第2話 ヘイブンにて

by Sakura-shougen


 ダイアナ大伯母さんの全面的な支援を得て、ギルバートが降り立ったのは、ヘイブン世界の三つの大陸のうち北半球にある最も大きな大陸の西部域である。

 気候は春めいた陽気だが、この世界の四季がどうなっているのかはギルバートも知らない。


 太陽はボルデニアンに比べるとかなり小さいが青白く強烈な光を放っているのがわかる。

 6メレムほどの幅がある街道を歩いていると微かに潮の香りがするので海辺に近いのではないかと思われる。


 ギルバートの衣装は、タイツにチュニック、足元はブーツだし、頭には洒落たベレー帽が載っている。

 何れもまっさらな新品であり、チュニックには図柄が少し浮き出て見える見事な刺繍が入っており随分と手間暇がかかったもののように思われる。


 チュニックの胴部を締めている帯には比較的細身の長剣が吊り下げられている。

 下着は別として、これらの衣装類は全てダイアナが用意してくれた。

 外見上見えるもので自ら用意したものは、バックパック一つだけだ。


 髪は総髪であり、背後で束ねて紐で縛っている。

 この髪形はボルデニアンに居た頃からのスタイルで、周囲のほとんどが短髪なので随分と風変りなものと見られていたが、ダイアナ曰く、このヘイブンでは至極普通だから目立たないだろうと言う。


 ダイアナは、当面の資金として金貨も用意してくれた。

 無論、ヘイブンの通貨であるが、金貨一枚で4人家族が1年過ごせるほど価値があると教えてくれた。


 その金貨を懐に5枚、バックパックに25枚入れているから、ある意味でギルバートはかなりの金持ちではある。

 金貨30枚も有れば立派な家が建つはずであるからだ。


 ともかくダイアナからは、南に向かって進みなさいと言われている。

 降り立った場所から歩き始めたギルバートであるが、見慣れぬ風景とボルデニアンとは明らかに異なる植物相は、生物学でも二つの博士号を取得しているギルバートの好奇心を大いに駆り立てるものであった。


 植物の繁茂状況は極めて旺盛であり、大地が肥沃であることが分かるし、同時に十分な雨量もあることを意味している。

 森や草原で小動物も幾つかは見かけることができたが、ギルバートに近づくようなことはない。


 ボルデニアンでは、小動物には好かれる方で、森などに入って行くとボルデ・リスや縞キツネなどがすぐに近づいてくるのが常であったが、ここでは警戒されているのかもしれない。

 樹木の枝ぶりから南の方角はある程度推測できていたし、太陽の向きと傾きからすると時刻はおよそ昼頃ではないかと思える。


 ここから2、3時間ほど南に向かって歩くと比較的大きな港町があるとダイアナが教えてくれていた。

 当座、そこで言葉を覚えると良いでしょうとダイアナには言われている。


 ギルバートは、言語能力に関しても秀でた才能を持っている。

 少なくとも一度聞いた言葉はイントネーションを含めて正確に発音ができる。

 だからエドガルド曽祖父の一族がボルデニアンを訪れた際にも色々な言葉を聞きわけていた。


 兄と姉のそれぞれの結婚式には実に沢山の世界から一族がやって来て、二組の夫婦の門出を祝ってくれた。

 他にも祖父母の兄妹に当たる筋の再従兄弟が数人このモレンデス世界で結婚しており、一族の到来は多かった。


 それぞれに僅か1日ぐらいの滞在なのだが、それでもそれぞれの異世界の言語で挨拶を交わすぐらいには言葉を覚え、次に彼らが訪れた時には間違いなくそれぞれのお国言葉で挨拶が可能であり、よく訪問者を驚かせたものである。

 ギルバートがのんびりと辿る街道は、やがて登り勾配になって峠道の様相を呈して来た。


 これまで人里の気配は無かったが、それでも街道の分岐点には、石材で造られた道標があって、街かあるいは地名が記されているようだった。

 ギルバートに初めて見るヘイブンの文字が判るわけもなかったが、それでもその文字を読んで記憶するようにしていた。


 丸、四角、くさび、棒を組み合わせた文字の様であり、おそらくはその組み合わせで発音を表わす方式ではないかと推測していた。

 推測ではあるのだが、モレンデス世界の様に子音と母音の組み合わせで表記する文字ではなさそうな気がしていた。


 丸が縦長、横長の二種類、四角も同じく横長、縦長の二種類、くさびは4方向の4種類、棒は短いものと長いものの二種類、僅かに10種類の組み合わせではあるが、それだけで千通りほどの音は十分に表記できるはずである。

