一章 悪魔に憑かれた男子高生が吸血鬼とも契約するまで

第2話



 走って、走って、走った。


 こんなに走ったのは、体育の持久走以来だ。だが、零司の体力は平均以下である。身体を動かすのは昔から苦手だった。


 国道沿いの歩道で限界を迎えて、零司は立ち止まった。両膝に手をついてゼイゼイと息を切らす零司を、車がビュンビュンと追い越していく。ちらりと後ろを振り返ると、道行く人が怪訝な一瞥を投げてくるだけで、金髪少女の姿はどこにもなかった。


 逃げ切れた、か。

 安堵した零司はガードレールにもたれた。深呼吸を幾度かしてからカバンを肩へかけ直し、


「しまった、スマホ……!」


 落としてきたことに気付いたが、戻る気はしなかった。ショップに連絡して止めてもらえばいい。戻って、またあの女に遭遇したら面倒だ。


 既に陽は落ちて、街は薄青い夕暮れに包まれている。余計な体力を使って疲れた。早く帰ろう。

 排気ガスにまみれた風で汗が引いていく。国道から外れ、零司は一軒家が立ち並ぶ住宅街へ入った。歩き慣れた道は退屈で、嫌でもさっきの出来事が思い起こされる。


 何だったんだ、あれは。


 演出と言っていたから何か仕掛けがあるんだろうが、ヘリコプターから落下して無傷、さらにどういうわけか俺を調べていて、悪魔とか荒唐無稽なことを言い始めた。そして、挙句の果てには――。


 脳裏に先ほどの感触が甦り、零司は顔が火照るのを自覚した。俯き加減に歩く。


 初めてだった。女の子とキスしたのも、当然、舌を絡ませたのも。

 あと、もう一つ。絶対に忘れられないであろう感触があった。

 キスしたとき、少女は零司に身体を密着させていた。メロンでも入っているんじゃないか、というほど大きな双丘が、ギュッと押し当てられていたのだ。


 零司の通う栄西中高は県内有数の進学校であり、校則に厳しいことで有名だ。その校則には今どき珍しく、男女交際禁止も含まれる。校則の鬼と呼ばれる零司が女子と付き合った経験はなく、まして女子に触れるなどもってのほかだ。でも、機会がなかったというだけで、興味がないわけではない。


 柔らかかった……どうやったら、あれがあの細い身体についているんだ……。


 少女の身体つきを思い返しているうちに家へ着いた。都会から離れた静かな郊外にある、ごく普通の一軒家。零司は鍵を使ってドアを開けた。



 玄関に入ってすぐ、妹である栞(しおり)の歓声が聞こえてきた。栞は栄西中学に通う二年生だ。活動が緩い家庭科部に所属しているため、始業式の今日は昼には帰ってきたはずだ。


 靴を脱ぐ段になって零司は、見覚えのない靴があるのに気が付いた。

 真っ黒いミュール。

 嫌な予感が微弱な電流のように走った。一階の居間からは、栞の楽しそうな声がしている。


 栞の友達、か……? にしては、派手だよな……。


 中学生が履くには大人っぽいミュールへの違和感を拭えないまま、零司は「ただいま」だけでも言おうと居間へ向かった。


 ドアを開ける。


「タネも仕掛けもないぞ。柳生さん家のティッシュをこうして一枚取ると、あら不思議。たちまち、一万円札に早変わり」

「すごいすごいすごいっ! どうやってるの!? 本物のお札と見分けがつかないよ! ……あ、お兄ちゃん、おかえり。遅いから、お兄ちゃんの分のおやつ、お客さんに出しちゃったからね」


 我が妹は天使だ。背中には純白の羽が生えているんじゃないかと思う。まあ、つまり、地球上で一番可愛い。それが贔屓目でないことは、校舎裏で告白されているという情報が頻繁に耳に入ってくることが証明している。

 風紀委員長でよかったことは、こういう事態が発生したときに、相手の不届き者を公的に制裁できることだ。


 それはさておき、黒髪ツインテールの栞がおかえりをちゃんと言ってくれたのだが、零司は応えることができなかった。

 テーブルを挟んで栞の対面に座っていたのは――



「遅いぞ、レイジ。暇潰しにいっぱい魔力を使っちゃったじゃんか」



 学校に置きざりにしてきたはずの金髪巨乳美少女だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る