第7話 星彩の力

「~♪ ~♪」

『ご機嫌だな』

 いそいそと茶器を運ぶ星彩を、寝台の柱に止まった周迂が小首を傾げて眺めている。

「えへへ、お茶の準備なんて初めてするよ~。お茶受けって饅頭でいいのかな?」

『さあ』

「厨房でねだってちょっときれいなの貰ったんだー」

『茶はあったのか?』

「母さまが好きだった花茶が戸棚に残ってたの。―――よし、でーきた!」

 今朝には軽く部屋を掃除して、厨房から借りてきた茶器と、饅頭を机の上に用意した。宗麟を迎える準備はばっちりだ。

『うかれてるな』

「だってお客さまなんてめったにないもん、気合入っちゃうよっ。さ、そろそろ宗麟を迎えに行こっ」

星彩は庵を出る前に、青く晴れ渡る空を見上げた。

「うん、天気予報も当たりっ」

 まだ午前でも燦々と照る日の眩しさに目を細めたとき、ふと、青の中に黒い点を見つけた。

「?」

 なんだろうと、目を凝らしたそのとき。

 ひゅんっ。

 頭の上をもの凄い速さの何かがかすめていった。次いで、がしゃあん、と派手な破壊音が背後で響く。

「・・・」

 嫌な予感に振り返るのが怖くなる。周迂が、唐突な侵入者にぎゃあぎゃあと騒いでいる。

『あぢゃぢゃ熱ぅっ!』

 やがて悲鳴まで聞こえ、星彩は観念して後ろを振り返った。

「・・・うーちょーうー」

 茶器を全部机の下に落として、あまつ布団にまで突っ込み悶えている鳥を、星彩は半眼で見遣った。

 青みがかった黒い羽を持ち、周迂より二回りほど小さいが、蹴爪も嘴も立派な鳥だ。

『あぢい! 熱いよぉっ!』

「もー・・・」

 星彩はばたばた暴れる鳥を抱えて井戸に行き、水を汲んだ桶の中に突っ込んだ。

『あづっ! ――――あれ? 冷たい? あーこれ水かー。助かったぜ星彩』

「雨鳥! 部屋に入るときはゆっくりって言ったでしょ! せっかく掃除したのにぐちゃぐちゃになっちゃったよー」

『ごめんな! 悪気はないんだ、いつも!』

 翼を広げたついでに水をかけてくれながら、ケパケパと雨鳥は鳴く。

『なんたってオイラは天下を風の如くに飛び回る渡り鳥だからな! 風は止まるのが苦手なのさ。つーか今日に限ってなんで茶なんか用意してるんだ? オイラへの嫌がらせ?』

「お客さんが来る予定だったの。雨鳥が来るってわかってたら、いろんな物どかしてたよ」

 星彩は荒れ果てた部屋の中を見遣って溜息をついた。

「これ片付けないと宗麟お迎えに行けないや」

『誰だそれ。キリンか?』

「キリンって? 宗麟は人間だよ?」

『お、星彩にもようやく人間の友達が増えたかあ。どれ、オイラにも紹介しろよ』

「まだ来てないよ」

『じゃあ後ろにいる奴を先に紹介してくれよ。友達か? 不審者か?』

「へ?」

 雨鳥に翼で示されて振り返れば、まるで当然のように宗麟がいた。

「あ、あれ!? 宗麟もう来たの? 今から迎えに行こうと思ったのに」

「一人で迷いながら行くのもおもしろいかと思ってな」

 楽しそうに笑いながら、宗麟は桶の中の雨鳥を指した。

「それも友達か?」

「う、うん。渡り鳥の雨鳥だよ。近くを通りかかったときにはいつも寄ってくれるの」

『人呼んで疾風の雨鳥でぃっ! ま、オイラが自分で考えて、星彩しか呼んでくれねー二つ名だけどな! で、星彩、このナイスな耳飾りの兄ちゃんは誰なんだ?』

「この人が宗麟。恭の国の太子なんだよ」

『恭の太子ぃ? 噂には聞いてるぜぃ!』

 雨鳥は桶から飛び出すと、雫を飛ばしながら宗麟の周りをうるさく飛び回った。

『もうろくした親父を手伝ってるっつー偉い息子だよな! 町のおばちゃんどもが褒めてたぜぇ? 若いのにやるなあ兄ちゃん!』

 ぱしぱしと濡れた翼で宗麟の肩をかすめて飛ぶものだから、宗麟の着物にどんどん水の染みがつく。わざと拭っているんじゃないかとさえ思えてくる。

「・・これは何のつもりだ?」

