第9話 伯爵令嬢リディア

   by Sakura-shougen


 その日からアドニスの配下の監視の目が無くなった。

 アドニスがギルバートを信用し、警戒を解いたのである。


 翌日、いつものようにリディア姫がやってきた。

 「 ギルバート様、昨日の午後、随分と強烈な翠の光がこの城で起きたのですけれ

  ど何かご存じありませんか?」


 アドニスとの間で、その件は秘密にすることで合意していた。

 アドニスの弟子の報告を総合すると、翠色の閃光は、ベリデロンの城郭のみならす、市街の半分ほども覆うほどの大きさであったらしく、市内の其処此処で、小さな被害が生じていたと言う。


 光に驚いて馬が急に暴れたとか、手に持っていたガラス容器を落としてしまい割れたとか些細な被害ではあるが、ギルバートの魔法の手慰みと知れると、騒ぎにもなりかねないし、それを促したアドニスの責任も免れない。

 とどのつまり、不可思議な現象が起きたということで納めることにしたのである。


 多少の心の痛みは有ったが、ギルバートも止むを得ず了承したのである。

 従って、リディアにも真実を告げるわけには行かなかった。


 「 いえ、特には。」

 「 そう、・・・。

   アドニス殿は、何か伯爵家にとって良いことが起きる瑞兆、或いは悪いことが

  未然に防止されると言う前兆でございましょうと父上に申し上げていたけれど、

  私は何となく良からぬことが起きるんじゃないかと不安なの。

   だって胸騒ぎがするもの。」


 「 リディア姫、影も形も見えないものに対して不安に駆られていても仕方が無い

  でしょう。

   その様な時は何かに気を集中して励んでみることです。

   そうすれば少なくともその間は不安を忘れます。

   そうして時が不安の芽を少しずつ摘んでくれましょう。

   勿論、不断の用心はすべきですよ。

   でも過ぎる用心は負担を強いるだけになります。

   何事も平常心が一番大事なことです。」


 「 ふーん、・・・。

   不思議ね。

   ギルバート様が言うと何でもすんなりと受け入れてしまうわ。

   家庭教師のサフィーラさんが少々言っても反発ばかりしているのに、何故かし

  ら?」


 ギルバートは苦笑した。

 「 さぁ、それは私にはわからないな。

   でも人が言っていることはどんな話でも一端の真実はあるものです、

   その良いところを受け入れ、そうでないものは捨てることも必要です。

   そうすれば、相手が誰であってもその人の長所が見えてきますから、その長所

  を見てあげるといい。

   短所があるのもまた人間です。

   完全無欠の人間などいませんから。」


 「 ギルバート様は、そのようなことを一体何処で学ばれたのですか?」

 「 姫には、私が天上界のようなところから来たと申し上げましたね。

   そこでは、若者は多くの時間を使って学問をします。

   私も学問所に通って多くのことを学びました。


   そう、合わせて16年ですから、姫が生まれる前から学問をしていることにな

  りますね。

   そうして学問所で出会った人々全てが私の師匠でした。

   学問所の教師は勿論、庭師、掃除婦、御店の売り子、道端に佇む老人、それに

  同じく学問を志す若者全てが老若関わらず師匠だったと思います。


   時には年端の行かない子供すら私に何かを教えてくれることがありました。

   人は何時も学びながら成長して参ります。

   ですから人との出会いを大切になさい。

   その人がきっと姫をより良き成長に導いてくれます。」


 リディアは大きく頷いた。

 「 ええ、私はギルバート様との出会いを大事にしたいと思います。」


 そう言ってリディアはきらきらと輝く熱い眼差しをギルバートに向けていた。

 「 あ、そうそう、アドニス師が随分とギルバート様を誉めちぎっていましたよ。

   ギルバート様は、剣士としておそらくは伯爵領随一、場合によってはこのロル

  ム王国随一の技量をお持ちかもしれない上に、若者に似合わぬ知某も兼ね備えて

  いるって。

   それに、アドニス師は、剣士でありながら魔法師としての素質もあるのではな

  いかともお話しされていました。

   ついこの間までは、ギルバート様を酷く疑っていらっしゃったのに随分な変わ

  りようで、父上も驚いていらっしゃったわ。

   ギルバート様、アドニス師に何かを吹き込まれましたか?」


 「 いいえ、何も。

   ただ、お会いして色々とお話しをしたら、互いに胸襟を開く間柄になっただけ

  ですよ。」

 「 へぇ、このベリデロンで一番の気難し屋のアドニス師と仲が良くなるなんて、

  とても普通の人ではできない相談ね。

