第24話



 マモンが崩れ落ちたのを脇目に、零司は家の鍵を開けた。



 玄関へ入ると、わざと大きな音を立ててドアを閉めた。これで家にいる奴には、零司が入ってきたことがわかるはずだ。

 案の定、「誰だ!?」と声がして、居間から痩せぎすの中年男と、腕を掴まれた栞が姿を現した。男はひ弱そうな見た目だが、手には包丁を持ち、栞へ突きつけている。


「栞、大丈夫か! ひどいことされてないか!?」

「うん、平気だよ! ちゃんとお昼もご馳走になったよ!」


 自分のほうが状況はひどかった。

 普段より明るい表情と元気な声で返され、零司は安堵する。男は体格だけではなく気も弱いようで、暴行に及んだ形跡はないようだ。

 男は零司を見て、戸惑ったような声を上げる。


「おい、おまえ、カネはどうした!? 一億用意しろと俺は言ったはずだぞ! なんでカネを持っていないんだ!?」

「贋金の生る悪魔なら、外にいるぞ。カネが欲しけりゃ、あんたが自分で頼むんだな」

「それができないから、おまえにやれって言ってんだろ! 妹がどうなってもいいのか!?」


 包丁の先を栞の首へ近付ける男。だが、その顔は青ざめ、手元はガタガタと震えている。どっちが脅しているんだかわからない。


「こっちが危なっかしくて見てられないんだが。慣れないことはやめろよ。栞を放せ」

「だからカネだ! カネを持ってきたら放してやるって言ってんだろ! 早く持ってこい! マモン様に頼めば、すぐに出してくれるはずだ!」


 唾を飛ばして叫ぶ男。その手の甲に見覚えのある黒い印章を見つけた零司は、はあ、とため息をこぼしていた。


「ヒュウガと言ったか。あの悪魔に憑かれたのは、同じ境遇の身として同情するがな、あいつのカネに手をつけたのがそもそもの間違いなんだ。……あんた、何のためにカネがいるんだよ」


 零司の問いかけに、日向は一瞬、虚を衝かれた顔をした。


「何のためって……会社のためだよ。会社と、うちの従業員と、家族のためだ!」

「なら、子供の一人として意見を言わせてもらう。カネなんかよりも、親がいなくなるほうが何倍も辛いんだ」


 日向に抱え込まれた栞が目を伏せた。それは、栞も感じているはずのことだった。

 零司は日向を真っ直ぐ見据える。


「俺たちの親父も事業をやっていて一時は羽振りがよかったがな、失敗した途端、失踪しやがった。残された俺たちは取り立て地獄だよ。そのとき、何が腹立たしかったってな、事業に失敗したことじゃない。借金を作ったことでもない。親父が、俺たち家族の前からいなくなったことだよ」


 生きてんだか死んでんだかわからない親父への怒りを込めて、日向を睨む。


「あんた、悪魔のカネが寿命を奪うって知ってんだろ! カネと寿命を引き換えにして、家族残して死ぬつもりか? 残された奴のこと考えたことあんのか? あんたはそれで満足かもしんないけどな、まだ人生あるこっちはたまったもんじゃねえんだよ!」


 辛くても、苦しくても、一緒にいてくれるだけでよかったのだ。

 どんなに頼りなくても、いなくなるより百倍マシだ。


「バカだよ、寿命をカネに換えるなんて。何もわかっちゃいない。家族のためなら、そんなことしちゃいけないんだ……」


 日向は驚いたように瞠目していた。

 血色の悪い顔をさらに青くし、唇を震わせる。包丁が栞の首から離れ、力なく下へ降りる。



 刹那、銃声が響いた。



 包丁を落として悲鳴を上げた日向へ、階段から黒犬のように飛び降りた影が襲いかかる。同時に零司も栞へ駆け寄り、抱き締めていた。


「ぎゃあああっ……!」

「はいはい、悪魔の契約者がちょっと撃たれたくらいで喚かない」


 日向を取り押さえたのは、神父だった。二階の窓から侵入し、日向の死角である階段から隙を窺っていたのだ。


 保健室で通話を終えたソフィアから告げられたのは、「柳生くんは、犯人の注意を引きつけるだけでいいわ」という大雑把な指示だった。

 不安になったが、「必ず妹さんは助けるから、私に任せてちょうだい」と微笑まれては、それ以上深く追及することもできず、零司は帰宅したのだった。てっきり、会長自ら動くものだと思っていたのだが。

