはできない。神よ、私を懲らしめてください。しかし、正しい裁きによって"

 ――エレミヤ


 ミヨゾティの聖書の内容は、その実、昔の偉人の言葉のツギハギで出来ている。

 彼は神様なんて信じていない。しかし、この国は「ミヨゾティ」を信仰しなければならない。彼が覚えたのはたった六文だけだ。最後の一文は執行官として覚えなければならなっただけで、彼がプライベートで覚えたのはジャンヌ・ダルクの言葉だけである。


 それが彼の生きる指針だった。

 その指針に、翠の眼の青年の言葉が連なる。


「ねえ見て、黒い煙が上がってる!」


 アラシの指差す方向——グラス・ラフトに目をやる。 窓から望む海洋国グラス・ラフトには、黒い煙が上がっていた。


「お、無事に爆発したみたいだな。ついにユラ・トンノロッソに一泡吹かせてやりましたね! トオノさん!」

「うん! ザマアミロだよ!! 昔からずっとずっと、ボクはあいつが嫌いで、赦せなくて、あいつを止めたかったんだ」


 ミナトの処刑が行われていた同時刻、手薄になった海洋研究所本部に、ユラ・トンノロッソの息子、オクナ・トンノロッソとして潜入したトオノは、スーパーコンピューターのある部屋に爆弾を仕掛けてきたのだ。

 首輪の固有コードは海洋研究所のスーパーコンピュータで管理され、首輪識別装置アガリアレプトでスキャンするとコードが表示され、「DEAD」ボタンを押せば強力な電流が放たれ、「R E L E A S解除」ボタンを押せば外れる。

 海洋研究所の人間は女神信仰を利用し、女神の祝福を授けることで人魚たちを全滅させようとしていたが、その計画はたった今、泡へと消えた。


 人魚を皆殺しにするなんて許せない。そんな正義感があったわけではない。大して親しくもない、顔も名前も知らない人魚のために命をかけることなんて、トオノにはできなかった。

 全ては、ユラ・トンノロッソに一泡吹かせる。そのための計画だ。結果的に、トオノは人魚達に知られることのない英雄になってしまったが。


「なあタカラ、この進化の選択の果てには何があると思う?」

「何もないよ。あるのは、海と空だけだ」


 氷に囲まれた冷たい南極の海。陸は海底へと沈み、今はもう何もない。

 氷床に建てられた海洋国グラス・ラフトもやがて瓦解し、海底都市になる。そこでは人魚が踊り、泡を吐く。氷越しの太陽は、きらきらと海に光を差すことだろう。


 彼らの選択の果て。

 彼は海が好きだった。人魚になって、その海を自由に見て回りたいと願った程だ。でも、彼は人魚にはならない。

 この旅で、彼らはあっけなく海にもまれて死んでしまうかもしれないし、食料が尽きて死んでしまうかもしれない。海洋生物に襲われて命を落としてしまうかもしれない。

 けれど、船の民に出会うかもしれない。どこかに陸が残っているかもしれない。目的地である南の海にたどり着いたら、夢にまで見た色とりどりの魚や珊瑚礁を、その瞼の裏に焼き付けることができるかもしれない。


 眩しくなったら、その眼を潰してしまえばいい。その瞼の裏に何が焼き付いているのか知ることができる。光の残滓があなたをあまねく照らしてくれる。


「とりあえず、祝いのミード蜂蜜酒、飲むか!」





 彼は、セカイを欺き、そして見事、セカイからの脱出を成し遂げた。

 名もなき青たちの饗宴が始まる。


 深海シティ4cb8e7


fin

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