第35話



 首を傾げた零司に、観念したようにアシュマダイは続ける。



「悪魔にとって、魔力は武器であり、防具。手持ちの魔力を学校に使い切ったわたしは、ここでは身を守ることもできない。誰かに攻撃を受けたら、危険。ここにいる間は、ひっそりとやり過ごさなければならない」

「やり過ごす方法が、黙って引きこもることなのか?」


「何も言わず、何にも反応せず、感情を殺し続ければ、誰もわたしに見向きもしなくなる。弱い者は、声を出してはいけない。泣いても笑ってもいけない。身を潜めなければならない。生き残るためには、必要なこと」

「――」


 淡々と言うアシュマダイの瞳には、何の感情も見えなかった。

 確かに何をされても無反応でいれば、相手はつまらなくて関わるのをやめるだろう。隠れて独りでいれば、敵と遭遇することもない。

 でも、ずっとそれじゃ、自分が辛いだろう。


「警戒しすぎだ。家の中だぞ。誰に攻撃されるっていうんだ」

「家が一番、危険。強いのがいっぱいいる」


 そうだった。悪魔家族は身内も敵なんだった。


「てことは、おまえはそうやって生きてきたのか? いろんなものに怯えて、自分は弱いからと部屋に閉じこもって、たった独りで」


 アシュマダイが、こくんと頷いた。思わずため息がこぼれた。


「あのな、おまえん家は知らないが、この家でおまえを攻撃する奴はいないぞ。ここは安全なとこなんだ」


 努めて穏やかに言いながら、零司は少女の乱れた髪をそっと直してやる。


「何も怖がらなくていい。隠れなくていいし、黙っていることも、遠慮する必要もない。それでもし、おまえを攻撃するような奴がいたら、俺はそいつを許さない。何かあったら俺に言え。必ずどうにかしてやるから」


 晴れ渡った空の色をした瞳が瞠目した。

 零司がパジャマの裾の上から退く。


「わかったら、下行くぞ。そろそろ夕飯の準備ができていてもいい頃だからな」


 促すが、アシュマダイはベッドでダンゴ虫のように丸まってしまった。昨夜からずっとこもりっ放しだから、降りていくのが気恥ずかしいのかもしれない。

 仕方ない、と零司はアシュマダイの身体の下へ手を入れた。


「自分で行かないなら、連れて行くぞ」


 言うなり、抱き上げる。アシュマダイがびっくりして手足をバタつかせた。


「え、あ、え、ヤダ……!」

「危ないから暴れるなよ。落ちて怪我しても、治せないんだろ」


 俗に言うお姫様抱っこでアシュマダイを持ち上げた零司は、さっさと部屋を出て階段へ向かう。

 零司にしがみつき、アシュマダイは目線を上げる。その頬は赤くなっていた。視線を感じて零司が目を遣ると、少女は急いで俯く。色欲という大罪を司っているが、彼女自身はまだ恋すらもしたことがないのだった。


 キッチンのドアを開けようとした隙に、アシュマダイは零司の腕から抜け出した。お姫様抱っこを見られるのが恥ずかしかったのだろう。


「おい、準備はでき……」


「あああマモンさん、もっとゆっくり! かき混ぜるのはいいけど、粉はこぼさないで!」

「混ぜたら、粉が吹っ飛んだぞ。よし、卵も入れるぞ、どーん!」

「ええっ、殻ごと砕いて入れちゃダメだよ! これ、どうするの!?」

「心配するな、シオリ! マモン様の力で、卵の殻なんか粉々にしてやるぞ!」


 たこ焼きの材料を用意しているが、一向にはかどっていない様子の栞とマモン。


「……できてなかった」


 がっくりと呟いた零司に、マモンと栞が首を回す。と、栞が零司の後ろにいるアシュマダイに目を留めた。


「あっ、アシュちゃん、降りてきたんだ!」


 アシュマダイがびくりとした。その背中を零司は前へ押しやる。


「栞、悪いが、こいつを手伝わせてやってくれないか? そして、そこの戦力外は食材に近寄らせるな。たこ焼きが恐ろしいことになる」


「戦力外って、あたしのことか!?」とマモンは喚いているが、無視だ。


「……ふーん、お兄ちゃんにしてはやるじゃん」


 それはどういう意味だろう。追及する前に栞は、アシュマダイと目を合わせて屈む。


「じゃあ、アシュちゃんもたこ焼きの準備しようか」

「……うん」


 栞に教わって、ボールの中身を泡立て器でかき混ぜ始めるアシュマダイ。拙い手つきだが、栞がいる分には大丈夫だろう。


「よーし、マモン様はタコの準備をしてやるぞ。マモン様の手にかかれば、タコなんか一瞬で……あれ、レイジ? なんで引っ張って……そっちはキッチンの出口だぞおおぉぉ……!」


 戦力外を引きずり、零司はキッチンを出た。


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