第51話 ウィグレス渓谷の戦

            By: Sakura-shougen(サクラ近衛将監)


 ザルツベルの戦後処理で美談があった1日前、奇襲成功の報を受けたマレウスは、ほくそ笑んでいた。

 第一弾は先ず成功した。

 後は10万の上陸軍が精々ロルム軍を引きつけておいてくれれば間違いなく、ウィグレスの城塞二つは間違いなく手に入るだろうと考えていた。


 だが、上陸作戦完了時点で入る筈の報告がその日は無かった。

 しかも通常ある筈の夕暮れ時の報告も無かったのである。

 マレウスは漠然とした不安を感じていた。


 翌日夜が明けてから、随行している魔法師に連絡を取ろうとしてできなかった。

 皆具に派遣した八名の魔法師たちのいずれとも連絡が取れないのである。

 その日の夕刻まで待っても何の報告がない。

 こんなことはこれまで一度として無かったことである。


 魔法師8人が何らかの理由で死んだとしか考えられないのである。

 随行した魔法師8人はいずれも魔法師としては優秀なレベルにあるものだ。

 それがむざむざと殺される筈も無いし、仮にあったにしても大勢の味方軍勢に囲まれた中にいる筈であり、何らかの異常を伝えて来る余裕が無いとは考えにくいのである。


 一人ならば急病等何らかの異常が発生したこと有り得るが、8人が8人とも連絡を絶つことは絶対にないとマレウスは考えていた。

 明らかに異常事態が発生している。

 苦慮したマレウスは、ウィグレスの作戦司令官であるバッキオ将軍に作戦の中止を言上した。


 理由は、魔法師との連絡が取れず何らかの異常事態が発生していると思われるので中止をお願いしたいと言ったのだが、バッキオ将軍は湯気を立てて怒りだした。

 「 マレウス師、これはそなたが立てた計画であろう。

   その際に何と申した。

   確実に成功する計画であると国王陛下に申し上げたであろう。

   それを何だ。

   実行直前になって中止だと?

   既に上陸している筈の10万の軍勢はどうなる。

   ウィグレスの軍勢が城塞を抑えてこそ、海路を回った上陸軍も生きるが、さも

  なければ見殺しになるやも知れぬのだぞ。」


 「 ですから、中止ではなくともせめて様子がわかるまで延期と言うことでは如何

  でしょうか。」


 バッキオ将軍は更に声を荒げた。

 「 馬鹿もの。

   ここですら10万もの軍勢が集まっているのだぞ、1日延期するだけでどれほ

  どの食料が消えるか知っているのか?

   軍事行動のために集めた食料を単なる待機で消費できるか。

   それに仮に待機するにしても何時までの待機だ。

   その状況がわかるまでと言うのは、まさか輸送船団が無事に帰還するまででは

  あるまいな。

   港に到着するのですら少なくとも海路七日はかかるだろうし、港から伝令が走

  ったにしてもここまで届くのに早くても十日後になる。

   そなた、それを待てと言うか?」


 「 いえ、そうではなく・・・。

   三日も待てばあるいは別の情報も入るかと。」


 「 何か三日の間に情報が入ると言う当てがあるのか?」

 「 いえ、・・・。

   当ては有りません。

   あるいは潜入させた間諜が何かを知らせてくれるかと。」


 「 間諜?

   ここ二週間はそのような者が一人たりとも来ておらんわ。

   その方が放った間諜は既に引き上げておるだろうが。

   そのような不確実な情報で軍の行動を左右できるなど思いあがるな。

   ええい、もうよい。

   下がれ。」


 この時ほどマレウスは自分が周囲から嫌われていることを実感したことは無い。

 元々戦は軍将官や騎士の専権事項である。

 それを魔法師であるマレウスが計画を立て、騎士たちが遂行することに少なからず反感を抱いていることは薄々ながらも気づいていた。


 但し、計画が彼らの考えていた以上に期待できるものであったから、彼らも不承不承ながら賛成したのであって、その実行に当たって中止や延期を促す魔法師には徹底した抵抗を示したのである。

