第50話 ザルツベルの戦

            By: Sakura-shougen(サクラ近衛将監)


 クラシオン大公領とハトラ侯爵領の境界付近は付近住民にザルツベルと呼ばれていた。

 狭い砂浜があり背後地は、潅木が生い茂るなだらかな丘陵地帯であるが、地質が悪く水利が悪いので耕作には向かない土地とされている。


 このため民家もなく、東西どちらへも数ケニル離れたところまで行かねば集落はない。

 その日沖合から数百の船が現れ、さらに千を超える小舟がそこから出されてザルツベルの海岸にシャガンド軍が上陸をし始めた。


 無論、周囲にロルム軍の気配はない。

 完全に奇襲は成功したと誰しもが思った。

 そのために随伴していた魔法師は、マレウス当てに計画は順調に遂行中、奇襲に成功せりと遠話を送った。


 但し、その直後、その魔法師は白眼を向いて卒倒した。

 周囲にいた者達は何事が起ったかわからずに右往左往したが、作戦は動き始めていたので魔法師一人が倒れたところで作戦を止める理由にはならない。


 だが、魔法師は海路の軍勢全体に全部で8名いたのだが、その全てが卒倒したことを総司令官は知らなかった。

 十万の軍勢の内約5万が上陸し終わって、更に残り半数を上陸させようとしたところで、敵海軍接近という知らせがもたらされた。


 艦隊に緊張が走った。

 取り敢えず残りの部隊はそのまま船内待機とさせた。

 150隻の護衛艦隊がロルム海軍と思われる艦影に向かって動き出した。


 シャガンド軍司令官はさほど心配していなかった。

 何しろ、新造艦50隻にはそれぞれ新兵器である大砲100門が搭載されており、在来船についても砲30門が搭載されているのである。

 それぞれの砲は従来の火炎弾投射機など及びもつかない射程距離を有する。

 従って数に劣るロルム軍など間違いなく撃滅できると信じ込んでいた。


 急速に接近するロルム軍艦艇は40隻ほどであったが、異様に船足が早かった。

 三本マストのシャガンド軍艦に比べ、4本マストのロルム海軍は帆の数も倍以上に有るように見えた。


 横帆だけではなく縦帆が多数あるからそう見えるのであるが、互いに横風を受けながらの航走であるのに明らかにシャガンド軍の速力を上回っているように感じた。

 そうして彼らは一斉に進路を少し変え、シャガンド軍の進路から離れる方向に外れた。

 今まで射程距離に進路があったのがずれてきており、海軍司令官は慌てて若干の進路補正を行ったが、間に合わず射程距離外をロルム海軍が駆け抜けて行きそうである。


 次の瞬間、ロルム軍艦から砲声が鳴り響いた。

 明らかに大砲の音である。

 まさかロルム海軍も大砲を持っているとは信じられない思いであったが、それでも射程距離外の筈と高をくくっていたところ、初弾が次々にシャガンド海軍に命中し始めた。

 少なくともシャガンドの大砲の射程距離の倍以上の距離からの射撃である。


 驚くべきは、その連射速度である。

 数十門の砲が殆ど絶え間なく射撃を行っているのである。

 更には着弾した砲弾がただの榴弾ではなく、火薬で爆発していた。

 忽ちの内にシャガンド海軍艦艇に被害が続出した。


 帆柱を倒され、甲板を破壊され、舵を破壊された。

 水線間近の直撃は大量の浸水を招き、既に20度ほども傾いて戦線から離脱している船も10や20では無かった。

4 0隻からなるロルム艦隊の一連の射撃で150隻のシャガンド艦隊は大打撃を受けていた。

 既に半数以上の船が軍船としては役に立たないだろう。


 少なくとも無傷の船は一隻も無いと言う惨憺たる有様であった。

 さらに追い打ちを掛けるように前方から別の艦隊が向かって来ているが、シャガンド艦隊は既に速力を上げられない状況に陥っていた。

 ロルムの第二艦隊は総勢で30隻。

 それが第一艦隊と同様に少し離れながら砲撃を始めた。


 但し、第一艦隊がシャガンドの左舷側を航過して行ったのに比して、第二艦隊は右舷側を航過しつつ砲撃を加えた。

 多数の砲弾を受けて左舷側に傾いている船体は海面上に右舷側が広く晒されている。

 その右舷側に砲撃が集中された時、シャガンド艦隊の命運は尽きていた。


 シャガンド艦隊から数発の応射があったものの射程距離外を航過するロルム艦隊には何の被害も与えられなかったのである。

 第二艦隊が航過し終わった時、交戦能力のある艦は一隻もいなかった。


 中には火薬庫に火が入って船ごと吹き飛んだ艦も10隻ではきかない。

 残った船も徐々に水没を始めていた。

