第55話
――ダメだ。魔力量がほぼ互角である以上、カネと斧じゃマモンの分が悪い。
零司は、座り込んだままのソフィアを見下した。
嫉妬を止めようとしているようではあるが、レヴィアタンへの魔力供給は止まっていない。ソフィアの嫉妬の原因がわからない以上、零司にできることはない。
何かマモンを有利にさせる決定的なものが必要だった。
「そうだ、銀! マモン、銀貨で攻撃しろ!」
思いついた零司が叫ぶが、斧から逃げるマモンは反論した。
「無理に決まってるだろ! あたしも悪魔なんだぞ。銀貨に触ったら、大変なことになる!」
「何だよ! カネを司ってるくせに、銀貨は出せないのかよ!」
「出せなくはないぞ! あたしが触れないだけでな!」
言うなり、零司の手に銀貨が一枚現れた。アルファベットが入っていることから外国のものらしい。
「おい、たった一枚出して終わりか? おまえは強欲じゃなかったのか? いつからそんなにケチくさくなったんだ?」
「な、いくら欲しいんだ!? ちなみにそれは一ドルだけど、九九・九パーセント銀だからオークションに出せば数千円くらいになるぞ」
「実際の価値とかどうでもいいんだよ! もっとじゃらじゃら出せ。俺がいいって言うまでだ」
零司の両手から銀貨が溢れ、床へ落ちた。増殖するカネは硬質な音を立て、零司の足元に白銀色の山を築き始める。その輝きから逃れるように、ソフィアがそっと零司から離れた。
一方、斧と札束は激しくぶつかり合っていた。
札束を撒いて逃げるマモンを追うレヴィアタン。斬撃を受けた札束は紙吹雪のように散り、広間の光景をより非日常的なものに変えていく。
両手に溢れる銀貨を握った零司は、マモンが距離を取ったときを狙ってレヴィアタンへ銀貨を投げつけた。
「っ!」
弾かれたようにそれを躱し、レヴィアタンは零司を睨む。
「……おまえから死にたいようだな……?」
怒りを露わにして零司へ矛先を向けたレヴィアタンだったが、
「あたしはこっちだぞ、レヴィ!」
マモンの拳がレヴィアタンの頬を打ち抜く。
くっと呻いて、レヴィアタンが斧を振った。マモンが距離を取ったのを見て、零司は再び銀貨を投げた。何十枚もの銀貨がローブの少女を襲う。そのうちの数枚が斧にぶつかり、刃に穴を空けた。
ちっ、と舌打ちしたレヴィアタンが斧を零司へ投擲する。
「レイジ!」
マモンが駆け寄ろうとしたのを手で制していた。
足元にできている銀貨の山からそれを拾い、思いっきり投げる。宙を舞った白銀は斧にぶつかり、得物を消失させた。
ヂャリンヂャリンと耳障りな音を立てて、銀貨が床に散らばる。
レヴィアタンが、マモンが、ソフィアが、沈黙した。
両手からとめどなく銀貨を流す少年が、硬貨を踏み、前へ出る。
「消えるのはおまえだ、レヴィアタン。嫉妬の印章を消すために、おまえを魔界へ帰させてもらうぞ」
言うなり、零司は駆けた。ローブへ銀貨を投げつける。
レヴィアタンが大きくバックステップをして、銀を避けた。両手に斧を出し、次の瞬間、零司へ突進する。
投げ終わった直後の零司は、再び投擲することはできない。
「死ねえええええ、柳生零司いいいぃ――――っ!!」
凶悪な刃が二枚、襲いかかる。
が、零司はまったく動じなかった。両手を持ち上げる。
ぶつかったとき、零司に衝撃はなかった。
レヴィアタンの顔が引きつる。
涼しい顔をした零司は素手で斧を止めていた。
銀貨が際限なく溢れる零司の手は、もはや銀に覆われているのと等しかった。斧の刃を音もなく削っていく硬貨は、二人の足元に山を作っていく。
「……なんて無茶苦茶なカネの使い方を……!」
「マモン、もっとだ。出す量が足らない。こんなちんたら出してたら、いつまで経っても何も買えないぞ」
レヴィアタンの驚愕を無視して零司は言った。銀貨を避けて下がっていたマモンが、びくりとする。
「おおおうっ!? レイジが強欲に目覚めたぞ! よし、いっけええええええぇぇぇ――――っ!!」
零司の全身から、バケツでぶちまけたような大量の銀貨が溢れた。
慄いたレヴィアタンが退こうとするものの、壁に背が当たる。
そこで初めて、レヴィアタンは自分が壁際へ追い込まれていたことに気が付いた。銀貨がまき散らされた床に、少女の足の踏み場はない。
くっとレヴィアタンは天井を見遣った。ここは彼女の亜空間だ。零司を排除すべく濃い闇が降りてきて彼を吞み込もうとするが、零司は一度、銀貨を天へ投擲するだけでそれを消してしまった。
降り注ぐ銀貨にレヴィアタンが首を竦める。
その間にも零司の身体から放出される魔力は、ことごとく銀貨に変わっていく。堤防のように銀貨は積み上がり、その上に立つ零司の目線は高くなっていく。
「マモンによると、俺は世界を買えるらしいからな。おまえの魔界行きの切符くらい、惜しまず買ってやるよ」
完全に逃げ場を失ったレヴィアタンへ、零司が手を突き出した。
ザアアアと水のように流れていく銀貨。それが足に触れ、レヴィアタンは悲鳴を上げた。
「あああああっ! くそ、くそ、くそおおぉっ! 止めろ! 銀をよこすなああっ!」
斧を両手に出し、銀貨の堤防を崩しにかかろうとするが、無駄だ。魔力でできた斧は銀によって溶けるばかりで、破壊することはできない。
銀貨に足首、膝、腰、と順番に埋めていった悪魔は罵詈雑言を上げ、懸命にもがいていた。銀は魔にとって、熱された鉄のようなものだ。灼熱地獄にレヴィアタンは狂いそうなほど苛まされていた。
胸まで銀に埋まり、ようやく少女は喚く気力もなくなったようだ。憔悴しきった顔で、零司を睨む。
「……くそ、柳生零司……おま、え、絶対、コロす……!」
最後の力を振り絞り、レヴィアタンは懸命に腕を伸ばした。その手が脚へ届く前に、零司は手を伸ばしていた。
少女の痣だらけの手を取る。
深緑の瞳が見開かれた。
「おまえが地上に戻ってこられたらな」
二人の手の間に溢れる銀貨。
断末魔の声を上げたレヴィアタンは、銀貨の海へ沈んで消えた。
刹那、ゴゴゴゴという音と共に壁や床、天井が崩れていく。足場が崩壊し、同時に胸の痛みを覚えた零司も銀貨の激流へと呑まれた――。
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