第37話
夕食後、マモンと栞とアシュマダイは一緒にお風呂に入っていた。最初、栞がうちのお風呂に慣れていないアシュマダイと入る、という話が、マモンも乱入してきたのだった。
「レイジはほんと鬼畜だよなー。鬼畜メガネ。きっと女の子を怒鳴り散らすのが快感なんだろうな」
黄金の髪をシャンプーでわしゃわしゃしながら、マモンが言った。本人がこの場にいないため、この残念な誤解に関して訂正はなされない。
湯船に浸かって手足を伸ばす栞が苦笑する。
「それ、マモンさんに対してだけだと思うんだけど。マモンさんがうちに来るまで、お兄ちゃん、あんなに喋るキャラじゃなかったよ」
「そうなのか? だったら、レイジはむっつり鬼畜メガネだったんだな。変態度合いがレベルアップしたな!」
本人がこの場にいないため(以下略)。
「……レージは鬼畜」
シャワーで凹凸の少ない身体を流すシュマダイがぽつりと言った。それを聞いたマモンが「ん?」と声を上げる。
「アシュもレイジに何かされたのか? レイジの鬼畜暴露大会するか? あたしはな、札束ビンタだぞ!」
「いきなり、くすぐられた。喋らないともっとするって脅された」
「ふうん、レイジは女の子をくすぐって拷問する趣味もあるんだな」
「……アシュちゃんと同じこと、わたしもされたことあるよ。昔、不登校だったときに」
マモンとアシュマダイが手を止めて、栞を見た。二人の視線を受けた栞は、湯船の縁に手を置いて顎を乗せる。
「小五だったから、今のアシュちゃんと同じくらいかな。そのときわたし、誰とも顔を合わせたくなくて、ずっと部屋に引きこもってたの。毎日一人で、お母さんもお父さんもお兄ちゃんも、みんなのことを無視してた。特にお兄ちゃんは、感情を表に出さないからなんか怖くて、絶対にわたしの気持ちなんてわからないって、拒絶してた」
お湯でほんのりピンクになった頬で栞は続ける。
「でも、お兄ちゃんがごはん持ってきてくれたある日、突然くすぐられたの。『笑わせる方法を考えた』って。他に方法があるじゃない!? でも、クールなお兄ちゃんが面白いことを言うのはできなくて、考えついた方法がそれだったんだって。バカだよね。そのとき、やっとわかったの。お兄ちゃんはちゃんとわたしのことを考えてくれてたんだって」
出しっ放しのシャワーの音が、浴室に響いていた。
立ち込める湯気の中、栞は視線を遠くへ投げる。
「『笑えなくなったのかと思った』って言われて初めて、わたしずっと笑ってなかったことに気付いたの。それからかな、お兄ちゃんとまともに話すようになったのは。ごはんのとき一階に行けないわたしを、お兄ちゃんがお姫様抱っこで連れてってくれたりして。恥ずかしかったけどね、嬉しかった」
コクコクと首を縦に振ったアシュマダイに、栞は驚いた目を向けた。
「え、アシュちゃんも?」
「レージが抱っこして、下まで運んでくれた」
「あんなことされるとさ、女の子としてはドキドキしちゃうよね。意識しちゃうっていうか、いつも見てるはずなのに、あれ、なんかカッコいいかもとか思っちゃったり……」
「レージがカッコよかった……」
盛り上がる栞とアシュマダイを、マモンが愕然と見比べる。
「何いぃっ、二人共、レイジにお姫様抱っこされたのか!? ズルいぞ! マモン様はしてもらってないのに!」
シャンプーを流し終わったマモンを見て、栞が交代するべく湯船から上がる。薄桃色に色付いた栞の身体を見ていたマモンだったが。
「えいっ」
背後から、中学生らしいまだ膨らみきっていない胸をフニョと揉まれ、栞は驚いた声を上げた。
「ひゃっ! マ、マモンさん!? 何して……!」
「悔しいぞ! レイジは実はロリコンなのか!? おっぱいが好きと見せかけて、ぺたんこが好きなのか!? なんでシオリやアシュには優しくて、マモン様には優しくしてくれないんだ!?」
「それはマモンさんが、お兄ちゃんを怒らせるようなことをするから……」
「あああああ、腹いせにシオリのおっぱいを揉んで、おっきくしてやるぞ! ふはは、どうだレイジ! 悔しいか!」
「そんなことしても誰も悔しがらないよ、マモンさん! ていうか、マモンさんのほうこそ、当たってる……!」
さっきから栞の背中には、同性でもドキドキしてしまうようなぷるんとした爆乳が押しつけられている。
「よし、シオリの次はアシュの番だな。ちっぱいをおっぱいにしてやるぞ」
栞を放したマモンはニヤニヤしながら、五指を蠢かせて両手をアシュマダイへ伸ばす。が、栞がその魔手の前へ立ちはだかった。
「ダーメ! アシュちゃんはこれからわたしと身体洗うの」
ちぇ、とマモンが湯船に入る。ぷかりと浮かぶ自身のおっぱいを見下ろし、むーとマモンは唸った。
「たぶんお兄ちゃん、ずっとお部屋にいるアシュちゃん見て、わたしのこと思い出したんじゃないかな。アシュちゃんのこと、昨日から気にしてたんだよ」
アシュマダイの身体をこすりながら栞は言う。泡だらけになりながら、アシュマダイは瞬きをした。
「レージがわたしを、気にしてた……?」
反芻した少女にマモンが下世話な笑みを向けた。
「なんだ、アシュもレイジが好きになったのか?」
「ちっ、違う……! そんなこと……!」
と言いつつも、アシュマダイの顔はわかりやすく真っ赤である。マモンが、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。
「そうかー、アシュもレイジが好きかー。でも、残念だったなっ。レイジはあたしと結婚して鬼畜魔王になるんだ。アシュがあたしの味方をするなら、玉座を取ったとき、アシュをペットにするようレイジに頼んでやってもいいぞ」
「こんなこと言ってるけど、マモンさん、お兄ちゃんに相手にされてないこと多いからね」
「シオリイィィ! 言ったな――っ!」
ザバアア、と湯船から立ち上がるマモン。
まったく意に介さず石鹸を流しているアシュマダイを不機嫌そうに見下ろし、マモンは指を突きつけると言った。
「いくら色欲だからって、アシュにレイジの童貞は譲らないんだからな!!!」
「……」
アシュマダイの瞳がわずかに見開かれた。シャワーを持ったまま、アシュマダイは呆然と動きを止めている。
「マっ、マモンさん! こんな小さい子に何言ってるの!? まだ意味わかんないでしょ! アシュちゃん、今の忘れていいからね」
頬を染めて栞があたふたと言う。けれど、栞の心配はまったくの的外れだった。
スカイブルーの瞳には、決意の光が宿っていたのだ。
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