 ギルバートが見ることのできた文字は、総数で僅かに18文字であり、そのうち四個と二個に同じ文字が使われていたことから14の文字しか見ていないことになる。

緩やかな峠道も頂上に差し掛かる頃、ギルバートの前方で突然怒号が響き、女の叫び声が聞こえた。


 ギルバートにその意味は判らないが、少なくとも切迫した声の様に聞こえた。

 ギルバートは腰に下げた剣を片手で押えながら坂道を駈けあがった。


 峠の頂上付近では平らな部分が広がり、さほど広くはない草原を呈しているが、その両側には山裾の斜面が迫っている。

 峠の反対側、やや峠を下った当たりの緩やかな斜面の草地で二十名ほども人が群がっていた。


 覆面姿の男達が槍や刀を持って、数人の男女を襲っているように見えた。

 白昼の覆面姿自体が正体を知られぬための工作であり、どちらに非があるかは明白だった。


 道路には既に数人の人が倒れているのが見て取れた。

 倒された者は覆面を付けては居ない。

 残った者は皆剣を構えて応戦しているが、多勢に無勢、放置すれば襲撃された方は全滅するかもしれない。


 ギルバートは100メレムほどの距離がある峠の頂上から雄叫びを上げて、駈け降りた。

 その声に気付いた数名の覆面をした者が迎え撃つようにギルバートに向かってくる。


 ギルバートは、駈けながら背負っていたバックパックを道路わきに放りだし、賊の直前まで剣を抜かず、走りながら抜刀して一撃のもとに最初の賊を切り捨てたのを皮切りに4人をあっという間に切り倒して、そのまま駆け抜けた。

 撃ちかかってきた賊との間で、剣を打ち合うような無様な真似はしない。


 相手の剣を紙一重でかわしながら一撃必殺で首筋の動脈を断ち切っていたのである。

 4人がことごとく血飛沫を上げて倒れた時には、ギルバートは既にかなり前方に進んでいた。


 その気配に慌てて振りむいた一団の中央に斬り込み、更に4人を瞬時に切り捨てた。

 ギルバートの切り込みで一気に半数ほどにまで減った賊どもは、狼狽しながらも、ギルバートを取り囲んだ。


 ギルバートは、襲撃されていた側の前面に立ち塞がり、賊と向かい合っていた。

 一瞬の停滞の後に、賊たちは一斉にギルバート目がけて攻撃にかかった。


 あるものは手裏剣を投げ、あるものは槍を突き、あるものは上段から斬りかかった。

 計ったように見事な一斉攻撃であった。

 普通ならばこの手の攻撃に耐えられる者はいないだろう。


 だが、ギルバートは攻撃の中に僅かの時間的なずれを見い出し、手裏剣を弾き、槍をかわし、斬撃の刃を反らし、内懐に入り込み縦横無尽に剣を振るった。

 一瞬の攻防で、賊は更に半数に減じていた。

 残る敵は4名のみ。


 ギルバートが出現してから少なくとも四分の一ほどに戦力が減退したのである。

 賊供はさすがに形勢不利を悟ったのであろう。

 一人が何かを叫ぶと一斉に身を翻して、峠道を駈け去り、姿を消した。


 ギルバートは、剣に血振りをくれてから懐にあった紙で血を拭い、剣を収めた。

 振りむくと、そこには男が三人、女が二人立っていた。

 男達は未だに剣を抜き身で携えたまま荒い息遣いをしており、いずれもがいくつかの手傷を負っているようだった。


 気丈にも懐剣を構えた女二人に怪我はなさそうである。

 一人は三十路も半ばを超えているだろうが、今一人は明らかに十代でギルバートの妹よりも若く見えることから十五歳ぐらい、あるいはもっと若いかもしれない。


 年長の女性は、栗色の髪、薄青の目を持ち、痩身丸顔ながら美人の範疇に入るであろう。

 年少の女性は、ブルネットに茶色の瞳で、肢体も成長期の過程にあり、未だ定まった形は無いように見受けられるが、整った顔立ちと理知的に見える大きな眼が印象的であり、あと数年もすれば十分に若い男を惹きつける美人となるに違いない。


 ギルバートは、一瞬で生存者の無事を確認すると、道端に倒れている覆面姿ではない者達の傍に膝まづいた。

 二人は死んでいたが、三人は深手ながらもまだ息はあった。


 だが、ギルバートの見るところその内の二人はとても助かりそうになかった。

 そのため、助かりそうな男の傷を改め、応急の措置を施し始めた。

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