第4話 領都ベリデロン

   by Sakura-shougen


 広間の入り口には、メルーシャが待っていた。

 リディアはギルバートの手を放し、掌を上に向けてメルーシャの方へ差し伸べた。


 どうやら、リディアに代わってメルーシャがギルバートを案内するようだった。

 リディアとは、そこで別れたのである。


 メルーシャは、館の二階の部屋に案内をしてくれた。

 ギルバートの目からすればはるか古代の宮殿のような部屋である。


 立派な天蓋付きの寝台、それに応接セットや別室にトイレがあった。

 さすがに風呂まではないのだが、トイレは水洗の様であった。

 モレンデスの世界で弓や槍で戦う時代に果たして水洗トイレがあったかどうかは甚だ疑問である。

 便器と思われる陶器に常時水が流れているのである。


 ただ荒削りのパイプ表面からは、それほど科学技術が進歩しているようには思えなかった。

 メルーシャが静かに部屋を出て行った。


 どうやら当面の宿にはありつけたようである。

 ボルデニアンから携行して来たナップザックには幾分の携行食糧も入っていたので、昼食には困らない。


 だが、半時もしないうちにメルーシャがワゴンに食事を乗せて部屋にやってきた。

 名も知れぬ食材や果物らしき物がワゴンに載せられている。

 太陽の高度から言って、御昼時かとは思うのだが、定かではない。


 ボルデニアンを発つ前に、軽い夕食を食べて来たばかりではあるが、美味しそうな芳香が食欲を誘っていた。

 そう言えば襲撃の場所には敷物があり、多数の食べ物が踏みにじられていたのを思い出した。


 襲われた人たちは、あるいはピクニックで食事の準備をしている最中だったのかもしれない。

 メルーシャが皿に食べ物をよそおっている間に、リディアが着替えをしてやってきた。


 先ほどとは打って変わって随分と華やかな服装である。

 リディアが応接セットの前におしとやかに座り、立っているギルバートには、向かいに座るように手振りで示した。

 メルーシャは三つの皿を用意し始めた。

 どうやらこの二人の女性もここで食事をするようだ。


 これからこの世界で暫く過ごすようになるのだから、ここの食材が食べられるかどうか心配しても仕方が無い。

 ダイアナはおよそ半年後には様子を見に来ると言っていたが、その間は自力で何とかしなければならないのである。


 リディアのお奨めに従って席に着き、二人の異世界の女性とともに、昼食を食べ始めたのである。

 エリザベスお婆様の作る料理に比べると些か劣るような気がしたが、少なくとも下手なレストランで食べるよりは美味しい料理であった。

 もともと料理の上手なお婆様と比べる方が間違いなのだ。


 ギルバートはこうして異郷の地で客分として城郭の一角に寝起きするようになった。

 メルーシャとリディアは毎日のようにギルバートの部屋に顔を出す。

 特にメルーシャはギルバート付きの侍女になったようで何くれと世話をしてくれる。


 そうしてそのほかにも二人の男女が顔を出すようになった。

 午前中に訪れるのはハインリッヒ・コルマンという壮年の男性である。

 彼は武術の師範のようであった。


 10日の間、様々な武術でギルバートに試合を挑むのである。

 武術の試合ともなれば言葉は不要である。

 尤もギルバートが相手に怪我をさせるわけには行かない。

 リディア姫が常にその傍に立ち会っていた。


 剣もあれば、槍もあるし、弓術もある。

 馬術、組み手などもあった。

 ハインリッヒも相応の技量は備えているようだが、どれ一つとしてギルバートに勝るものはなかった。


 ギルバートは、武道に関してはかなりの腕前のはずである。

 何せ武道歴60年を優に超えるエドガルド曽祖父と剣技で対等に戦えるのは、エドガルドの一族でもギルバートだけなのである。


 エドガルド曽祖父は50代から若がえりの措置を受け、優に30年以上もの間22、3歳の若さを保ち、ずっと武術に傾倒しているお人である。

 若い頃から剣の達人として知られていたのだが、今やその域をはるかに超えている。


 そのエドガルドと対等に戦える者など有り得るはずも無かったが、15歳の時に初めてエドガルドと稽古をし、18歳の時に初めてエドガルドから一本を取ることができた。

