第18話



 夕食の後片付けを終え、零司が自室で机に向かっていると、コンコンとノックがした。


 ちらりと見ると マモンだった。


「これ、シオリがレイジにって。『部活で作った余り物だから、お兄ちゃんにあげる』だって」


 マモンはガトーショコラの乗ったお皿とお茶を持っていた。すっかり栞に使われている。

 余り物にしては立派なそれを一瞥して零司は言った。


「ああ、後ろのテーブルに置いといてくれ」


 マモンが皿とコップを置く音がした。

 用事を済ませたマモンは動こうとしなかった。かといって、昨日みたいに遊んでとねだるわけでもない。零司がカリカリとシャープペンを走らせる音だけがしている。


「……シオリに聞いたぞ。レイジはショーガク金がいるんだろ」


 ペンを動かす手が止まった。


「ショーガク金がないと、学校に行けないって。大学も国立じゃないと入れないから、頑張って勉強してるんだって。本当は自分が公立に行けば、そんなこと悩まなくてよかったんだけど、自分のせいでレイジは苦労してるって」


 やっぱりそう思ってたんだな……。

 栞の内心がわかり、零司は深く息を吐き出した。

 零司としては、栞のせいだなんて思ったことは一度もない。誰のせいか。強いて言えば、失踪した父親のせいだが、誰かを責めて解決するわけではない。


 おまえはそんなこと気にしなくていい、と言ってやりたいが、それは無駄だろう。零司が何と言ったところで、栞は自分を責めてしまう。そういう子だ。


「不思議だな。あたしの家族は、みんながみんな、自分が好きなようにする。陥れることはあっても、助け合うことはない。自分以外のみんなが敵。家族は一番身近な強敵だ」

「なんとも悪魔らしいな」

「でも、レイジの家は違うんだろ。家族が困ってたら助けるんだって、シオリは言ってた。あたしも家族の一員なんだろ。あたしもレイジを助けたいぞ」


 机の上に消しゴムより薄い札束を置かれた。


「ショーガクってこれくらいか? もっと少ないか? あたしならショーガクじゃなくて、大金にするけどな。学校は変わってるな」

「はっ、バカか。少額じゃなくて奨学金だ。意味もわからずに言ってたのか」


 呆れ返った零司はペンを放ると、マモンを見上げた。諭すように口を開く。


「おまえのカネは贋金だ。その場でうまく誤魔化せたとしても、後でバレる。そんなものを使う気はない」

「相手が受け取ってしまえばこっちのもんじゃん。後は知らないって言えばいいし。そんな簡単なことがわからないレイジじゃないだろ」

「そうだな。でも、おまえのカネはいらない。悪魔の助けなんかなくたって、俺は今まで自分でどうにかしてきた。これからもだ」


 マモンはムッとした顔で沈黙する。

 その顔を見つめ、零司はふと興味が湧いた。悪魔と知恵比べをしたらどうなるだろう、と。知恵比べに勝って、悪魔を追い払う話は民話に数多くある。



「逆に訊こうか。おまえは大金を持っているんだろう。それで、どうするつもりなんだ?」

「どうするってどういうことだ。意味がわからないぞ」


「世界のすべてを手に入れられるカネがあるんだろう? でも、この世界はまだおまえのものじゃない。歴史的に見ても、ただ一人の人物が全世界を治めた記録はない。どうしてだ? おまえは強欲なんだろう? カネがあるなら、ちっぽけな俺一人の魂だけじゃなくて、この世界丸ごと買い上げればいいじゃないか」

「――」

「それなのに、おまえときたら、カネをトランプやジェンガ代わりにしている。そんなの、普通にトランプやジェンガでやればいいだろ。あえて、用途の違う札でやることじゃない。そこから導き出される結論は、これだ。――大金なんか手にしても意味がない」


 マモンが小さく息を呑んだ。無表情になったマモンに、零司は口の端を持ち上げる。


「それは、カネを持っているおまえ自身が誰よりもわかっているんじゃないのか?カネで手に入らないものは、この世界にたくさんある。だから、すべてを手に入れられるはずの富を持っているおまえは世界を手に入れられず、莫大なカネを持て余したおまえは、腐るほどある札を使って娯楽に興じているんだ。どうだ、何か反論はあるか?」


 マモンは浅い呼吸を繰り返して立ち竦んでいた。その口が動く気配がないのを見た零司は、止めを刺すべく言葉の刃を振り上げる。


「つまり、おまえのカネは、トランプやジェンガ以下だ。それを生み出すおまえの力も当然、無価値。おまえに価値はないんだよ」


 確かな手応えを零司は感じた。

 呆然としたマモンがゆらり、と後退る。と、金髪が翻り、少女が部屋を飛び出した。遠ざかる足音と、遅れて閉まるドア。


 一人になった零司は、再び机に向かった。このまま二度と悪魔が現れないことを祈りながら。



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