第45話



 だだっ広い空間に零司はいた。



 広間を思わせる円形の薄暗い部屋には長テーブルがぽつんとあり、その上には所狭しと豪勢な料理が並べられている。さっきから食欲をそそる匂いが鼻をくすぐり、腹の虫も切なげな声を上げていたが、イスの背もたれに腕ごと縛りつけられている零司は、それに手を付けられないでいた。


 対面にはレヴィアタンが座っていて、テーブルの上の料理をいかにもうまそうに食っている。おまえは暴食か、という食べっぷりだ。


「どうだ、柳生零司。腹は減ったか?」


 骨付き肉にかぶりついたローブの少女は、もぐもぐと咀嚼しながら言った。しゃがれた声がさらに不明瞭になって聞き取りづらい。


「まあ、普通に減ったな」

「そうか。なら、これをやろう」


 ひゅん、とレヴィアタンの手元から何かが飛来し、零司の前に置かれた白い皿に音を立てて落ちた。

 肉を失った骨。

 無言でそれを見つめる零司に、レヴィアタンが嘲笑する。


「遠慮せずに食べていいんだぞ。料理はまだまだたくさんあるんだからなあ」


 声高に笑うレヴィアタンから、零司は目を逸らした。ポケットを見る。そこに収められたスマホは、しきりに震え続けている。



 昼近くに起きた結城を駅まで送った帰り道、零司はレヴィアタンに拉致られたのだ。それからずっと、この状態だ。何時間経過したのかわからないが、空腹を覚えるくらいだからもう夜なのだろう。栞が心配しているんだろうな、と考えたところで、がたっとイスの動く音がした。


「想像した通り、つまらないな。おまえを煽っても暖簾に腕押しだ。張り合いがない」


 席を立ったレヴィアタンは、無造作に長テーブルを蹴り上げた。

 ドコッと音がしてテーブルは勢いよく空中へ飛び、次の瞬間、天井に蟠っていた闇に呑まれて消えた。その上に乗っていた皿も一緒にだ。

 不思議そうな表情になる零司に、レヴィアタンは笑う。


「ここは私の魔力で創った空間だ。すべてが私の意のままに動く」


 ひた、ひた、と近付いてきたレヴィアタンは零司の前へ立つと、振動するポケットに目を留めた。スマホを抜き取る。


「おい、やめろ。勝手にいじるな」


 少女を睨むが、レヴィアタンは聞く耳を持たない。どうやって調べたのか、零司のスマホのロックを外して画面を見る。そして、口元を歪めた。


「ふふ、マモンからの着信履歴が百回か。あいつの慌てふためいている様が目に浮かぶな」


 レヴィアタンはスマホから零司へ視線を移した。人ならざる深緑の瞳が、零司を映す。


「強欲が一番嫌がることを知っているか? それは、せっかく手に入れたものを奪われることだ」


 言うなり、レヴィアタンの手に斧が現れた。

 刃が振り上げられる。身体を固くしたとき、風切り音がして腕を留めるものがなくなった。


 目を開けると、縛っていた縄が切られている。きょとんとしたのも束の間、零司は胸倉を掴まれた。乱暴に引っ張られる。どこへ、と訊ねる前に少女に押し倒された。

 いつの間にかそこにはベッドがあって、仰向けの零司はレヴィアタンに馬乗りになられていた。



「さて、愉しいことをしようか、柳生零司。抵抗するなよ」



 呆然としている零司の上で、レヴィアタンはローブを脱ぎ捨てた。


「っ!」


 少女は下着しか着けていなかった。だが、零司が驚いたのは少女の恰好ではなく、褐色の肌に浮かぶ青黒い痣だった。


 まるで何かに侵食されているような不気味なそれは、おどろおどろしく少女の全身を覆っている。ちょうど手に収まりそうな胸の膨らみも、煽情的なヘソも、健康的な筋肉がついたしなやかな脚も、青黒い痣のせいで台無しだ。

 声もなく注視する零司に、レヴィアタンは自嘲気味に言った。


「醜い身体に驚いたか? ジロジロ見るな」

「その痣は……?」

「生まれつきだ。私は嫉妬。美しいものなど何一つ与えられず、私は生を受けた。このせいで私に触れる者はいない」


 レヴィアタンの手が眼鏡を取った。ぼやけた少女の顔が近付く。吐息がかかる距離になって、ようやく零司ははっとなった。

 顔を背ける。と、レヴィアタンも動きを止めた。

 ん? と思ったとき、カシャ、とシャッター音がした。少女の顔が離れる。


 レヴィアタンはまだ零司のスマホを持ったままで、カメラを使っていた。わけがわからない零司に、今度は跨ったまま再びシャッターは切られる。


 どうやら行為に及ぶ気はない……?

 なすがままになった零司は、腕枕状態で身体を寄せている白髪頭を見遣り、口を開いた。


「こんな写メを撮りまくって、おまえ、どうするつもりだ?」


 レヴィアタンは答えずにスマホを見ると、今しがた撮った画像をチェックした。覗いて見ると、一切何もしていないのだが、妙に事後っぽい。


「これだけあれば、十分だな」


 呟いたレヴィアタンは、ベッドから降りた。

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