 おそらくどうしたら良いかわからないのだろう。宗麟は避けもせず雨鳥の手拭いとなっている。

「えーっと・・・・褒めてるつもり、かなあ?」

『おうよ! オイラはできる奴が好きだからよ!』

「・・・雨鳥、拭いてあげるからこっちおいで?」

『んじゃよろしく』

 あっさり星彩の肩に止まって大人しくなる。やはり体を拭くのが目的だったようだ。

 綺麗な布で羽の隅々まで丁寧に水気を切ってやると、雨鳥は満足そうにケパケパ鳴いた。

『あんがとよ星彩! じゃ、オイラはそろそろ行くぜ!』

「え!? もう?」

『これ以上は群れとはぐれっちまうからよぉ。オイラがいなくなっても泣くな? また顔見にくっから! 饅頭ごちそうさま!』

「ええ!?」

 最後の一言に慌てて部屋の中を確認すると、床に散らばった茶器の中に、饅頭の姿は欠片もなかった。ただそれが乗っていた皿のみがあるばかりである。

「あ~・・」

 落胆して空を見上げると、雨鳥はすでに天高く舞い上がり、北に向かって矢より速く去っていった。疾風の名は伊達ではない。

「今の鳥が荒らしたのか?」

 部屋の惨状を見て、宗麟が尋ねる。

「・・・ごめん」

 星彩はなんだかとても情けない気分になって、謝った。

「ちゃんとおもてなしの用意しようと思ったのに、できなかった」

「気にするな。別に茶が目的だったわけじゃない。かわりにほら」

 宗麟は袂から小さな包みを取り出した。貰って開くと、琥珀のような金色の飴玉が出てきた。

「それやるから元気だせ」

「わあ、ありがと宗麟!」

 星彩は喜んで口に放った。砂糖の甘い味が広がって、途端に幸せな気分になる。

「おいしー! 飴なんてひさしぶり!」

 二人は荒れた部屋には入らず、前の石段に並んで座った。周迂も星彩の隣にやって来て、包みを覗きこむ。

『何を食べてる?』

「飴だよっ。ねえ宗麟、周迂にあげる分はない?」

「あるが、鷲はどうだろう? 喉に詰まらせるんじゃないか?」

「ありゃ、じゃあダメだね」

 貰えないとわかって、周迂の体が縮こまる。しゅんとしてる、といった感じに近い。

「今度肉まんあげるから、ね?」

『うむ』

 なぐさめに、背中の羽をなでてやると、周迂の元気は完全には戻らなかったが、我慢する気にはなったようだ。

「ところで、雨鳥は俺のことを何だって?」

「父さまを手伝ってて偉いって。町のおばちゃんたちも宗麟を褒めてるんだって言ってたよ。あと耳飾りが《ないす》だって。意味わかんないけど」

「ふうん。―――星彩、ちょっと確認したいことがあるんだが、いいか?」

「なに?」

「俺以外に恭の人間と話したことあるか?」

「? ないよ?」

「じゃあ俺の従者、韓当と徐朱って名前なんだが、会ったことはないな?」

「うん、知らない」

 質問の意図がわからず星彩がきょとんとしていると、宗麟は組んだ足の上に頬杖をつき、「やっぱりな」と呟いた。

「星彩は獣の言葉がわかるのか?」

「っ!」

 なんで、と言いかけて、星彩はようやく己の失言を自覚した。

「あ・・え・・・」

 確信のこもった瞳に見つめられ、頭が真っ白になる。

 宗麟は笑っていない。じっと星彩を観察するように、視線を注いでいる。

「白龍は俺があいつに付けた名前なんだが、特に必要がなかったから馬番にも教えてない。とすれば一体誰が、淸の公女に馬の名前を伝える? 星彩が聞いたっていう恭の話だって、まるで獣の視点だ。白龍から聞いたからなんだろう?」

「・・・」

 返す言葉も、なかった。宗麟と目を合わせていられず、何も答えられないまま、星彩はごまかすことも頷くこともできずにうつむいてしまった。

 もう言い訳など思いつかない。しかし肯定してしまったら、取り返しがつかなくなるかもしれない。

 どうしよう。どうしたらいいんだろう。どうするのが《正しい》のだろう?

