エピローグ

第57話



 翌月曜日。



 欠伸を噛み殺しながら、零司は教室で授業を受けていた。時折、意識が遥か彼方へ飛びそうになるのを、胡桃沢の声で辛うじて繋ぎ止める。



 朝、目覚めたら零司は自室のベッドにいた。

 レヴィアタンを倒した後、どうなったのか。自分はどうやってここまで帰ってきたのか。まったく記憶になかったが、激しい眠気を堪えて階下へ行くと、栞にこっぴどく怒られた。

 栞の目が真っ赤に腫れていたので、「心配かけたな、ごめん」と言ったら「お、お兄ちゃんが心配で泣いたんじゃないからね! 寝る前に小説読んでたら、感動して泣いちゃっただけだもん!」と、さらに怒られてしまった。


 こんな日も、風紀委員長としての役目を果たすべく校門脇に立った零司だが、極度の寝不足でほとんど立っているだけであった。

 ちゃんと登校してきたソフィアにも「昨夜はお疲れ様。今日くらいゆっくり登校してきてもよかったのに」と苦笑されてしまった。そう言うソフィアも少し眠たげだった。


 教室に着いたら、結城はやたら元気で、またいつか泊まりに行ってもいいか? と訊いてきた。断る。



 ノートを取りながら、零司はちらりと隣を見遣った。そこに金髪の少女の姿はない。



 家を出る前、マモンの部屋を覗くと、そこは空っぽだった。マモンが揃えたはずの家具もない。すべてが夢だったかのような、がらんとした部屋に一瞬呆気に取られたが、落ち着いて考えたら納得した。


 マモンは魔力を集めるために地上へ来ていたのだ。そして、零司が見た最後の記憶では、マモンの魔力瓶はいっぱいだった。


 つまり、マモンは目的を果たし、魔界へ帰ったのだ。


 いつ魔王が代替わりするのか知らないが、次期魔王の座はマモンに決まったのだろう。今頃、浮かれているマモンが目に浮かび、零司はひっそりと口元を緩めた。


 おそらく、これは零司の予感だが、マモンは戻っては来ない。玉座争奪戦は終結したのだ。マモンが人間を堕落させようと奔走する日々は終わり、マモンが零司に付き纏う理由はなくなった。結婚して零司を魔王にすると散々言っていたが、それも零司が堕ちないから意固地になっただけなのだろう。


 ――結局、望んだって手に入らないんだよな。

 自嘲気味に息をついた零司は、胡桃沢が板書している隙に頬杖をついて窓の外を眺めた。


 晴れ渡った空は、どこまでも青く遠い。

 悪魔とは無縁の平穏な日常が戻ってきたことを感じ、零司が欠伸を噛み殺したとき、キラリと空で何かが光った。


 何だ? と思ったのも束の間、黄金色のそれはどんどん近付き、




「レイジ―――ッ! あたしを受け止めて――――――っっっ!!!」




 思わず窓を開けていた。

 真っ直ぐこっちへ飛んでくる少女に、思考を失う。避けることはできなかった。


 窓から突っ込んできた少女が零司の正面へ飛び込む。抱き留めようとした零司だったが、マモンの勢いに負けて失敗した。二人で教室に倒れ込む。

 ガタガタン、と机やイスの激しい音がした。


「大変だ、レイジ! 一大事だぞ!」


 零司をクッションにしたマモンは、上に乗ったまま真剣な目を向けてきた。


「さっきあたしは魔界に行ってきたんだが……!」

「ストップ」


 マモンの言葉を手で制した零司は、マモンを退かし、教室を見渡した。そこには唖然とする胡桃沢とクラスメート一同が。

 倒れていた机とイスを直し、零司は胡桃沢へ言った。


「すみません。保健室へ行ってきます。こっちも頭を強く打っているみたいなんで、連れて行きます」


 授業をどうぞ、と促し、零司はマモンを連れて廊下へ出た。

 零司たちが出た途端、教室が騒然となったが、胡桃沢が静かにさせてくれることを期待する。



「レイジ、見てくれ。魔力瓶が空っぽなんだ!」


 廊下を歩きながらマモンは言った。示された瓶は確かに何も入っていない。


「魔界へ行って、玉座をもらおうと魔王様に魔力瓶を見せたら空になってたんだ。あたしはとんだ恥をかいたぞ! 昨日は確かにいっぱいになっていたのに、なんでこんなことになってるんだ!」


 まるで零司が悪いみたいに睨まれ、零司は視線を巡らせた。


「さあ……俺が望んだのは、おまえを手に入れられるカネだからなあ。おまえの価値によっては……」

「あたしに価値がないって言うのか、レイジ! ああああ、なんであたし、あんなこと言っちゃったんだあ……。あたしは本当は高い女なんだぞっ!」


 違げえよ、そういう意味で言ったんじゃねえよ。

 零司が言う前に、マモンはぷりぷり怒って廊下を先行してしまう。その背中を見つめ、零司は言葉を洩らしていた。



「……もう戻って来ないかと思った」



 マモンが怪訝な顔で振り向いた。


「部屋に何も残ってなかったからな。ここには戻る気がないんだと思った」

「当たり前だろ。玉座が手に入ったと思ったんだ。魔界へ帰るに決まってる」


 だよな、と零司は目を伏せた。


「でも、実際にはまた一からだぞ。だから、レイジも引っ越し準備は中止していいからな」

「……は?」


 顔を上げると、金髪の少女は不敵に微笑んでいた。


「本当は玉座が手に入ったらすぐに、迎えに行くはずだったんだけどな。レイジも期待して引っ越す準備してたんだろ。なんてったって、魔王様になるんだもんな」

「――」

「それが、またレイジの家に戻ることになるとはな。引っ越しが全部無駄になったぞ。今度こそレイジを堕として、玉座を取って、レイジを鬼畜魔王様にするんだ。魔力瓶が空っぽになったからって、まだマモン様は負けたわけじゃないんだからな!」


 憤然と新たな決意を固めるマモンに、零司は呆然としていた。

 やがて、ふっと笑みをこぼす。


「……そうか。なら、行くぞ」

「ん? どこにだ?」

「保健室だ。さっきおまえに追突されたせいで、背中が痛むんだよ!」


 マモンの手を取り、零司はずんずんと進み始めた。手を引かれるマモンが、ぱちくりと瞬きをする。


「レイジ……? 手……」

「なんだ。嫌か?」


 離しかけたが、「嫌じゃない! 嫌じゃないけど……!」とマモンが慌てて零司の手を握る。不思議そうな視線を頬に感じ、零司は言った。


「おまえ、嫉妬するくらいしたかったんだろ。今なら誰もいないから、特別だぞ」


 マモンの顔がぱっと輝く。


「えへへ、手つなぎデートだな! 初めてあたしに優しくしてくれたな」


 さっきの膨れっ面はどこへやら。零司の隣でマモンはデレデレと表情を崩した。


 価値がないなんてとんでもない。プライスレスだから、カネで計れなかったんだろ。

 嬉しそうなマモンを横目にそう思った零司は、そっと少女の手を握り返した。



                                 Fin  


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クソ真面目な男子高生が強欲の魔王になるまで ミサキナギ @verdigris

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