第6話



 零司の朝は早い。理由は風紀委員として、誰よりも早く登校するためだ。



 いつもの時間、まだ空が明るくなって間もない時刻に目を覚ました零司は、いつもと違う重みを全身に感じて覚醒した。


 目を遣ると、そこには布団の上で零司に覆いかぶさるようにして寝ている金髪の美少女が。

 ……何のためにおまえに部屋を準備してやったんだよ。


 昨夜、夕食後に母と零司でマモンのために空き部屋を片付け、布団まで敷いて寝られるようにしたのだ。母はキャベツの芯まで札にするマモンを気に入ったようで、零司が何を言ってもホームステイさせる決定は覆らなかった。


 その後、零司は勉強するため部屋にこもったのだが、そこにマモンが札トランプをしようと押しかけてきたのだ。ちなみに札トランプとは、マモンが作った一万円札に即席でトランプの記号と数字を記したものである。ペラペラでスピードとか出来ん。

 で、札トランプを頑なに断り続けて寝た。枕元で札トランプを広げているのは確認したが、寝れば出ていくだろうと無視した。そしたらこの有様だ。


 起こすとまた煩そうなので、そっと布団から抜け出した零司は、枕元にティッシュやキャベツの芯が散乱しているのを見つけた。

 あれだけあった一万円札はどこにもない。どうやら時間が経つと、札は元のものに戻るようだ。本物になるわけじゃないことに安堵する。



 身支度を終えた零司は家を出た。

 朝日が心地よい。今日も清々しいほどの快晴だ。

 誰もいない学校に到着した零司はカバンを教室へ置き、校門前に立った。そして、登校してきた生徒たちへの身だしなみチェックを開始する。


「何だ、その髪色は。ブリーチは禁止だ。女子の髪は肩についたら結べ。男子は襟足が襟にかかったらアウトだ」

「アクセサリーの類は禁止。ピアスも指輪もネックレスも外せ。没収だ!」

「スカート丈が短い! さてはスカートを折っているだろう。今すぐ下ろせ!」

「学校指定のリボンはどうした! その靴も学校指定と違うな! ワイシャツのボタンは二番目以降を外すのは許さん」

「おいっ、バイク登校は禁止だ! そしてそれを校門前に停めるな! 邪魔だ!」

「朝から堂々とイチャついて登校とは風紀委員に喧嘩売ってんのか、おまえら! 学年クラス名前を言えっ!」


 校門前に立つ零司は、さながら獲物を探す飢えた獣だ。そんな零司の気迫に怯え、彼から目一杯距離を取って登校する生徒たち。零司が風紀委員長に就任してから続く、私立栄西中高の毎朝の光景であった。


 キィ、と音がして、校門前に黒塗りの高級車が停まった。登校していた生徒たちがにわかに浮足立ち、立ち止まる生徒も現れる。「ソフィア先輩のお出ましだ」「朝からソフィア様をお目にかかれるなんて」などという囁きがあちらこちらでしている中、運転手の黒服がレースの日傘を広げ、後部座席のドアを開けた。


 車から優美に降り立ったのは、漆黒のゴシックロリータを身に纏った銀髪の少女だった。


 高等部三年一組、ソフィア・ロート・エーデルシュタイン。透き通るような白い肌、肩で切り揃えられた銀糸のような髪、ルビーのような紅い瞳と、どれ一つとっても浮世離れした美しさに、思わず周囲からため息がこぼれる。なんでも出自は、どこか海外の財閥のお嬢様だという噂だ。

 たおやかな手で日傘を受け取ったソフィアはドレスの裾を揺らし、こっちへ歩いてくる。


「おはよう、柳生くん。今日も精が出るわね」


 絶世の美貌に優しく微笑みかけられ、零司の鼓動が跳ねた。ぴん、と背筋を伸ばして会釈する。


「おはようございます、会長」


 そう、彼女が栄西高校の生徒会長だった。容姿端麗で文武両道。実は彼女はこう見えてフェンシング部に所属しており、全国大会にも出るほどの実力者だ。非の打ちどころのない彼女は人望も厚く、圧倒的なカリスマ性で生徒会選挙では、毎年ソフィアの圧勝である。


