第56話
亜空間が崩壊し、中にいた三人は校庭の中空へ放り出された。
ドン、と地面に尻もちをつくマモンの横で、ソフィアは日傘を広げて優雅に着地する。
二人の顔色は揃って、すこぶる悪い。レヴィアタンの苦痛がどれほどのものか、理解しているからだ。
零司がレヴィアタンを埋め始めたときから、二人は銀貨の及ばない場所で固まり、零司の残酷すぎる所業にガクブルしていたのだった。
「……貴女が、柳生くんを鬼畜と言う理由がわかった気がするわ。確かに、あれは惨い……」
「だから言っただろ! レイジは怖いんだぞ! 平然とあんなことをやるんだからな!」
じゃらじゃらと音がして二人は首を回した。
校庭には銀貨の山も落ちていた。それが、まだ増殖して音を立てているのだ。
大量の銀貨から零司の腕が生えているのを見つけたマモンは、慌てて立ち上がった。
「レイジ!?」
走り寄って、その腕を引っ張る。なんとか彼を救出したマモンは、校庭に零司を横たえた。
「どうしたんだ、レイジ!? 何があったんだ!?」
零司は眉間にシワを寄せ、苦しそうな呼吸を繰り返していた。目蓋は閉じたままで、マモンの呼びかけにも応える気配がない。
「いけない、寿命を使い尽くそうとしているわ」
「何だって!?」
ソフィアの言葉に、マモンははっと自らの魔力瓶を見た。そこからはまだ、とめどなく魔力が溢れている。魔力の元は魂だ。零司の魂が絶えずマモンに注がれているのだ。
「どうしてこんなことになるの!? 柳生くんが望んだのは、貴女だったはずでしょう?」
「はあああっ、あたしだからだあああっ!!!」
マモンが頭を抱える。
「レイジが望んだのは、あたし。つまり、世界中の富そのものだ! どうりで魔力が止まらないわけだ! あたしが高い女なばかりに、レイジが死んじゃう……!」
「バカなことを言ってないで、早く止めなさい! 貴女の契約でしょう!」
「あたしの契約だけど、止め方なんて知らないぞ! とりあえず、銀貨じゃなくて一万円札にはできるけど、こんな莫大なカネを望めた人間なんて、今まで一人もいないんだ!」
マモンはオロオロするばかりで、何もできない。
やがて、マモンの足元が札束に変わった。校庭の土が次々とカネになっていく。瞬く間にそれは広がり、校舎までもが札の山へと変貌していった。このままでは、マモンの魔力によって世界中がカネに変わるだろう。
「……主よ、いつでもご命令を」
いつの間にかソフィアの背後に立っていた神父が、銀の銃を手に囁いた。
ソフィアの瞳が躊躇するように細まる。
マモンは零司の肩を掴んで揺すっていた。
「嫌だ、レイジ、起きろ! 死んだらダメだ! せっかくレヴィに勝って玉座を取ったのに、レイジがいないんじゃ、つまらないぞ! あたしの鬼畜魔王様はレイジだけだ! レイジ以外に札束ビンタされたって嬉しくないんだからな!」
激しく揺さぶられても、零司は意識を取り戻す気配がない。その呼吸が次第に細くなっていく。それを見たマモンの瞳に涙が溜まった。
「あたしと結婚するんだろ。あたしが欲しいって言ってくれたじゃんか……! レイジがいなくなったら意味がないだろ! あたしに消えるなって言っておきながら、自分は死ぬのか? そんなのレイジらしくないぞ……」
目蓋を開けない零司をマモンは強く抱き締めた。
見渡す限りの札束になった街を見つめて、力なく呟く。
「レイジ……こんなカネなんかいらない。そんなものなくたって、あたしはここにいるぞ」
マモンの涙が頬を伝い、零司の顔に落ちた。
これ以上は、とソフィアが神父を見遣ったとき、
「……なんだ、カネはいらなかったのか」
零司がマモンの胸で目を開けた。極上の感触に、思わずため息が洩れる。
「レイジっ!?」
マモンが大声を上げ、ソフィアが神父を制した。
「しっかりしろ、レイジ! あたしを望んだためにレイジは寿命を使い切って、こんなにカネを……!」
マモンに示された冗談みたいな光景を零司は、ぼんやりと見つめ、
「……でも、いらないんだろ。さっき、言ってたよな。カネはいらないって。つまり、おまえはタダだったってわけか」
「え、そ、そうだな、そういうことに……あれ?」
「はあ。じゃあ、俺の寿命は返しといてくれよ……おやすみ」
「レイジ!? レイジイイィ!?」
再び目を閉じた零司にマモンが慌てる。
が、零司はすーすーと安らかな寝息を立てていた。マモンがぽかーんとする。
「……魔力が止まったわね」
ソフィアがほっとして言った。魔力瓶は沈黙し、札の増殖も止まっている。しばらくすれば、街は元通りになるだろう。
「レイジが寝ちゃったぞ……?」
「無理もないわ。これだけのおカネを出したのよ。おそらく彼は血族としての寿命、数千年を消費しているわ。疲れないはずがないでしょう。それに――」
ソフィアは天を仰いだ。
亜空間に入る前は漆黒だった空が群青に染まり、橙色とグラデーションを描いている。
「今、何時だと思ってるの?」
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