第50話
マモンは腑に落ちない顔で、ソフィアを見ていた。誰もいない学校の静けさが、悪魔とヴァンパイアを包む。
「その気になれば、そこの元エクソシストと二人で、あたしを消すことだってできただろ。レイジを独り占めしたかったら、あたしを倒せばよかったじゃんか。そしたら、レイジを焦って血族にする必要もなかっただろ」
「そうね。そういう選択肢もあったわね」
「なっ、まさか、思い付いていなかっただけなのか!?」
ギョッと身を引いたマモンに、ソフィアは小さく笑った。
「……貴女は、柳生くんを見ていて、どう思う?」
わずかな逡巡の後にソフィアは訊いた。マモンが首を捻る。
「……鬼畜」
「私がバカみたいだから、そういう回答を真顔でしないでくれるかしら」
「じゃあ、ドSメガネ」
「同じことよ! 私が言いたかったのはそういうことではなくて!」
ソフィアは苛立たしげに日傘を地面に突くと言った。
「昔から柳生くんは真面目だったの。学力も高くて、厳しい校則も律儀に守って、先生たちにとっては文句の付けようがない模範的な生徒だった。けれど、それを突き詰めた結果というべきか、彼にはあまりにも人間味というか、欲がなさすぎた。私はそれを好ましく思う一方で、彼に人間としての欠陥を覚えたの」
何も望まない人間は、人間たりえるのか。
「生きている以上、欲があるのは当然のことよ。欲は生きていく上での原動力であり、何かを成し遂げる意志や情熱の元にもなる。行き過ぎるとそれは『罪』になるのかもしれないけれど、まったくないのもおかしいのよ」
マモンは思い返す。
強欲値がゼロの人間は零司が初めてじゃない。でも、みんなマモンに促されればカネを受け取った。一円も受け取らなかった人間は、零司だけだ。
零司が異常なのだ。
「二年前、お父さんがいなくなってからは特に、柳生くんは抜け殻のようになったわ。彼の中で父親というのは、目標みたいなものだったんじゃないのかしら。それが突然いなくなって、精神的にも追い詰められた彼は、自分の向かうべき道を見失った。投げやりになったとも言えるわ。彼は自分が幸せにならなくてもいいと思っているのよ」
何だそれは。
マモンが目指しているものの全否定だ。マモンは零司を幸せにするために契約しているのに、零司自身がそれを望んでいない。
「でも、貴女がホームステイするようになってから、柳生くんに変化があるの。貴女や友人と騒ぐ彼を、校内でよく見かけるようになったわ。高校生らしい青春を捨てて風紀委員長に徹し、他人を寄せつけなかった彼が、心を開き始めた。去年までは考えられなかったことよ」
栞も言っていた。零司はそんなに喋るキャラではなかったと。
自分の存在は、零司を変えることができているのだろうか。
「つまり、私は貴女との契約が、彼にとって悪いことのように思えないのよ。多少、強欲になったところで、彼の価値は下がらないわ。強欲の悪魔が彼を少しでも人間らしくしてくれるのなら、それでもいいと思った。それが私が貴女を追い払わない理由よ」
ソフィアはふっと自嘲気味に笑みを洩らし、顔を背けた。
「……私個人の感情を優先させるならば、柳生くんに近付く悪魔はことごとく抹殺するに決まっているじゃない」
「なんか物騒なことを言ってるぞ! でも、強欲のマモン様に、元エクソシスト付きのヴァンパイアなら、レヴィ相手でも怖くないな」
「はあ……貴女って、本当に頭が回らないのね。リージェスは連れて行けるわけがないでしょう? あの亜空間は銀を通さないのよ。武器を持たないこの男が、悪魔相手にどれだけ戦力になると思うの?」
辛辣なソフィアに、神父は否定するでもなく苦笑いをしている。
マモンが唖然とした。
「貧乳お嬢様こそ、そんなドレスで戦えるのか? 足手纏いを庇う余裕はないぞ」
「誰に向かって物を言っているのかしら。乳牛お姫様こそ魔力量に不安があるのなら、ここでお留守番していてもいいのよ。柳生くんは私が助けるわ」
「レイジはレヴィに誑かされてるんだぞ! あたしが行かないとダメに決まってるだろ! 誰が婚約者か思い出させてやるんだからな!」
「前々から不愉快だったのだけれど、柳生くんの婚約者気取りはやめたらどうかしら。どうせ家でも料理すらできなくて、柳生くんに相手にもされていないのでしょう?」
「ああああっ、その場にいたみたいに言うな! なんだ、ヴァンパイアはエスパーなのか!? 覗き見するなんて卑怯だぞ! あたしもレイジのあれこれを覗きたいぞ!」
「失礼ね、覗いてなんていないわ。貴女の普段の様子から十分、想像できることよ。それより貴女、私にまで嫉妬するのはやめてくれないかしら。敵の戦力を増やすことになるのよ」
「貧乳お嬢様のせいだろ! あたしだって嫉妬したくないけど、止められるわけないじゃんか! レイジはあたしにいつも冷たいんだ……! 栞やアシュには優しいくせに……!」
「ちょっと! そんなことまで思い出してどうするのよ! 貴女、鬼畜な柳生くんが好きだったんじゃないの!? ……私はあまり柳生くんを鬼畜とは思わないけれど……」
「ふえええっ、やっぱりレイジはあたしにだけ冷たいんだ! ただ鬼畜なんじゃダメなんだ! そこに愛がないと、鬼畜にされても全然興奮しないんだ!」
「貴女の変態性癖を私に力説されても困るのだけれど……!」
「……畏れながら、急がれたほうがよろしいのでは? 主は太陽が昇ると力が弱まり、悪魔のお姫様はどんどん魔力を抜かれている状態。時間が経過した分、こちらが不利に」
見かねて口を挟んだ神父に、金銀の少女は同時に首を回し、
「わかってるぞ!」
「知ってるわよ!」
声を揃えた。
神父がお手上げというように両手を挙げる。
その後もギャーギャーと口論をしながら、校庭にある亜空間へ向かう悪魔とヴァンパイア。
夜はまだ長い――。
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