第7話



 校門前から退散した零司が教室へ戻り、窓際の自席へ着くと、背中を突かれた。


「うす、今朝は早いな。もう風紀委員の活動は終わったのか?」


 振り返ると、後ろの席の結城(ゆうき)が嫌味のない笑顔を向けてきた。こいつとは中学のときからずっと同じクラスで、さらに出席簿の関係上、かなりの確率で席が前後になる。これといって特徴はないが、いくら零司が注意しても制服を着崩す強いメンタルを持っている奴だ。


「ああ、今日はちょっとな……」

「そいやー俺、さっき、すげえニュース聞いたんだよ。校則の鬼がめっちゃ可愛い金髪巨乳中学生と不純異性交遊デビューって」


 ギロリ、と目を鋭くさせた零司の肩を結城が、がしっと掴んだ。


「なんだよ、おまえ、隅に置けないじゃないかよ! おまえだけは俺を裏切らないと信じてたのに! なあ、どうやって知り合ったんだ? 頼むよ、俺にも紹介してくれよ!」


 勝手に仲間意識を持たれていたとは心外だ。

 哀れに泣きつく結城の手を、零司は邪険に振り払った。


「その噂はデマだ。事実無根の情報に惑わされるな。あと、ネクタイはきちんと締めろ。第二ボタンを外すのは禁止だ」


 零司の素っ気ない態度に結城がきょとんと瞬きをした。


「……いつもの柳生だ。そうか、やはり噂は嘘だったんだな。俺もなんかおかしいと思ってたんだ。堅物の柳生が不純異性交遊なんて」

「当たり前だ。校則の遵守を徹底させるべき風紀委員長の俺がそんなことするか」

「そうだよな。じゃあ、やっぱり金髪巨乳の知り合いがいたり、その子に抱きつかれてたり、キスしたり、同じベッドで一夜を過ごしたりなんて嘘だったんだな」

「えっ、あ、ああ、そ、そうだな……」


 途端に歯切れが悪くなった零司を不審にも思わず、結城は「安心したぜ、相棒」と零司の背中を叩いた。誰が相棒だ。そんなことはネクタイを締めてから言え。


 そうしているうちに担任の胡桃沢(くるみざわ)が入ってきた。身長が低く、とんでもなく童顔の女性教師で、ぱっと見、小学生にしか見えない。

 朝の挨拶をした後、胡桃沢が「今日は皆さんに留学生の紹介がありまぁす」と言った。

 どうぞ、と促されて、教室に入ってきたのは、



「アマイモン王国から来たマモン・マイモン・アマイモンです。王位を継ぐための修行として、留学して来ました。好きなものはおカネ、好きな言葉は金銀財宝、好きなタイプは大金持ちのイケメンです。今はレイジの家にホームステイしています!」



 早退していいですか?


 教卓で元気に自己紹介をするマモン。零司の名前が出たところで、クラス中の視線が集まる。特に背後からの視線は痛い。零司は思わず頭を抱えていた。


 どんな手段を使った……! 俺のクラスで留学生だと!? そして何だそのふざけた自己紹介は。アマイモン王国なんてねえよ! どんだけ金好きアピールしてんだよ! 玉の輿狙ってんなら来る場所、違うだろうがっ!


 叫び散らしたいのを堪える零司の周囲では、マモンの容姿にテンションの上がった男子たちがサルみたいに騒いでいる。


「じゃあ、アマイモンさんの席は、一番後ろのあそこですね」


 胡桃沢が最後列の空席を示す。クラスメートの視線を受けて、大人しくそこへ向かうかに見えたマモンだったが、途中でクルリと方向転換した。零司のほうへと歩いてくる。

 おい、クラスでも何かやらかすんじゃないぞ……!

 ビクビクしながらマモンを見つめていると、彼女は零司の隣の席で止まった。


「あたし、レイジの隣がいい。ねえ、これで席代わって」


 そう言って、ポケットから無造作に出した札束を女子生徒へ差し出した。

 うおおっと教室がどよめいた。当然だ。こんな多額の現金はまずお目にかかれない。隣の女子は戸惑い、「え、え、え……?」とマモンの顔と札束を見比べ、


「席代わるくらいで、おカネもらったら悪いよ! いいって、柳生くんの隣、息詰まりそうでわたしも嫌だったから、気にしないで!」


 俺のことは気にして欲しかった。

 えへへ、と上機嫌のマモンは零司の隣に座るが、授業を始めようとする胡桃沢に「先生っ!」といきなり挙手をした。


「あたし、クラスのみんなと仲良くなりたいんで、これでこの時間は自習にしてください!」


 言うなり、今度は両のポケットから札束を取り出した。

 お喋りと自習は違う!

 だが、そんなツッコミを入れる人はいなかった。誰もがマモンの手にある現金に釘付けになっていたからだ。それは胡桃沢も例外ではなかった。


「はわわ、こんな大金……持ち歩いてたら危ないですよ。強盗に遭わないように今から先生は銀行へ行ってきます! ということで、自習!」


 マモンから札束を受け取った胡桃沢は、一目散に教室を飛び出していった。

 なんてことだ、教師を買収するだと……!?

 唖然とする零司の隣では、


「ねえねえ、アマイモンさんって、なんでそんなおカネ持ってるの!?」「もしかしてまだ持ってる!? うち、お小遣い少なくてさー」「ご両親は何やってる人なの?」「実家は豪邸? プール付き?」


 興味津々の生徒たちがマモンを取り囲んでいた。


「アマイモン王国には、いっぱいカネがあるんだぞ。さっきのはほんの一部で、まだまだ持ってるぞ。あたしのお父様は王様なんだ。家はお城でプールは付いてないけど、溶岩が噴水みたいに湧いてるぞ」

「え、てことは、アマイモンさんって、お姫様……?」

「そうだ。あたしは姫なんだぞ! 同じクラスになったみんなには、太っ腹にあげちゃうぞ」


 気をよくしたマモンがまた札束を出し、おおっとクラスが沸く。

 ……アホらし、英単語覚えよ。

 マモンの席にハイエナのごとく群がる生徒たちから一線を引き、零司は単語帳を開く。


 突然、肩を叩かれた。結城だ。成り行きとはいえ、嘘をついてしまったことに罪悪感を覚えて「いや、さっきのは……」と言いかけると、


「おまえ、取らなくていいのかよ! マジで一万円札だぞ!」


 目を輝かせた結城が札を持っていた。

 誠意ある対応をしようとした俺がバカだった。


「いらん。うちには腐るほどある」

「何だと!? そうか、柳生の家に泊まってるんだもんな。おまえ、マモンちゃんからどんだけカネもらってるんだよ!」

「騙されるな。それはただのティッシュペーパーだ」

「なっ、おまえ、一万円札をティッシュ扱いだと……!? どこのセレブだ!」

「違う! 本当にそれはうちの箱ティッシュなんだ!」


 それでもまだ、「カネをティッシュ代わりに使うなんて恐ろしい奴……」と慄いているので、放置した。そのうち気付くだろ。


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