第5話



「生憎だったな。お引き取り願おうか」



 零司はばさっと試供品をマモンへ投げつけた。それを受け取った少女は、零司へ詰め寄る。


「なんで!? レイジだったら、魂の半分もあれば、あたしを魔王にすることができるんだぞ! 普通の人なら百回人生あってもできないんだぞ! 寿命を有効活用しようと思わないのか!?」

「どうして俺の寿命で、おまえを魔王にしなきゃならんのだ。有効活用どころか無駄遣いだ」

「そしたらレイジは間違いなく世界一の大富豪だし、魔王になったあたしは魔界一カッコいい結婚相手を見つけることができるんだぞ!? ウィン‐ウィンじゃんかっ!」

「魔王になってやることが男を捕まえることなのか!? 下らなすぎて付き合いきれん!」


 むーっと札束を抱えたままマモンが頬を膨らませた。それを無視して、零司はくるりとイスを回すと机に向かった。


「俺がおまえの力を欲することは絶対にない。寿命とカネを換えるなんてナンセンスだ。俺に構う暇があったら、他の人間を当たれ。そのほうが早く魂が集まるぞ」

「うーん、それは無理だな。だって、レイジとあたしはもう契約済だもん」


 は? と零司は首を回した。


「何だ、契約って。俺はそんなのした記憶がないぞ」

「責任を取りたくないからって、まだそんなことを言うのか? レイジは強情だぞ!」


 マモンが鏡を取り出した。


「はい、あーん」


 訝しく思いながらも言われるがまま口を開けた零司は、鏡を見て凍りついた。


「な、これは!?」


 零司の舌には、円と六芒星、アルファベットが組み合わさった複雑な図柄が、黒々と描かれていた。


「それは、契約の印章(シジル)だ。悪魔が唾液を使って契約者の身体に刻む証だぞ。悪魔はその印章を介して魂を吸収するんだ」


 印章を引っ搔いてみるが、滲むことも取れる気配もない。まるで烙印だ。赤と黒のコントラストで圧倒的な存在感を放っている。零司の胸に、底知れぬ恐怖が湧き上がった。


「なんで、契約なんか……俺は同意してないぞ……」

「レイジの意思なんか関係ないぞ。印章は身体のどこに付けてもよかったんだけど、破壊されると契約が無効になるんだ。ココなら簡単に取れないだろ。キスして印章刻むなんて初めてだったんだからな。ちゃんと責任取って、あたしに魂を捧げろよな」


 零司の肩へ頭を預け、マモンは一緒に鏡を覗き込む。女の子の甘い香りが鼻孔をくすぐり、腕には魅惑の感触が押し当てられていた。が、


「くっ、この悪魔め……!」


 零司は腕を乱暴に振り払った。「あんっ」と悲鳴を上げて、マモンがベッドへ倒れ込む。


「レ、レイジ、おっぱいにムラムラしたからってダメだ! あたしは高い女なんだぞ!」

「人を性犯罪者呼ばわりするな!」


 机の引き出しを開けた零司はそこからカッターナイフを取り出す。鏡を見ながら、零司は意を決して刃を舌へ近付けた。

 と、マモンの手が重なった。


「そんなことしても無駄だ、レイジ。印章が破壊される前にレイジが死んじゃう……」

「……不思議な奴だ。俺が死ねば、おまえは魂を手に入れられるんじゃないのか」

「レイジが強欲にならないとダメだ。強欲にならない限り、レイジの魂はあたしのものにならない」


 ギュッと手を強く握られた零司は落ち着きを取り戻し、カッターの刃を収めた。

 つまり、強欲にならなければ、契約をしていたところで何も問題はないのか。

 それならいいか、と思ったところでマモンが言った。


「だから、早くレイジが魂を有効活用できるように、あたし、頑張ってレイジを堕とすから」


 は?


「そのためにも一緒に住もう。決めたぞ、レイジにカネの偉大さを思い知らせて、カネが欲しくて欲しくてたまらない強欲にしてみせる! 強欲の悪魔マモン様の腕の見せ所だ!」

「おい、おまえ、何勝手に……」


 バタバタと階段を上ってくる音が響いて、零司は口を噤んだ。

 足音は零司の部屋で止まり、ドア越しに不機嫌な声がかかる。


「お兄ちゃん、お母さん帰ってきたよ。早く終わらせないと知らないんだからね」


 何も始まってない! と返すより早く、マモンが「よし、きた!」と札束を掴んだ。そのままドアを開け、驚く栞の脇を抜け、下へ降りていく。

 何をするつもりだ!?

 我に返って後を追うと、玄関でうちの大黒柱である母親に札束を差し出していた。


「アマイモン王国から来たマモン・マイモン・アマイモンです。手違いでホームステイ先がなくなってしまって、こちらでホームステイさせてほしいんです。あ、これは謝礼です」


 数百万はある札束に母は目を丸くしていた。


「母さん! ちょっとこの子、迷子みたいだから俺、警察に届けてくるよ!」


 零司が慌ててマモンを連れ出そうとするが、


「もう遅いんだし、泊まっていってもらったらいいじゃない。……うちにホームステイしたいの? ちょうどお部屋が一つ余ってるわ。マモンちゃんがよければ、うちは大歓迎よ。家具とか足りないものは、今度一緒に買いに行きましょう。こんな謝礼もらって立派なお部屋じゃなければ申し訳ないわ」

「母さん!?」


 すっかりホームステイさせる気満々の母に、零司は絶句する。

 母に伴われ、廊下の奥へ向かっていくマモン。金髪の頭が、ふと零司を振り返った。


「――教えてやるぞ。カネで手に入らないものはないんだ」


 悪魔の微笑み。マモンはそう呼ぶのに相応しい笑みを浮かべていた。


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