第34話



 そして迎えた土曜日の夕方。



「おっ邪魔しまーす!」

「ただいま」


 テンション高く玄関に入った結城の後ろで、零司はドアを閉めた。最寄り駅まで零司は結城を迎えに行っていたのだ。


 話し合った結果、土曜日、念のため結城は零司の家に泊まることになった。結城がそれを強く希望したのも決め手となった。何を期待してるんだか……。

 声を聞きつけて、パタパタと栞が奥から駆けてくる。


「おかえりー。結城先輩、どうぞ」

「あっ、栞ちゃんの私服、初めて見た! エプロン姿も、お嫁さんみたいでめっちゃ似合ってる!」

「えへへ、そんなこと言われると、なんか照れちゃいますね」


 中高合同で学校行事をすることもあるので、栞と結城は何度か顔を合わせたことがある。

 にこやかな二人を見て零司が半目になったとき、ダダダッと足音がした。


「あ、ユウキだ! やっと来たな! 今日はたこ焼きパーティなんだぞ! レッツパーリィなんだぞ!」


 飛び出してきたマモンもエプロン姿だ。

 栞に怒られて以来、マモンは栞と一緒に料理をするようになっていた。といっても、洗い方は雑だし、包丁の使い方はなっていないし、調味料の分量は間違えるしで、まったく戦力にならないのだが。


「へえ、たこ焼き?」と驚いた様子の結城に零司は言う。


「ああ、なんせ人数が多いからな。普通に晩飯作ってたら大変だし。手抜きで悪いな」

「いんや、全然。むしろ楽しそうじゃん。それより、栞ちゃんって彼氏いるのかな?」


 声を潜めてなされた質問に、零司はふっと鼻で笑った。


「今すぐ帰れ」

「なんだよー、訊いただけだろ!」


 既に玄関に上がっている結城を仕方なく居間に案内して、栞とマモンが賑やかにキッチンに立っているのを見た零司は、一人足りないことに気付いた。


 まだ閉じこもってるのか、あいつ?


 アシュマダイを一緒にホームステイさせると言い出したのは、意外にもライバルであるはずのマモンだった。曰く「レイジとあたしのイチャラブを見せつけて、アシュを追っ払う」だそうだ。やめろ。

 大黒柱の母親には、またマモンが札束を出すことで、あっさり許可が下りてしまった。こうしてアシュマダイのホームステイは決まったのだが。



 零司は階段を上がると、マモンとアシュマダイ兼用になった部屋をノックした。

 返事がないから、開ける。

 電気の消えた薄暗い部屋に、フランス人形と見紛うばかりの少女はいた。さすがに水着ではなく、栞のパジャマを着ている。室内には、マモンのカネのおかげで立派な調度品が並んでいて、その中でも一際大きなベッドでアシュマダイは膝を抱えて座っているのだった。


「……」


 蒼い瞳がちら、と零司の姿を認めるものの、アシュマダイはすぐに視線を落としてしまう。


「下、来ないのか? ここにいても退屈だろ」


 零司の言葉に、アシュマダイは反応すらしなかった。可愛らしいフリルがついたパジャマを着て、本物の人形みたいに動かない。


 昨日、零司の家に来てからアシュマダイはこんな感じだった。部屋に閉じこもり、誰とも顔を合わせようとしない。食事も部屋から出ることなく独りで摂っている。



 ――つくづく嫌なものを思い出させてくれる。



 零司は室内へ入ると、無遠慮にベッドに座った。


「どうした? 昨日は眠れなかったのか?」

「マモンと同じ部屋は嫌か? あいつにいじめられたか?」

「俺を堕とすんだろう? 探るなりしなくていいのか?」


 予想はしていたが、どれも反応なし。零司は大仰にため息をついた。


「そうか。おまえがそういうつもりなら、もういい」


 アシュマダイの睫毛だけが、生命が宿っていることを示すようにゆっくりと上下した。


 ベッドを立つ。零司は亜麻色の頭を見下ろしながら、ぐるっと彼女の背後へ回った。そして、両脇の下へ手を差し入れる。

 アシュマダイの身体がビクン、と跳ね、悲鳴にも似た甲高い声が迸った。

 零司は無防備なアシュマダイの脇の下をコショコショしていた。


「ひゃあっ! あははははっ、ひゃめ……! 何!? なんで……ひいぃぃっひっひっ……!」


 笑い転げるアシュマダイ。身体を捩って逃れようとするも、零司にパジャマの裾を踏まれているため抜け出せない。


「ひゃは……やめっ、お願い! あははは、無理っ! もう無理ぃぃっ……!」


 涙目になって長い髪を乱し、バフンバフン布団を叩くアシュマダイを見て、零司はようやく手を離した。

 ベッドで仰向けに寝転がり、パジャマを留められたアシュマダイが放心して、零司を見つめる。その顔に困惑がありありと浮かんでいるのを見て、零司は口元を緩めた。


「なんだ、ちゃんと笑えるじゃないか」


 さっとアシュマダイの頬に朱が差した。


「さて、だんまりはやめてもらおうか。どうして部屋から出てこないんだ? マモンに遠慮してるのか?」

「……」

「ほう、自分の立場がわかっていないようだな。腹筋崩壊するまで、くすぐられたいらしい」


 五指をワキワキさせた零司に、ぷい、と顔を背けていたアシュマダイが顔色を変えた。


「ヤダ! 言う! 言うから……!」


 アシュマダイは逡巡してから、消え入りそうな声で言った。



「…………だって、ここはわたしの魔力の範囲外だから」

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