 彼らに命令を下すのは国王であって魔法師では無い。


 魔法師は戦において敵の魔法師の力を削ぐことに専念することだけが求められており、戦術や戦略に口を出してはならないのが不文律であった。

 マレウスはその慣例を破ってしまったのである。

 マレウスが如何に国王の信任厚い人物であったにしても、司令官の参謀では無い。

 そうした人物から延期や中止の申し出があっても司令官が応ずる義務は一つも無いのである。


 魔法に関しての注意事項ならば彼らも素直に聞くだろうし、考慮に入れる。

 だが一旦決まった作戦計画には絶対に口を挟ませないと言うのが彼ら武人の意地であった。

 高まるマレウスの不安を余所に、作戦計画は予定通りその3日後に決行とされたのである。


 決行前夜、10万の軍勢は一斉に第二城塞を出てトンネルの入り口に向かった。

 トンネルの幅は広くできているがそれでも兵士が10人も横に並ぶと一杯になる。

 シャガンド軍は8列縦隊となってトンネル内に入って行った。

 最初の出口までは7百エニル、約7千名の兵士が入ると先頭は到達するが、半分の4列縦隊はそこを通過して更に歩を進める。


 入口から千七百エニルで最終出口に到達する。

 トンネル内には8列縦隊で約二万人の兵士が入った。

 それ以外の兵士たちは入り口付近で待機することになる。

 その日はそのトンネル内で二万の兵士が座ったままで仮眠をする。


 翌朝日の出とともに入口を塞いでいる岩などを取り除き、一斉に外に出ることになっていた。

 日の出とともに静かな号令が次々にトンネル内を伝わり、先頭の兵士が岩を取り除き始めた。

 最前部の岩は取り除かれて光が差し込んだが、途中の出口は全く光が差し込まなかった。


 出口には大きな岩が立ちふさがり行く手を阻んでいたのである。

 彼らは何とか出口を見つけようと種々試みてみたが、大きな岩塊は取り除くことができなかった。

 一方で、最前部の兵士は、外に飛び出して異様な物を見ることになった。

 目の前に幾つもの大きな樽が置かれているのである。


 しかも周囲にはかなり高く土盛りがされており、周囲が全く見えないのである。

 いずれにせよ、背後から押されるように次々に兵士が出てくるのだが、彼らが立っ

ている場所はかなり広いとは言え、すり鉢状の窪地になっていた。

 将兵はその窪地の底にいるのであり、洞窟から後続の兵士が押し寄せれば、その内に彼らは身の置き場所にも困るほどになることは見え透いている。


 先頭の兵士の数人が土盛りの上に登ろうとして何度も転げ落ちていた。

 土盛りは蟻地獄の砂の様にさらさらと流れて登れないのである。

 やがてその上から幾つもの黒い物体が投げ込まれた。


 それが地面に落ちるや否や炸裂して大樽を破壊した。

 同時に大樽に入っていた液体が発火して忽ち辺りは火の海になる。

 それどころか、トンネル内に火のついた液体が滑るように押し寄せて来た。

 液体は油であった。

 しかも真っ黒な煙を噴き出す油である。


 この黒煙が忽ちトンネル内を吹きぬけて行く。

 最初に黒煙と熱風が押し寄せ、次に火のついた油がトンネル内に入り込んでくるのだ。

 兵士は逃げまどい慌てて引き返そうとしたがトンネル内は兵士で一杯であり、前が痞えて動けないのである。

 500エニルまでの兵士は焼け死んだ。

 千エニルまでの兵士は黒煙にまかれ窒息して死亡した。


 残り700エニルの兵士は肺と喉を侵されながらも何とかトンネルから這い出て九死に一生を得ることができた。

 凡そ一万五千の兵士をシャガンドは戦う前に失ったのである。

 更に坑道を支えていた木材が火炎で焼かれ次々に崩落し始めた。


 雪崩のように崩落が始まると五年を掛けて掘り抜いたトンネルは入り口から出口まで一気に崩壊したのである。

 外で待っていた八万の軍勢は呆気にとられていた。

 多くの金と時間を掛けた作戦が見事に失敗したのである。

 司令官は憤怒の形相で近くにいたマレウスを睨みつけた。


 「 マレウス、どういうことだ?

   これは。」


 真っ青になってマレウスが答える。

 「 判りませぬ。」

 「 わからぬだと。

   この裏切り者めが。」


 司令官が裏切者と罵ったのは、マレウスがロルム王国を裏切った逃亡者であったことを知っているからであり、あるいは此度の戦でシャガンド軍に多大の損害を与え、シャガンド王家の信頼を裏切ったものであることからである。

 司令官は剣を抜くと一気にマレウスの首を刎ねた。


 マレウスには魔法で身を守る暇も無かった。

 こうして、シャガンドが多くの兵員を動かした戦は、終結した。


 ロルム王国は一人の人員も失わずに勝利を得たが、一方のシャガンド王国は、海軍の最新鋭艦五十隻の軍艦とその乗員凡そ二万人余りを失い、更に上陸軍十万の内死者二万三千人、城塞攻略軍十万の内一万五千人を一挙に失った。

 総勢で二十三万人を僅かに上回る将兵を動員しながら、ロルム側に何の損害も与えることなく、五万八千人の無駄死にとも言える損耗は大きな痛手であった。


 激戦で25%程度の損失は有り得る。

 だが、相手に何の被害も与えずに一方的にこれほどの損失を受けたことは無いし、この様な大人数の損失はシャガンド王国始まって以来のことであった。

 何しろ師団が四つほどもいきなり消えてしまったのである。

 しかもいずれも精鋭と言われた部隊であった。


 海軍に至っては再建に十年以上掛かると見込まれた。

 物的損害は元より、人的損害が大きかった。

 出撃した海軍軍艦の乗員の内、実に八割が戦死したのである。

 シャガンドはこの後、決してロルム王国に侵攻しようとはしなかった。

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