第15話
学校の裏門を出てすぐのところにある小さな教会は、築数十年を感じさせる古びた建物だった。壁面にはびっしりと蔦が絡まり、夕暮れ時なこともあって陰気な雰囲気を醸し出している。
ここに、会長が……?
ソフィアのイメージとは違った印象に戸惑ったものの、零司は意を決して木製の扉を開けた。
怪しい外見に反して、中は普通の教会だった。真っ赤な絨毯が敷かれた中央の通路、その先には祭壇があり、一番奥には大きな十字架が掲げてある。窓には綺麗なステンドグラスが並び、薄暗い教会内部を淡く照らしていた。
中には十人ばかり人がいた。皆、俯いて席に座り、黙りこくっている。讃美歌らしき音楽が小さく流れているが、それよりも自分の衣擦れが耳についた。
通路を静かに歩いて最前列の席まで確認したが、会長はいなかった。今日は来ていないのだろうか。
「主の家へようこそ。迷える子羊よ」
唐突に声がして、零司はさっと首を回した。
祭壇の横に、真っ黒い長衣と十字架のネックレスという典型的な神父がいた。若い。日本人ではなさそうだ。淡い茶髪にグレーの瞳で、彫りの深い端正な顔立ちをしている。……どこかで見たような顔だ。
じっと神父を見つめていると、彼は零司へ柔らかく微笑んだ。
「教会へ来るのは初めてですか。どうぞ席へかけ、自由に祈っていただいて構いません。主はいつでも子羊の声に耳を傾けておられます」
あ……と零司は躊躇った。自分は祈りに来たわけじゃない。
「あの、こちらの教会では、悪魔を祓っていただくことはできるんですか?」
「悪魔?」
神父が驚いたように眉を持ち上げた。
その反応に失望する。だよな、現代に悪魔なんてバカげてる。
「いえ、やっていないならいいんです。失礼します」
「待ってください。あなたは荒野の誘惑をご存じですか?」
呼び止められ、零司は首を横に振った。
「イエス・キリストが悪魔の誘惑に勝ち、悪魔を退けられた話です。悪魔は空腹のイエスへ、石をパンに変えるよう促しました。また、高い場所へ連れて行き、神が本当に自分を助ける能力があるのか試すよう促しました。そして、最後に、世界中の富を見せ『自分を拝むならば、これをすべてやろう』と言いました」
まるでマモンだ。人を苦しい状況へ追い込み、自らの有能性を示し、縋りつかせようとする。その誘惑に乗れば、敗北だ。
「悪魔の三つの誘惑に、イエスは神の御言葉を引用することで打ち勝ったのです。『退け、悪魔』と言われた悪魔はイエスから離れていきました。神の御言葉とは、信仰のことです。それは、わたしたち聖職者だけではなく、あなたも持てるものなのですよ。あなたが悪魔の誘惑を退ける強い心を持てば、きっとあなたの中の悪魔も……」
「……強い心?」
低い零司の声に、淀みなく話していた神父が言葉を止めた。
「そんなんで、どうにかなるんだったら、とっくに悪魔はいなくなってるよ……!自分じゃどうにもならないから、藁をも縋るつもりでここに来たんだろうが。それを強い心だって?」
神父の温和な顔を、零司は衝動のままに睨み上げた。
わかってる。これは八つ当たりだ。でも、言い出した台詞は止まらなかった。
「校則の鬼なんて呼ばれてる俺の心が弱いわけねえだろ! 注意した生徒からは陰口叩かれて、そうじゃなくても校内では無駄に怖がられたり、避けられたり。んなことされて、俺が傷付いてないと思ってんのか!? それを我慢して、スカラシップのために風紀委員長なんて憎まれ役やってんだろうが! これ以上、俺にどうしろって言うんだよ! 十分、俺は努力してきただろ! 教えてくれよ! 俺の何がいけなかったんだよ! なんで、あの悪魔に全部、ぶち壊されないといけないんだよ……!」
家でも学校でも、決して言えない。絶対に知人には聞かせられない魂の咆哮。
それは、零司がずっと堪えてきた叫びだった。
「もうあの悪魔の要求を呑むしかない……悔しいけど、それしか道はないんだ。そうしないと、今までやってきたことがすべて台無しだ。くそっ、悪魔に魂を売ることになるなんてな……」
頭を掻きむしり、教会の出口へ向かった零司だったが、
「失礼しました。あなたに必要なのは、信仰ではないようですね」
肩を掴まれて、足を止めさせられた。はっ、と零司は投げやりに息を吐き出す。
「……キリストは信仰で悪魔を祓ったんだろ。他に方法があるのかよ」
「ありますよ。アプローチを変えれば、方法などいくらでもあるものです」
その言葉に零司は振り向いた。
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