 日向の腕を捻じり上げた神父は、銀色の銃を彼の後頭部へ押しつけて笑った。


「わかるかな、これ。一般市民には馴染みのない拳銃なんだけど。下手に暴れたら、指に力が入って、また撃っちゃうかもしれないなあ。今度は頭だから、脳漿ぶちまけて即死だね。悪魔の契約者が天国へ行けるなんて思わないほうがいいよ」


 軽い口調で凄惨なことを言う神父に、日向が身を捩るのを止めた。が、身体の震えを止めることはできず、ガタガタと小刻みに動いている。

 神父は日向を大人しくさせると、零司を見下ろした。栞を庇うように抱いてしゃがむ零司は、神父を警戒に満ちた目で見据える。


「……あんたが、『まあまあ』か?」


 訊くと、神父はハッと愉快そうな声を洩らした。


「まあまあの働きをしたのは、キミのほうじゃないかな。刃物を下ろさせたのは、悪くなかったよ」


 零司のほうから神父はずっと見えていた。身のこなし、狙撃の技術、階段から跳んで日向を押さえた動き。とても『まあまあ』ではない。まるで訓練された戦闘員だ。

 胡乱げな目になる零司に神父は人を食った笑みをこぼす。


「さて、後学のためにキミも見ておくといい。悪魔に魂を売ったイケない人間の末路をね。古来から、『魔』を祓う武器としては、銀が使われてきた。悪魔や吸血鬼、狼男を傷つけられる金属は、聖なる力を持つ銀だけ。対魔戦闘のプロである教会のエクソシストは全員、銀の武器を装備している。この銃もそうだ。中には銀の銃弾(シルバー・ブレッド)が入っている」


 自分は魔じゃないのか、と訊きたくなった。それじゃ、まるで「聖」の側みたいな口ぶりだ。


「悪魔と契約者を繋ぐのは、印章。それは契約書のようなものだ。それがある限り、悪魔との縁は切れない。だから、こうする。――主の御心のままに」


 滑るように銃口が日向の手へ向いた。

 はっとして、自分の胸に栞の顔を強く押しつけていた。パン、と音がして、日向の身体が崩れ落ちる。


「彼の印章は破壊した。次に目を覚ましたとき、彼は悪魔のことをすっかり忘れている。これが、教会の正式な悪魔祓いだよ」


 躊躇いなく日向の手を撃ち抜いた神父に、零司は戦慄を覚えていた。

 聖でも魔でも、関係ない。この男は、平気で人が撃てる――。

 茶髪が振り向き、感情の読めないグレーの双眸が零司を捉えた。



「もっとも、舌などの致命的な器官に印章を付けられている場合には、契約者を殺すしかないんだけどね」



「っ……!」

「はは、冗談だよ。『魔』の殲滅を使命としているエクソシストじゃあるまいし、キミをどうこうするつもりはないさ」


 慄然とした零司に言った神父は、銀の銃をホルスターへ戻した。


「わたしの仕事はここまでだ。これは回収していくよ」


 これ――日向の襟首を掴んだ神父は、ずるずると彼を引きずって玄関へ向かっていく。気絶しているらしい日向はなすがままだ。


「あ、あんたが来てくれて助かった。会長にも、よろしくと……」


 去っていく黒い長衣へ声をかけると、神父は振り返らずに言った。


「礼には及ばないよ。これも主の思し召しだ。感謝するなら、主へ祈ればいい」

「……俺は無宗教だ」


 零司の答えに、神父は押し殺した笑い声と共に出ていった。

 バタン、とドアが閉まる。



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