第21話
ツーツーと返すスマホを見つめ、零司は力なくトイレの壁へもたれた。
何だ、これは。栞が、誘拐……?
呆然とする零司の耳に、チャイムが聞こえてきた。三時限目の開始の合図だ。
潮が引くように廊下から喧騒がなくなっていくのが、トイレにまで伝わってくる。
しばし個室で放心していた零司だったが、スマホをきつく握り締めた。眼鏡を押さえる。
こんなことをしてる場合じゃない。栞を早く助けないと、何をされるかわからない……!
寿命を惜しんではいられなくなった。マモンに頼りたくはなかったが、栞の身には代えられない。今すぐマモンと家に帰り、カネを作らせて……。
覚悟を決めた零司は個室のドアを開けた。
目の前に立つ黒ローブ。
――一瞬の思考停止。
零司は勢いよくドアを閉めていた。
しかし、次の瞬間、木製のドアはバリバリッと凄まじい音と共に破られる。木っ端微塵になったドアの向こうで、斧を持った悪魔は禍々しくも存在していた。
「おまえがマモンに堕ちることは許さない」
しゃがれた声が、死刑宣告のように告げた。
こいつ、さっきの電話を聞いてたのか……!
戦慄する零司に、悪魔は続ける。
「マモン相手にまだ堕ちてないのは、褒めてやろう。誇っていいぞ、人間。清らかな魂のまま逝くがいい」
悪魔が斧を振り上げた。
個室の狭い空間で追い詰められている零司の背に、冷や汗が伝う。
ここでやられるわけにはいかない。栞を助け出すまでは……!
そう思った瞬間、手を伸ばしていた。
無我夢中で斧の柄を掴む。
ローブの奥から息を呑む音が聞こえたような気がした。
片手で斧を押してくる悪魔。両手で押し返す零司。腕一本分、零司が有利だが、その表情は苦渋に歪んでいた。
女とは思えない馬鹿力だ。
力比べをする零司の額に汗が滲む。
と、不意に声がした。
「……その力、おまえ、人間か?」
何だ、その問いは。まるで零司の腕力が人間以上みたいだ。
答えられない零司にローブは嘲笑うように言った。
「どんな小細工をしたか知らないが、無駄だ。大罪たる私に、おまえは敵わない」
ローブのもう片方の手にも斧が現れ、零司は青ざめた。
無理だ。二本の斧は防ぎきれない。
新たな斧に襲われるより早く、零司は悪魔にタックルしていた。悪魔といえど、女の体格である。その小柄な身体が一歩、後退した隙に零司は個室を飛び出した。
「待て……!」
鏡越しに斧を投擲する様が見えて、零司は伏せた。斧を受けた鏡が粉砕したのを後目に、トイレを脱出する。
チッと後ろで舌打ちが聞こえた。
この悪魔はマモンのいないときを狙ってやってくる。つまり、マモンの元まで逃げれば助かるはず。
そう考えた零司は自分のクラスへ向かって駆け出すが、
「無駄な足掻きだと言っている」
ヒュ、と風切り音がして、背中を重い衝撃が貫いた。
「がはっ……!」
足がもつれ、倒れる。斧が零司を直撃していた。息が止まりそうな激痛。傷口が熱く、脈打つ。流れ出る血の感触。頬に当たる廊下のリノリウムが冷たい。
ヒタ、ヒタと足音が迫る。
悪魔はトドメを刺すべく近付いてきていた。
もうダメだ……。
絶望と共に零司の意識は闇に呑まれる。
が、悪魔の足は唐突に止まった。
「っ!」
廊下の曲がり角から、ヒールの音が近付いてきたのだ。それから逃れるように悪魔は踵を返した。校舎の奥へと消えていく。
廊下に血溜まりを広げる零司を見つけたソフィアは、軽く嘆息をついた。
「……また鼠が入り込んだようね」
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