   流石は、ギルバート様だわ。

   サフィーラ様も随分とギルバート様に感心されていましたもの。

   一度教えたことは決して忘れない方にお会いしたのは初めてだって。」


 「 いや、それは先生が良かったからでしょう。

   サフィーラ殿を始め、リディア姫やメルーシャ殿の御支援もあったからできた

  ことです。」

 「 そんなことはないわ。

   それは最初の二日ほどは私たちも協力はしましたけれど、ほとんどはご自分で

  なされたこと。

   それに最後の3日ほどはサフィーラ様すら困るような質問が沢山出て、私やメ

  ルーシャではとてもお手伝いはできなかったもの。」


 「 あれ、そんなに先生を困らせたのかなぁ。

   そんなつもりでは無かったのだけれど。」

 「 だって、城にある蔵書を片端から読んでその内容をお尋ねするんだもの。

   わからないことを聞くのは当たり前だけれど、長老のネリウスすら読んだこと

  の無い蔵書の内容を聞かれても、まともに答えられる者は居ないわ。

   サフィーラ様も後で苦笑いをしていらっしゃいました。

   そのような書物があったことすらご存じなかったみたいよ。」


 実のところリディアには特段の用務と言うものがない。

 敢えて言うならば伯爵の子女として恥ずかしくない教養と礼儀を備えていればよく、そのために前の剣術指南役カラスの妻であったメルーシャを侍女としてつけ、サフィーラを家庭教師としてつけているのである。


 メルーシャは、ロルム王国でも名門の貴族の系譜の出自であり、礼儀作法に女性の扱う武術にも通じていたのである。

 詩歌音曲それに舞踏についての素養もリディアに必要とされるものであり、詩歌についてはサフィーラが、舞踏についてはメルーシャが、音曲については市中にいる楽師に教えて貰っている。


 三日に一度の割合で習っているらしく、弦楽器のビュラスを使っている。

 今日はそのビュラスをケースに入れて持参していた。

 そうして、先日助けてもらったお礼にリディアは演奏を聞いて欲しいと言ったのである。


 無論、ギルバートに否応は無かった。

 ギルバートはモレンデス世界でも有数の音楽家でもあった。

 一族の音楽家としての血はギルバートにも引き継がれており、楽器ならば殆どのものを演奏できる。


 モレンデスから持参したバックパックの中には小さな木管楽器のテリアが入っている。

 荷物にならず、直管に幾つかの穴を開けただけの楽器はどの世界に行っても普遍的であろうと思ったから持参して来たのである。


 尤も、ヘイブン世界に来てからは吹いたことなどない。

 ベリデロンの城内に居候の分際で、勝手に演奏しても良いかどうかわからなかったからでもある。


 リディアの演奏が始まった。

 ビュラスは左手で柄を持ち、全体に丸く膨らみのある音響箱を顎に挟んで右手の弓で引く楽器であり、立って演奏するのが普通である。


 リディアの演奏は中々に上手であったし、とても優雅な曲であった。

 無論、ギルバートが初めて聞く曲でもあった。

 演奏が終わって、拍手をしてあげたのだが、それでも不安げにリディアが聞いた。


 「 どうでした。」

 「 とても御上手でした。

   今の演奏曲は、初めて聞きましたが、恋の物語を現したものですか?」


 顔中に笑みを浮かべてリディアが頷いた。

 「 はい、エレヴァの恋人達という曲です。

   ギルバート様にお聞かせするために一生懸命に練習したんです。」

 「 ありがとうございます。

   リディア殿はおそらく音楽にも才能があるのでしょうね。

   でも、もし宜しければ、私なりの助言をしたいと思いますが如何でしょう?」


 リディアの笑みが消え、不安げな顔になった。

 「 はい、勿論構いません。

   どんなことでしょう。」

 

「 リディア姫の弓の使い方で幾つかの改良をしたなら、尚のこと良い演奏ができ

  ます。

   それと、左手の指の使い方、柄の持ち方にもう少し微妙な力加減をすると良い

  でしょう。


   リディア姫は、柄を持つ手と、顎に少し力を入れ過ぎているかもしれません。

   そのために、音響板の役割が抑えられています。

   実際に試してみましょう。

   リディア姫の身体に手を触れても構いませんか。」


 リディアはポッと頬を染めて頷いた。

 ギルバートは立ち上がり、リディアの背後に回った。

 リディアの身長はまだ伸び盛りだが、ギルバートの顎の下程度の身長である。

 それでもここ二月ばかりではっきりわかる程度には伸びているし、リディアの年頃にしては大きな方だろう。

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