 一方、鎧袖一触でシャガンド艦隊に大打撃を与えたロルム第一艦隊は、そのまま直進して輸送船団の方へ向かって言った。

 輸送船団のほうは慌てて逃げようとするが、ロルム海軍艦艇ははるかに早い船足で近づいて来る。


 輸送船団の最後尾を追い越し先頭集団に追いつくと停船命令を発して、威嚇射撃を始めた。

 この瞬間に輸送船団の命運も尽きた。

 沈没覚悟で逃走するか、もしくは降伏するかである。


 そうして指示の無いまま逃走しようとした輸送船が二隻、砲撃を受けて爆発したのを見て全ての輸送船に白旗が掲げられ、帆を降ろした。

 武器の無い輸送船が戦うことなど土台無理である。


 しかも船足は全く違うのであり、彼らに逃げ伸びる手段は無かった。

 総司令官の乗る輸送船が無謀にも海岸に向かって航走を始めたが、これも一連の斉射を受けて海の藻屑と消えた。

 その様子は上陸部隊にも見えていた。

 頼みの綱の海軍が打ち破られ、補給物資の大半は未だ船の上にあった。


 5万の軍勢は一応の装備は持っているが、これ以上の補給は無いと覚悟しなければならない。

 先発していた副司令官はそれでも指示に従い、義務を果たそうと考えていたが、そのすぐ後に、斥候部隊から次々に知らせが入った。


 何と、東西にそれぞれ5万の軍勢が布陣していると言うのである。

 上陸軍の2倍の軍勢である。

 北は湿地帯で北上は難しい地形である。

 しかも挟みうちに遭っている状態ではどちらに向かって行っても背後から襲撃されることは火を見るよりも明らかである。


 副司令官は進退きわまっていた。

 そこに、ロルム軍から使者がやってきた。

 使者は非常に若い男である。

 このまま撤退するならばシャガンドの軍を見逃すというのである。


 確かに沖には乗ってきた輸送船団が泊まっている。

 今ならば帰還も叶う。

 だが、仮に戦うならば一兵卒も見逃さずに殺戮すると使者は断言した。

 猶予は翌朝まで、シャガンド軍に降伏の意図がなければ総攻撃を開始すると言われたのである。


 使者はそのまま引き上げて行った。

 副司令官は迷った。

 迷った挙句にこのまま帰っても不名誉な敗軍の将という話が付きまとい、不遇な後世を送るならば、ここで名誉の戦死を遂げるべきと考え、降伏することは見送った。

 司令官はそれでもいいかもしれない。

 だが多くの兵卒はそう考えては居なかった。

 一将官の考えだけで死地に立つ兵こそ哀れであった。


 翌朝、戦備を固め、西に向かって全軍が突撃を開始した。

 だが、布陣しているロルム軍まで半ケニルと言うところで突然両側からこれまで見たことも無いような巨大な竜巻が襲来した。


 大竜巻は荒れ狂い5万の軍勢を叩きのめした。

 竜巻の消え去った後にはうめき声を上げる将兵が無数におり、かろうじて立つことのできる者は千名にも満たないほどであった。

 そうして東の方からロルム軍がゆっくりと近づいて来るのを見たシャガンド軍将兵に最早戦闘意欲はなかったのである。


 上陸軍四万八千のうち、死者二万人、重傷者一万五千人、軽傷者一万三千人であったが、シャガンド軍は戦わずして敗れたことになる。

 突撃を命じた副司令官は、竜巻に巻き込まれた死者の一人であった。

 彼らは死者を含めてシャガンドに帰還することが許された。


 但し、武器の一切を取り上げられ、食料のみが残された。

 後始末を終えて、シャガンド軍の輸送船団197隻が帰還の途に就いたのはそれから四日後のことであった。


 武器を取り上げる際に一隻の輸送船で問題が生じた。

 若い兵士の一人が頑なに剣の放棄を拒み、船底に立て篭もってしまったのだ。

 武器の放棄を拒絶すれば反抗と取られ、船ごと沈められるかも知れず、仲間たちは必死で説得するが、若い兵士は船底から出ようとはしなかった。


 無理に取り上げようとすれば若い兵士が剣を向けて来るのである。

 武器を全て取り上げられている最中であり手元に武器となる物は見当たらず、同じシャガンドの将兵は困っていた。


 そこに一隻の小舟が乗りつけ、一人の若いロルム軍兵士が乗船して来た。

 男はすぐに船底へと向かった。

 大勢のシャガンド兵士が群がる中をかきわけ、船底の小部屋の前に立って言った。


 「 私はロルム兵の一人だ。

   今から中に入る。」


 そう呼びかけて男は扉を開けた。

 小部屋の奥に剣を構えて若い兵士が睨んでいた。


 男は平気な顔で中に入り扉を閉めた。

 「 私はギルバート。

   君の名は?」


