第42話



 家へ戻った。


 ダイニングのテーブルに肘をついて額を押さえていると、マモンが横に来て「レイジ……」と気遣わしげに言った。


「アシュは最低限の魔力を残していなかった。その時点で、地上から消える覚悟はできていたはずだ……」

「……あいつは俺の盾になったんだ」


 歯噛みすると、口の中に苦いものが広がった。

 脳裏には、アシュマダイの最期がこびりついている。


「妹みたいだと思っていたんだ。これからずっと一緒に暮らすって言ってたのに、俺に好きになってもらうために強くなるって、もう焦らないって吹っ切れて、やっと笑えるようになったのに、こんなのってないだろ……! なんであいつが、玉座なんかどうでもいいって言ってたあいつが、消えなきゃならないんだよ……!」


 マモンが痛ましい表情になって俯いた。


「……それが玉座争奪戦だ」


 拳を握り締めた零司を見て、マモンが言葉を継ぐ。


「これでも、姉妹が殺し合わないようにお父様が争い方を決めたんだ。玉座を得られる条件は、魔力瓶をいっぱいにすること。契約者を堕とさないと魔力は生まれない。だから、普通に魔力を集めようとしたら、どれだけ契約できるかで勝負が決まるんだ。でも、」


 そこで区切ったマモンは、ため息をつくと続けた。


「中にはレヴィみたいに戦闘が得意だからって、ライバルの足を引っ張るのに尽力する奴もいる。魔力がなくなれば、あたしたちは肉体を維持できずに魔界へ強制送還される。肉体が復活するまで地上には来られないから、魔力集めもできない。魔力が尽きるということは実質、リタイヤなんだ」


「肉体が復活するまで、ということは、アシュマダイは死んでない……?」

「あたしたちは概念が受肉した存在だから死なないぞ。ただ、アシュがまた地上に出てこれるようになるのは、何百年後かわからないな。零司が生きている間ではないと思うぞ」


 握った手を解いて、深く息を吐き出していた。


「……再会できなくてもいいさ。魔界でもどこでも、あいつが生きているんだったら」


 ほっとすると同時に、アシュマダイが言っていたことが気になった。


「アシュマダイは俺を堕とすよう、レヴィアタンに指示されたらしい。レヴィアタンはアシュマダイの魔力を増やしてどうするつもりだったんだろうな」

「アシュは弱いから、魔力が溜まったところでいつでも倒せると思ってたんだろ。あたしにレイジを堕とされるくらいなら、アシュに奪わせたほうがレヴィも倒すのが楽ってわけだ」


 ふん、と鼻を鳴らし、マモンは腕を組んだ。


「とにかく、レイジ。レヴィは第三の大罪、嫉妬だ。しばらくあたしから離れないほうがいい」


 零司はマモンを見上げた。かつてないほど、マモンは真顔だった。真っ直ぐな瞳が零司を射抜く。



「魔力が十分にあるあたしはレヴィに負けない。絶対にレイジを守ってみせる」



 ――なんでそんな言い方をするんだ? おまえが勝敗に拘るのは、玉座のためだろう?

 そう微かに引っかかるような疑念を抱いたのはわずかな時間で。

 ブーブーというスマホの振動音で、真摯な空気は破られた。


「お? あたしだ。誰からだろ? ハロー?」


 通話を始めたマモンがダイニングを出て行く。

 零司は洗面所へ行くと、鏡で舌の裏を見てみた。

 やはりと言うべきか、そこに印章はなかった。まるで初めから何もなかったかのように、アシュマダイの印章は消えてしまっている。きっと結城の首筋からも消えていることだろう。


「あ、レイジ。ちょっと困ったことにな、海外にいるあたしの契約者がカネが欲しいって言ってるんだ」


 通話を終えたらしいマモンが洗面所へ来て言った。


「あたしのカネは魂と交換だから、直接会って渡さないといけない。最近、魔力を消費するだけで溜められてないから都合がいいんだが、そしたらレイジから離れることになる。魔力瓶にはまだ魔力がこれだけあるから、急いで補給する必要はないんだけど……」


 半分近く中身がある魔力瓶をいじりながら、マモンが考え込む。どうやら迷っているようだ。


 元々、マモンは魔力を集めるのが目的だ。いくら零司の魂が膨大な魔力源だとしても、堕とせていない以上、マモンの魔力の足しにはならない。加えて、レヴィアタンの襲撃だ。戦力ともいえる魔力を補充しておきたいのだろう。

 マモンの胸中を量った零司は鼻で笑った。


「行ってこいよ。魔力がいるんだろ。俺も四六時中、おまえに付き纏われるのは勘弁だしな」

「ひどいぞ、レイジ! あたしは、レイジの身を心配してだな……!」

「わかったわかった。そこで喚いてる暇があるなら早く行け」

「なーーーっ! 全然、わかってる態度じゃないぞ! そんなことするなら、本当に行っちゃうんだからな!」


 シッシッと追っ払うみたいに手を振っている零司を見て、マモンがぷりぷりと怒る。仏頂面のまま少女は洗面所を出て行こうとして、


「……」


 途中でくるりと戻ってきた。

 怪訝な顔になる零司に、マモンはスマホを出す。


「レイジ、番号教えろ。もし何かあったら、あたしに連絡するんだ」


 そういえば、番号交換していなかったことに今さら気が付いた。零司が教えると、わかりやすくマモンの表情がニヤける。


「やった、レイジの番号聞いちゃった。えへへ、いっぱいメール送ろ。ちゃんと返信しろよな!」

「おい、こら。緊急時の連絡手段じゃなかったのか」

「緊急のときだけだともったいないじゃんか」

「無駄にメールを送るほうがもったいないわ」


 零司のツッコミを鼻歌を歌ってスルーしたマモンは、スマホをいじりながら家を出ていった。




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