 そして、栄西高校の校則には、生徒会長の服装は自由、と明記されているのだ。

 貴族のようなドレスも、厚底のヒールも、細い首に巻いた十字架のチョーカーも、一般の生徒であれば許されるものではないが、ソフィアだけは例外なのだ。

 あまりの神秘的な麗しさに緊張している零司へ、ソフィアは気負うことなく言う。


「柳生くんがこうして立つのも、すっかり定番になってしまったわね。たまには他の委員に任せてはどうかしら。毎朝は貴方も大変でしょう」

「お気遣い恐れ入ります。ですが、自分は慣れていますので」


 本当は他の委員が信用できないだけだ。軽い気持ちで委員をやっている連中が、他人を厳しく注意できるはずがない。

 零司の答えに、ソフィアはふっと口元を緩めた。


「相変わらずなのね。私は貴方のそういうところを評価しているわ。今、うちの学校の規律は、柳生くん一人の肩にかかっていると言っても過言ではない。今年も期待しているわよ」


 ポン、と零司の肩を叩いたソフィアは、挨拶をしてきた他の生徒たちに笑顔で応えながら校舎へ向かっていく。

 ドキドキが収まらないまま、ソフィアの後ろ姿を見送った零司だったが、



「レーーーイーーージーーーー!! なーんーでー置ーいーてーくーのああぁぁっ!!」



 キキーッ、ドン。ガシャン!

 顔を前に戻すと、黒塗りの高級車に大型バイクが追突していた。車のフロントはべっこり凹み、ヘッドライトは無残に割れている。


 げえっ、会長の車が! どうすんだ、これ!

 校則違反者どころではない事態に顔を引きつらせていると、バイクから降りたマモンはレイジへ笑顔で駆け寄ろうとする。


 と、その腕を掴む者がいた。


「ちょっと、キミ。人の車に当てておいて、無視ってのはないんじゃないかな」


 黒服だった。淡い茶髪の優男だが、その手はしっかりマモンを捕まえている。


「お嬢ちゃんにはわからないかもしれないけど、この車、高かったんだよ。ちゃんと賠償してもらうからね」

「なんだ、カネがあればいいんだな」


 マモンが破損した大型バイクに手を当てた。刹那、それは札束の山へ変化する。昨日の箱ティッシュの比ではない。道端にできたカネの山に、呆気に取られた黒服は手を放した。

 どよめく生徒たちの中、どこで調達したのか中学の制服を着たマモンがやってくる。


「レイジー! ひどいじゃんかっ! なんであたしを置いて行くんだよ!」

「…………か、」

「か?」


「肩より長い髪は結べっ! ピアスも指輪もネックレスも禁止! 今すぐ全部外せっ! ボタンを三つも開けるとは何事だ!? 谷間見せて誘ってんのか!? 学校指定のリボンはどうした! そのスカートも短すぎるわ! ミュールで登校するとか、どんだけふざけてんだよ! バイク登校は禁止だっ! 駐輪場は申請制で校庭脇! 覚えとけっ!!!」


 一気に叫んで、はあはあと息を切らす零司。これだけの注意を一度にしたのは初めてだ。

 零司の渾身の叫びを物ともせず、マモンは口を尖らせる。


「怒鳴らなくたっていいじゃんか。昨日ちゃんと教えてくれなかったレイジがいけないんだぞ。今朝だって、おはようのチューしようと思ってたのに、いつの間にかいなくなってるし。だから、今しよ」

「おい、バカ! 離れろ! 公衆の面前でくっ付くなっ!」


 両腕を零司の首へ回し、校則違反の塊マモンは身体を押しつけ、唇を迫ってくる。ふにょんとした膨らみも当然、押し当てられている。が、零司はそれを楽しむどころではなかった。


 零司とマモンをじーっと見ながら登校していく生徒たち。

「え、女子とイチャついてるあれって、校則の鬼だよな?」「カノジョいたんだ。意外……」「なんだよ、俺たちには煩く言っておきながら、自分はやることやってんじゃねーか。女も校則守ってねーし」


 違う、こいつと俺は無関係だ!


 しかし、この状況での弁明に、説得力は皆無。零司はマモンを突き飛ばした。


「あんっ。冷たいぞ、レイジ! 昨日一晩、同じベッドで過ごした仲じゃんかっ!」

「ばっ……!」


 校門前で高々と叫んだマモンに零司は青ざめる。

 火に油だ。炎上した生徒たちのヒソヒソ話は、もはや消火不可能だった。


「ふん、レイジが拒否したって、あたしは諦めないんだからな! 今に見てろっ!」


 ビシッ、と指を突きつけたマモンは校舎へ走っていった。……待て。何故、そっちへ行く? そもそも、おまえはうちの生徒じゃないだろう!


 不法侵入に気付いたときには遅い。ミュールを履いているにもかかわらず、快走したマモンはすぐに見えなくなった。


 後に残された零司は再び風紀委員の職務に戻ろうとして――挫折した。生徒たちの非難がましい視線が針のむしろとなって零司へ注がれていたのだった。


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