 混乱して、ぎゅっと目を瞑った。

 その時。

 頭に温かいものが、触れた。

「――――」

 ゆっくりと目を開く。これまでもよくそうしてくれたように、宗麟の大きな手が、くすぐるような優しさで、頭をなでてくれていた。

「・・・宗麟は」

 温かさに勇気をもらって、震える唇で、そっと尋ねる。

「わたしの言うこと、信じてくれるの・・・?」

「もちろん」

 星彩は、顔を上げた。

 これまで周囲に向けられたものと全然違う眼差しがある。疑うふうでもなく、気味悪がってるようでもなく、なんでもない話を聞いてくれるのと同じ、優しい顔。

「星彩は嘘が下手だろう」

 くしゃりと星彩の前髪をかいて、宗麟は笑った。

「ここまで証拠をそろえられたら誰だって信じるさ。大体にして、そんな嘘をつく意味もない」

「・・・う、ん・・・」

 ぽろぽろと、大粒の涙がこぼれていく。必死に袖でぬぐっても、あとかあとから止めどなく溢れる。

「わたし、わたし、ね? 人じゃないものの、声が聞こえる。言葉が、わかるの」

「ああ」

「で、でも、誰も、信じてくれないの。兄さまたちも、姉さまたちも・・・・わたし、が、構ってほしいから、うそを、ついてるんだ、って」

 誰にも聞こえない声が聞こえる。人ではないものに話しかけられて、応える。そんな星彩を、周囲は不憫にも思い、気味悪くも思い、時に叱り、時に敬遠した。

「えい、瑛勝、兄さまは、わ、わたしの空想、だろうって・・・宗麟、は、思わない、の?」

「言ったろう? 星彩は普通なら知り得ないことを知っていた。他の獣も、げんに星彩の言うことを聞いて動いてるんだ。現実に起こったことを空想とは思わないさ」

「っ・・・」

 星彩は、宗麟に抱きついた。そうしてたくさんたくさん、泣いた。雨鳥の羽が濡らした分より多く、星彩は涙で宗麟の着物を濡らした。

 嗚咽しか出なくなって、泣き喚く星彩を宗麟は引き離さず、落ち着くまでずっと抱き寄せたままでいた。

「ほら、もう一個やる」

 ようやく涙が止まってきた頃、宗麟が星彩の口に飴を放り込んだ。じんわり沁み入るような甘さが、心の深いところまで癒してくれるようだった。

「・・・わたしね」

 宗麟の隣に戻って、星彩は鼻をぐずりと鳴らし、初めて他人に自分のことを語った。

「獣だけじゃなくて、草木や風の声もわかるよ。はっきり言葉が聞こえるばかりじゃないんだけど、なんとなく言いたいことが伝わってくるの。明日の天気なんかは、夕方の風に教えてもらってるの。・・・・なんでわかるのかは、わかんないんだけど」

「昔からそういう力があったのか?」

「うん。死んだ母さまがね、わたしと同じだったの。母さまは占い師で、もしかしたらそれで不思議な力がわたしにもあるのかなあって思うけど、詳しいことはよくわかんない」

「星彩の母はどこの出身なんだ? 力について話を聞いたことは?」

「母さまは家出してきたらしくって、どこから来たのかもどこの人なのかも誰も知らないの。この力のことも、聞いたことない。母さまが死んじゃったのはわたしが小さいときだったから、あの頃は人でないモノの声が聞こえることが変なことだとは思ってなかったの」

「そうか・・・王は星彩の力を知ってるのか?」

「たぶん。でも父さまは何も言わないから、信じてくれてるかどうかまではわかんない」

 一通り答えてから、星彩はしみじみと思う。

「わたし、自分のことなのに何も知らないんだなあ」

 不思議な力も、母の素性も、特に疑問も抱かず育ってきた。なぜだろうと、思ったときにはもう遅い。

「仕方ないさ。それだけ珍しいことが起こってるってことだ」

 ぽん、ぽん、と宗麟はそんな星彩の頭を優しく叩く。

「――うん、ありがと、励ましてくれて。こんなにちゃんと話を聞いてくれたのは宗麟が初めてだよ」

 にっこりと星彩は笑いかけた。

「信じてくれるのも、一緒に考えてくれるのも、すごく嬉しい。わたし、ずっと自分がおかしいのかもって、思ってたから」

 母が死んでから、誰にも相談できずにいたことだった。兄姉にも信じてもらえず、お前が間違っているのだと叱られ続けてきたことを、受け入れてもらえた。

「ほんとに、ほんとにありがとね、宗麟。―――ダメだね、わたし。宗麟の力になるって言ったのに、逆に助けられちゃった」

「気にするな。俺だって友には何かしてやりたくなるだけだ」

「宗麟・・・」

 胸に沁み入る言葉だ。せっかく引いた涙がまた湧いてきて、視界が滲む。そんな優しい人にどんなお礼をすればいいのか、星彩には一つ思い浮かばなかった。

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