第32話



 少女は結城からマモンへ目を移す。感情のこもらないガラス玉のような瞳がきらりと光り、マモンの不敵な視線とぶつかった。



「久しぶりだな、アシュ。あたしに遊んでもらいたくなったのか?」

「潰しにきたの間違い、マモン」

「はは、マモン様と呼べと言ってるだろ! あたしは玉座に就く女だぞ! 泣き虫アシュに潰されるはずがないじゃんか!」

「泣き虫は、過去の話。今は違う」


 いきなり火花を散らし始めた少女二人に、結城が零司の袖を引いた。


「え、あの二人、知り合い?」

「姉妹だそうだ」


 仲はよくないみたいだけどな、という言葉は内心で留める。家族は一番身近な強敵、と言っていたのが思い起こされる。

 マジかー、美人姉妹じゃん、と結城が萌えている間にも、マモンとアシュマダイの言い合いは続いていく。


「大体、アシュのその恰好は何だ? プールが楽しみだからって、水着はまだ早いぞ!」

「これが学校指定の水着と聞いた。何か問題が?」

「だーかーらー、なんで水着なんだ? 制服にすればいいだろ」

「色欲にしては色気がないから、それっぽい恰好をしたほうがいい、とレヴィに言われた」


 レヴィ? とマモンは素っ頓狂な声を上げた。次いで、あっはっは、と豪快に笑う。


「アシュは嫉妬のレヴィアタンの話を真に受けたのか!? あの性悪女がほんとのことを言うはずがないだろ。マモン様だったらまだしも、ぺたんこのアシュが水着なんか着たとこで、恥ずかしいだけだな!」


 これ見よがしに腕を組んで、たゆんと胸を持ち上げてみせるマモン。

 対してアシュマダイは絶壁ではないが、わずかに膨らみが認められる程度。マモンの胸から自分の胸へと視線を移したアシュマダイは、考え込むように沈黙し、



「…………………………………………じゃあ、脱ぐ」



「待て待て待て、こんなとこで脱ぐな!」


 肩から水着を外しかけたアシュマダイに、零司が慌てた。自分のブレザーを脱ぎ、アシュマダイへ突き出すと、幼い少女は瞳をきょとんと瞬かせた。


「校内をそんな恰好でウロつかれたら困る。これでも着てろ」


 逡巡してから、おずおずとブレザーを受け取った少女に、零司はおや、と思った。いきなりキスしてきたにしては、人見知りのようだ。

 それを横で見ていたマモンが、むうと口を尖らせる。


「なんかレイジが優しいぞ。鬼畜じゃない!」


 膨れ面のマモンは、零司のブレザーを着たアシュマダイを睨みつける。


「ふん、レイジにちょっと優しくされたからって、調子に乗るなよな! レイジはいずれマモン様が鬼畜魔王にするんだからな!」

「調子に乗っているのはどちらかしら。貴女こそ、柳生くんの意向を完全に無視しているように見えるのだけれど」


 横槍を入れたソフィアにマモンが反駁しようとしたとき、

 ピッ。

 不意に額へカードを押し当てられた。カードを手元に戻した幼い少女は、それを零司に示す。


「強欲のマモンが堕とせなかった契約者、レージ。色欲値はゼロ。最強の魂を持つ彼を、色欲に堕とす。成功したら、一発逆転のチャンス」

「お、堕とせなかったわけじゃないぞ! 今、レイジは攻略中だ! ラスボスだから時間をかけて、じっくりとだな……」

「同じこと。わたしが彼を先に堕とせば、わたしの勝ち」


 マモンがぐっと黙り込んだ。

 アシュマダイは首からかけている小瓶を手に乗せた。魔力瓶だ。


「もうわたしは彼と契約済。この学校には、わたしの魔力を拡散させてある。印章を持つ者が学校へ入れば、自動的に惹きつけられる。契約者が色欲に耽るほど魂は削られる。同時にわたしの魔力は増え、効果範囲は広がっていく。彼の魂をもってすれば、その効果は世界中を覆い尽くす」


「それで柳生くんがこんなことになっていたわけね。どうりで休み時間の度に柳生くんのクラスの前に、女子が溜まっていたわけだわ」


 納得するソフィアの横で、零司はうんざりとして言う。


「おまえの目的はわかったが、おかげで俺は非常に迷惑しているんだ。一刻も早く、おまえの効果を解いてくれないか」


 え……とアシュマダイが戸惑ったように言った。


「迷、惑……?」

「おまえは善意で契約しているようだがな、今の俺にとっては迷惑以外の何物でもない。俺を堕とせるなんて考えないほうがいいぞ。別の契約者を見つけるんだな」

「――」


 絶句したアシュマダイに、マモンが「やーい、やーい」と囃し立てる。


「ほらな! 聞いたか? レイジはぺたんこのアシュとは付き合いたくないって! おっぱいがあるマモン様がいいって!」

「おまえこそ俺の言葉をちゃんと聞いてたのか!?」


 腕をギュッと抱えてくるマモンを振り解きながら零司がツッコむ。

 と、アシュマダイが俯いた。


「…………無理」


 ぽつり、と呟き、アシュマダイは魔力瓶を握り締める。


「魔力を全部、この学校に使った。レージを堕とさない限り、わたしに後はない」


 何だって……!?

 マモンがアシュマダイの魔力瓶を見て、驚いた声を上げる。


「ほんとだ。魔力がほとんど残ってないぞ! これじゃ、大怪我したら修復できないな。ヘリコプターから落ちたりできないじゃんか!」


 そんなことをするのはおまえだけだ。


「わたしはこの契約にすべてを賭けている。レージを堕とすか、わたしが敗北して消えるか、選択肢は二つ」


 人形のように表情を変えない少女は、零司を見つめて言った。



「――わたしの全力であなたを色欲に堕としてみせる」


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