第13話



 長い一日が終わった。



 終礼後、気疲れを覚えながらカバンを取ったとき、


「柳生くん、お話があるので、この後、ちょっと職員室に来てくれませんか」


 胡桃沢に声をかけられた。

 滅多にないことに不思議に思いながら行くと、


「この写真がね、生徒の間で回っているみたいなんです」


 スマホに収まるキスシーン。

 見るのは二回目なので、さすがに衝撃は弱かった。


「校内で使っていた生徒のスマホを取り上げたら、みんなこの写真を見ていたんです。これ、柳生くんでしょう。スマホを取り上げた先生たちも、この写真には驚いていまして……」


 あいつら……くそ、煽りすぎたか。消される前に流布させるとは、やってくれる。

 神妙な面持ちで昼間の三人組への怨嗟を募らせていると、零司が怒っていると勘違いしたのか、胡桃沢があわあわと顔を覗き込んできた。


「先生、柳生くんの気持ちはわかりますよ! 柳生くんだってそれは年頃の男の子だし、女の子に興味があるのは普通のことだと思います! 女の子と付き合ったり、キ、キスしたり、そ、その、セ……ぁ、セ、セセセッ……!」

「……先生、聞いてるこっちが恥ずかしいので、早く要点を言ってくれませんか」

「ううう、無理ですうう。いくら生徒とはいえ、やっぱり男の子に向かってそんな言葉言えませんんん! 先生に性教育は無理ですうう……!」

「違います! この話全体の要点です! 何のために俺を呼んだんですか!?」


 職員室の真ん中で性教育を泣き叫ぶロリ教師と、俺。他の教職員のこっちをチラチラ窺う視線がヤバい。

 うう、ぐすっと鼻をすすりながら胡桃沢は口を開いた。


「……柳生くんが普段、真面目な学校生活を送っていて、風紀委員長としてしっかり活動をしているのは先生たちも認めているんですけど、こういう写真が出回るのはまずいんです。特に保護者にこれが見られてしまうと、大変な問題になります」


 それは教師としてではなく、学校の運営者としての言い分だった。

 私立学校において保護者というのは、いわば「お客様」だ。彼らのカネがなければ学校の運営は成り立たず、学校はとにかく保護者へ媚びる。保護者会役員の一言で校則が変わることなどザラだ。


「それと、こんなこと本当は言いたくないんですけど……柳生くん、スカラシップ生ですよね。スカラシップ生の条件は、成績優秀であり、学校に奉仕していること。そして、品行方正であること。男女交際の噂などがあると、それが取り消しになる可能性があるんです」


 気が付いたら唇を噛み締めていた。


 スカラシップ。それは奨学金制度のことだ。零司は高一のときから学校のスカラシップ生になり、高い授業料を払っていない。

 そもそも二年前に父親が事業に失敗して失踪し、事実上の母子家庭になった零司の家に、二人の子供を私立へ通わせられる経済的余裕はないのだ。


「……柳生くんのご家庭の事情は知っていますから、先生もこの件は大きくならないよう何とか頑張ってみるので、柳生くんも今後は気を付けて学校生活を……」


 胡桃沢の言葉も半分に、零司は職員室を出た。




 廊下を歩いていると、零司を認めた何人かの生徒たちが回れ右して逃げていくのが見えた。おそらく校則違反者だ。普段なら叫んで追いかけるところだが、今はそんな気力もなかった。


 部活に向かう生徒たちの喧騒が遠く感じる。心ここにあらず状態で教室へ向かっていると、視界に天使が現れた。


「……あれ、栞?」


 高等部の校舎にいる妹の姿に驚く。

 と、中等部の女子二人と一緒にいた栞は、仏頂面になった。


 やべ、声かけ禁止忘れてた。

 はっとしたときには既に遅く、友達二人は零司を見るなり怯えたように目を逸らし、逃げるように先へ行ってしまった。そんなに怖がらなくてもいいのに……。


「校内では声かけないでって言ってるじゃん」


 口を尖らせて、ぶっきらぼうに言われた。それでも、無視して行ってしまわない栞は、やはり天使だと思う。


「すまん。高等部にいたからびっくりして……」

「今日は中学の家庭科室使われてるから、高校のほうで活動するの」

「ああ、今日はおまえの部活の日だったな……」

「そうだよ。だから、夕飯はお兄ちゃんの担当だからね。昨日、食材使い切っちゃったから、スーパーで買い物しといてよね」

「了解」


 パートで家計を支える母の帰りは遅く、こうして二人は交替で夕食を作っている。

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