 「 アレクザンダー・・・。」

 「 そうかアレクザンダーか。

   良い名だ。

   アレクザンダー、何故剣を渡せないか理由を話してはくれまいか?」


 だが、アレクザンダーと名乗った男は、剣を構えたまま口を開かなかった。

 しかし、そのままギルバートと名乗った男も黙ったままである。

 暫く睨みあいのような状態が続いた。

 だが、ギルバートは優しげな視線を向けている。

 やがてアレクザンダーがぼつりと言った。


 「 父の形見なんだ。」


 「 父上の形見か。

   なるほど・・・。

   それほど形見の剣を大事にするとは、君にとっては良い父君だったのだな。

   アレクザンダー。」


 「 ああ・・・。」


 「 ならば、アレクザンダー。

   僕にその剣を預けてくれないか。

   形見の剣は必ず君に返すと約束してあげる。」


 「 な・・・。

   返してもらえると言う保証が何処にある。」


 「 さて、それは難しいな・・・。

   君が僕を信用してくれるかどうかだけれど・・・。

   口で言っても信用はしてもらえないだろうな。」


 「 当たり前だ。

   敵を信用する者が何処にいる。」


 「 君を除いては皆が命を僕らに預けたんだ。

   武器を放棄してその後で殺されてしまうかもしれないのにね。

   敵とは言え、降伏したら命を助けると言う敵の言葉を信用して降伏した。

   だが、君は例え命を奪われても剣は渡さないと言う。

   考えて御覧。

   君の尊敬する父上がそんなことで犬死にする君をどう思うか。

   それに仮に君の性で他のシャガンドの多くの兵士たちの命が奪われるとした

  ら、・・。

   君の父上ならば命を掛けて他の兵士たちの命を守ったに違いない。

   それに比べて、形見とは言え、剣を大事にして命を粗末にする君をどう思うか

  な。」


 アレクザンダーは涙を浮かべていた。

 やがて向けられていた剣先が下を向いた。


 「 判ってくれたようだな。

   アレクザンダー。

   君にしてやれる保証は僕の誠意だけだ。

   だから・・・。」


 ギルバートは、首にかけていたペンダントを外した。

 金色に光る鎖の先にはきらきらと蝋燭の光に反射して虹色の光を放つ小さな宝石が付いていた。


 「 これは僕の父親の形見の品だ。

   君が剣を預けてくれるなら。

   僕はこの形見のペンダントを君に預けよう。」


 「 そんな大事な物を・・・。

   何で・・・。」


 「 僕は君が父上の形見だと言って大事にするその気持ちを信用する。

   これがどんなに値打ちのあるものだとしても、君の剣が戻ってくるまではきっ

  と大事にしてくれるだろう。

   だからだよ。」


 そう言ってギルバートは、ペンダントをアレクザンダーの前に差し出した。

 おずおずとアレクザンダーは手を伸ばしそのペンダントを受け取り、代わりに剣を逆さに持って差し出した。

 ギルバートは剣の柄を握って言った。


 「 鞘も預かるよ。」

   アレクザンダーは留め金を外し、鞘を手渡した。


 「 必ず返していただけますね。」

 「 ああ、約束するよ。

   僕は少なくともこの剣を返すことについては決して嘘をつかない。

   僕はベリデロン伯爵領の護国卿ギルバートだ。

   君がシャガンドに帰還して、交易が再開されるようになったら、必ず君の手に

  届けるように手配する。

   君の所在地を教えてくれないか。」


 「 僕は、シャガンドのベルスランド大公領のブルセル村に住んでいます。

   名前はアレクザンダー・カイル。

   ブルセル村でアレクザンダー・カイルと言えば誰に聞いてもわかると思いま

  す。」


 「 わかった。

   ベルスランド大公国ブルセル村のアレクザンダー・カイルだね。

   忘れずに覚えておくよ。

   さぁ、出ようか。

   君の仲間が心配している。」


 アレクザンダーは頷いた。

 こうして一人の若者の意固地なまでの抵抗は終わりを告げたが、この日から二カ月後にアレクザンダーの手元に父親の形見の剣が交易商人の手によって届けられ、その代わりにペンダントがベリデロン伯爵領のウェルブールに届けられたのは更に二カ月後のことであった。

 人の噂に、この逸話は美談として語り継がれることになった。

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