 それ以降もたまに機会があればエドガルドと手合わせをするが、エディが超能力を使わない限りは間違いなく互角であった。


 だから、ハインリッヒが如何に秘術を尽くそうがギルバートに敵うはずも無かったのである。

 結局、10日目、彼は見事なお辞儀をして立ち去った。

 ハインリッヒがそれまで10日も連続で何故に日参したのかは不明である。


 未だギルバートには覚束ないハムル語ではあるが、リディア姫が語ったところでは、どうも、ギルバートの技量を確認するために主命で探りに来たらしい。

 仕掛け人は、リディア姫の父に当たるデメトリオス・アダーニ伯爵お抱えの魔法師アドニス・クライデルであるようだ。


 そのアドニスは、最初の謁見以来ギルバートの前に顔を出すことはないが、その配下の者であろう男達が複数ギルバートの動向を監視しているようである。

 殆ど四六時中監視の目を感じているのだが、いずれも遠巻きに居るため、特に気にはならない。


 ギルバートから少なくとも20メレムは離れているのだが、時折、アドニスに報告を行っているために、その内容がギルバートには筒抜けなのである。

 ギルバートにはテレパスの能力は無い。

 しかしながら、彼らが離れたところに居るアドニスに知らせるために術を使うことで、その内容が感知できてしまうのである。


 面白いことに、その場合は言語の違いは問題が無い。

 その手法を真似ることであるいはギルバートも遠く離れた人物にメッセージを届けることができるかもしれなかった。

 但し、これほど簡単に盗聴が可能な手法ならば余り真似をしない方がいいのかもしれないとギルバートは思っている。


 午後からギルバートの部屋にやってくるのはリディア姫の家庭教師でもあるサフィーラ・ロスラントである。

 彼女は50代半ばであり、ヘイブン世界での支配的言語であるハムル語を教えるためにやってくるのである。


 ギルバートはそのお陰でかなり読み書きもできるようになっていた。

 10日で概ね日常的な挨拶と会話はできるようになっていたし、20日を過ぎる頃には少なくとも意思の疎通が確実にできるまでに上達していた。

 サフィーラは驚異的なギルバートの上達に驚きながらも24日目には、体系的に教えることはもうないので後は実践で覚えなされませと言って去って行った。


 デメトリオス伯爵はヘイブン世界の北半球に位置するシェラ大陸の西部域を治めるロルム王国の重臣である。

 そのためロルム王国では一番の良港であるベリデロンとその周辺地域を伯爵領として預けられている。


 ロルム王国の王都サルメドスは、伯爵の城塞があるベリデロンから北東方向へ40ケイメルほどの距離があり、徒歩ならば10日ほど、騎馬の急ぎ旅でも5日から8日ほど、伝書使ならば馬を乗り継いで少なくとも三日かかる距離にある。


 ベリデロンはシェラ大陸南西端から大南洋へ伸びるベンデル半島の付け根付近に位置し、入り組んだ海岸線の中にある港街である。

 三方を高い山に囲まれ、なおかつ、ほぼ直角に曲がった比較的細長い水路の奥にある港は、どれほど季節風が吹いても被害を受けない天然の泊地である。


 このため、ロルム王国の海軍艦艇の大半がこのベリデロンに籍を置いている。

 また、南半球にあるネブロス大陸とラシャ大陸との交易港でもあり、そこから上がる運上金は莫大な額に上る。


 ベリデロンの東方には、キャスザ、ドサデスといった港もあるが、どちらも大南洋に大きく開いた弧状の海岸線にあり、しかも河口港であることから左程大きな船は入ることができない上、泊地に恵まれない地形である。

 川岸の水深の深い場所で桟橋として使えそうな地域はそのほとんどをロルム海軍が抑えており、商業港としては立地が難しいのである。


 尤も、小舟に乗り変え或いは積み替えれば、サルメドス近郊のパラゾまで遡ることも可能ではある。

 いずれにせよ、王国の交易港としてはベリデロンに勝る港は無かったのである。

 ギルバートが最初に現れた街道は、主要街道ではなく、西海岸沿いに隣領のバルガ男爵領につながる間道であったので道行く人も人家も疎らなところだったのである。

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