第44話
「………………………………何が『任せろ』だ。あたしのバカアアアアッッッ!」
栞の前では押し殺していた不安が爆発し、深夜の空気を震わせた。
「レイジがどっか行っちゃった……あたしのせいだ……レイジを取り戻さないと、シオリにも合わせる顔がない。どこだ、レイジ。あたしはどうしたらいいんだ……!」
地面に両手をついて、マモンは呪詛のように呟く。うなだれた首から下がった魔力瓶が、きらりと光った。
「……レイジはどこにいるんだ? 誰か教えてくれ。謝礼ならいくらでも払うぞ。望むだけ出してやる! はは、そうだ。レイジに多額の懸賞金をかけよう! それがいい。そしたら、たくさんの人間が捜してくれる。さすが強欲のマモン様の名案だな!」
「そうね。さすがおカネのことしか頭にないお馬鹿さんの迷案ね」
凛とした声に、振り向いた。
ソフィアがいた。学校と同じ漆黒のドレスを着て、後ろに長身の神父を従えている。
「なんだ、貧乳お嬢様か。こんな時間にこんなとこで何してるんだ?」
「それは私の台詞よ、乳牛お姫様。ここは私の教会なのだけれど」
「今度は乳牛だとおっ!? ちっぱいのくせに、どんだけマモン様のおっぱいを侮辱すれば気が済むんだ!」
「先にそっちが侮辱してくるからでしょう? 私は報復を怠らない主義なの。……何を笑っているの、リージェス」
くつくつと肩を揺らす神父へ鋭い視線を投げるソフィア。笑みを抑えきれない様子で神父は口元を隠す。
「いえ、そのようなことをムキになって言い返す主が、あまりにも可愛らしいと……気になさっておられ」「それ以上、言ったら首を刎ねるわよ」
ソフィアと神父がやり取りしている間に、マモンは近くにある建物を見上げた。尖塔に十字架。間違いなく教会だった。ただ、建物の外観は古びていて、手入れが行き届いているとは言い難い。マモンが胡乱げな顔になる。
「ん? 貧乳お嬢様はこんなボロい教会に住んでいるのか? そしたらお嬢様というのは嘘だな。見栄を張っていただけか」
「嘘ではないわ。ちゃんと出自は財閥の令嬢よ。身内は日本にいないけれどね。乳牛お姫様こそ、嘘をつくのはやめたらどうかしら。架空の王国に不相応な身分設定は見苦しいだけだわ」
「あたしだって、お父様が王様なのは本当だぞ! 次期王位はあたしがもらうんだからな!」
「貴女が魔王になったときのことはあまり想像したくないわ。さぞかし魔界の地は荒れるんでしょうね」
「……やっぱり、貧乳お嬢様は普通の人間じゃないな。最初からあたしのカネも見破っていたんだな」
警戒して瞳を細めたマモンに、ソフィアは肯定するように薄く笑った。
「人間から寿命を掠め取って存在するのが悪魔ならば、私たちは人間から血液を吸い取って存在する者。夜を愛し、闇に生きる、高潔な長命種」
「ヴァンパイアか。お父様から昔話で聞いたことがあるぞ。元は悪魔と同じ『魔』だったが、不老不死の肉体に固執した結果、地上でしか生きられなくなって落ちぶれた種族だ」
「悪魔こそ、人間の精神に依拠するため、大半が実体を持てない。肉体を維持できないから魔界へ引っ込むしかない脆弱な種族じゃなくて?」
マモンとソフィアの視線が火花を散らすように、バチ、とぶつかった。だが、マモンはすぐに矛先を収めた。
「……別に貧乳お嬢様の正体なんか、どーだっていい。それより、あたしにはやらなきゃいけないことがあるんだ」
「柳生くんを捜してるの?」
立ち上がって敷地を出て行こうとするマモンに、ソフィアが訊いた。
躊躇したが、玉座争奪戦にヴァンパイアは無関係だ。敵になることはないだろう。
「レイジがまだ帰ってきてないんだ。たぶん、あたしの姉妹が関係してる」
「それで、懸賞金? 相手は悪魔なのに? いつになったら見つかるのかしらね」
「ああっ、あたしだってどうしたらいいかわからないんだよっ! カネならある! 世界中のものを買い占められるカネだぞ! 何だって手に入るんだぞ!」
苛立たしげにマモンは両手で土を掬って、札束に変えた。けれど、手から溢れそうな現金にソフィアは冷めた一瞥を向けただけだった。
以前、零司が言っていた通りだ。
この世界には、カネで手に入らないものがたくさんある。今がそうだ。カネがいくらあっても、零司は帰って来ない。
深い絶望から、その声は洩れた。
「……カネしかない。あたしにはカネしかないんだ。でも、だからって、他の姉妹には負けられない。絶対にレイジは譲れないんだ。シオリだってレイジの帰りを待ってる」
札束をぐしゃりと自分のポケットへ突っ込む。そうして、力なく足を踏み出したマモンだったが、
「好奇心から訊いていいかしら。貴女が柳生くんに執着するのは恋慕? それとも、罪悪感?」
ソフィアの問いかけに、マモンは瞠目した。
夜風が吹きつけ、黄金色の髪を弄ぶ。歩みを止めたマモンに、ソフィアはすべてを見通しているような瞳を向けた。
「知っているわよ。貴女はあの兄妹に償いきれない負い目がある」
――そのとき、マモンのスマホが鳴った。
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