第25話



「お兄ちゃん……」



 腕の中で栞が震えた声を上げた。

 零司は腕を緩め、妹の顔を見下ろす。そして、その表情にはっとなった。

 栞は両目に涙を溜めて、懸命に堪えていたのだ。


「どうした、栞!? 怪我したのか!? どこか痛むのか!?」


 慌てて栞の身体を離して傷付いていないか見た零司へ、栞は抱きつきた。


「……怖かった、怖かったよお……お兄ちゃん、来てくれないのかと思った……わたしのこと、見捨てて、助けに来てくれないのかと……!」


 安心した自分が間違っていた。

 そうだ。栞は朝からずっと、身代金目的の不法侵入者と家にいたのだ。何もされなくたって、そのストレスは半端ないだろう。ましてや零司が来たのは、期限の時間ぎりぎりなのだ。


 初めに見せた表情と声は虚勢だ。零司を安心させるための強がりだ。

 普段の素っ気ない態度を脱ぎ捨てて、堰を切ったように泣く栞を零司は強く抱き締めた。ワイシャツが涙でじんわりと濡れていく。


「……ごめん。遅くなってごめんな、栞。怖い思いさせたな……」

「そうだよ、ひっく、遅いよお……待っている間、ほんとに怖かったんだからあ……!」

「ああ、俺が悪かった。すぐ来ないといけなかったな。反省してる」

「ふえぇーん、謝ったって許さないんだから……お兄ちゃんのバカ、バカバカっ! 変態っ!」

「……変態と言われる覚えはないぞ」


 泣きじゃくって零司の胸を叩く栞をよしよしと撫でる。と、




「変態っ! スケベっ! シスコンっ! 意地悪っ! ドSっ! 鬼畜っ! 女誑しっ!」




 罵詈雑言の嵐は背後から襲ってきた。

 振り向くと、そこには栞に負けないくらいボロボロと泣くマモンが。


「おまえ、まだいたのか! 消えろと言ったはずだぞ! 何、勝手に家に上がってんだ!」


 こめかみに青筋を立て、零司は叫ぶ。

 マモンは一万円札で涙を拭い、ずずーっと鼻をかんだ。元はティッシュとわかっていても違和感がある。


「……あたし、決めたぞ。絶対にレイジを強欲にする。レイジを堕として、魔力瓶をいっぱいにして、玉座を手に入れる。それで、それで……!」

「つくづく学習能力のない奴だな! 何をやっても無駄だ! また叩かれたいのか!」


 忌々しげに零司はマモンを睨む。けれど、マモンはそんな零司の視線を受けて、頬を紅潮させた。

 ん? と思ったのも束の間、マモンは、すぅと息を吸うと高らかに叫ぶ。



「それで、次期魔王になったあたしはレイジと結婚して、レイジを強欲の魔王にする!!!」



 何故、そうなったああああ――――っ!?

 あんぐりと口を開けた零司に、マモンはデレデレと表情を崩す。


「あたしがここまで堕とせないってことはあ、レイジは間違いなく世界最大の魔力源だし、そんなの絶対に手放せるわけないじゃんか。それに、魔王に相応しいのは、あたしにここまで屈辱と敗北感を味合わせたレイジだと思うんだ」

「な、何を言い始めた!? 結婚!? 俺が魔王!? そんなのこっちから願い下げだ!」

「遠慮はいらないぞ。鬼畜なレイジなら、きっと立派な魔王になれる! あたしの目に狂いはない!」

「狂いまくってるわ! 目どころか頭まで狂ってやがる! 俺に勝手な属性を付けるのもやめろ!」

「何言ってんだ、レイジ。もしかして無自覚なのか?」


 マモンは、ちょこんと首を傾げた。


「レイジに叩かれた瞬間、あたしに雷みたいな電流が走ったぞ。あんな経験、初めてだった。ゾクゾクして、鳥肌が立って、最高に気持ちよかったんだ。レイジになら、また叩かれてもいいぞ。むしろ、もっとしてほしいっていうか……。はあ、鬼畜魔王に冷たく見下されながら札束でお仕置き……ドキドキが止まらないな……」


 なんてことだ。こいつ、Mに目覚めてやがる……!

 妄想の世界にトリップして、うっとりとなっているマモンに、零司は心底、がっくりしていた。

 怒る気力もない。怒ったら、M属性のこいつを喜ばせることになるのは明白なのだ。


「というわけで、あたしもレイジの家族だからな! 何があってもレイジからは離れないぞ! 覚悟しろよ!」


 八重歯を見せて笑うマモン。

 こいつを追っ払うとか、俺には無理だ……。

 諦めの境地で遠い目になる零司の傍では、いつもの膨れっ面を取り戻した栞が「……変態、スケベ、女誑し」と呟くのだった。


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