第2話 初代王
庭園には案の定、待ちくたびれた様子で草場に寝そべる蘭蘭がおり、星彩の姿が見えるや不満げに唸った。
『遅いじゃないのよ~。近道はどうしたの?』
「ごめんね。ちょっと宗麟の従兄弟に会ったりしてて」
『星彩、悪くない!』
『ふうん? よくわかんないけど、やっぱり人の足は遅いわねえ。今度からはアタシに乗りなさいよ』
「でも毎回は大変じゃない?」
『星彩は軽いから平気よぉ』
「ほんと? じゃ、お願いしよっかなっ。蘭蘭は速くてとっても楽しいんだよねっ」
『どうぞ。また城内の探検でもしましょ』
「うん!」
広い広い城内を、蘭蘭の背に跨って駆ける。
毎日遊び回ってる星彩たちだったが、行ったことの無い場所は結構ある。例えば、政務を行っている場所である。さすがに、騒いで皆の邪魔をしてはいけないと思うためだ。
しかし今日は、思いきってその一つに行ってみることにした。というのも、いつもどんな時でも人がいるという場所ではないからだ。
そこは謁見の間。
使者や、地方の大士などを迎えたり、あるいは祭祀や朝議が行われたりする場所。それ以外に使われることは無い。
ここに星彩が来るのは、亜国から公子がやって来たときに、蘭蘭に乗って乱入して以来だった。
奥の一段高い所には、緋色の玉座がある。謁見の際は兵や家臣らが脇にずらりと並ぶが、誰もいない状態では異様に広く感じる。
「静かだねえ」
『そうねえ』
ぴかぴかに磨かれた床の上を、星彩を乗せたまま蘭蘭がゆっくりと玉座に向かい進んで行く。
『で、なんでここなの?』
「え? なんとなく、かな? あんまり来たことないし」
一段登ったところで蘭蘭から降り、真ん中に君臨する緋色の立派な椅子に触れる。
「宗麟はいつもここに座って、お仕事してるんだね」
『星彩も座ってみたら? 見晴らし良さそうじゃない?』
「ええ? そんなことして怒られるんじゃないかな?」
『誰もいないもの。平気よ』
「う、うーん、じゃあ、ちょっとだけ」
蘭蘭に促されるまま、遠慮がちに腰かけてみる。
小さな星彩には大き過ぎる椅子だ。奥まで腰かけると踵が浮いてしまうし、肘掛けは遠い。高い所にあるので見晴らしは確かに良いが、
(・・・でも)
本来は下にずらりと居並んでいるであろう家臣たちを想像して、少し怖くなってしまった。たくさんの人が足下にいるところで、上に在るのは唯だ一人。
それが、王という存在だ。
「・・・昔ね、恭では大変なことが起きたんだって」
椅子の装飾を眺めながら、蘭蘭と天祥に話した。
「この席を巡って、たくさんの人が死んだんだって。何もしてない人たちまで、みんな」
『王位争いってこと? 宗麟は兄弟がいるの?』
「うん。宗麒っていう、母さまがちがう弟。とっても仲良しだったんだって。でも今は、生きてるかどうかもわからない」
争いが終結したのは五年前。
当時の紫微城は宗麟か宗麒の二派に分かれ、互いに刺客を放ったり濡れ衣を着せたり、懸命に殺し合っていた。
当の本人たちは王位にさしたる執着がなかったにもかかわらず、周りの人間たちの都合でどんどん人が死んでいった。
王は家臣らの暴走を止めず、そしてある時、宗麒の恋人であった侍女が、宗麟に呪詛をかけたと疑われ、他の宦官や侍女らと連座で処刑されてしまい、怒った宗麒が城を飛び出した。後を追う兵から逃げ続け、ついに山中の谷に落ち、死んだのだという。
死体は見つかっていないから、生きている可能性が全くないわけではない。それでも、もう城に戻って来ることはないだろう。
宗麒がいなくなったことで、宗麟は王となった。
「この椅子には、たくさんの人の血がついてるんだよ」
絶対的な地位を求めて、犠牲になった人は数え知れない。
『―――だから、玉座は赤いのかもしれんな』
「っ!」
突如、耳元に囁かれた知らない声に、驚いて椅子から転げ落ちた。
「ごごごめんなさい!」
官吏か兵士に見つかったものと思い、ろくに相手も確認する間もないまま慌てて謝る。
『うむ。赦す』
「ほんと!?」
ぱっと顔を上げて、硬直した。
なぜかと言えば、それが人であったから。人であるのに、ふよふよと宙に浮いていたから。
心なしうっすら透けても見えるような彼は、嬉しげに目を細めていた。
『ようやく会えたな、万象の神子よ』
手が伸びてきて、頭をなでられた。
不思議なことに、触られているという感覚はあるのに、普通はそれと共に感じ取れるはずの、やわらかいとか、温かいとか、そういう感触がなかった。
固いわけでも冷たいわけでもなく、一体、何に触れられているのか、よくわからない。
『アナタ、幽霊?』
蘭蘭が問うと、彼は大いに頷いた。
『いかにも。余は
「初代、王・・・?」
改めて相手を見る。
立派な冠を戴いた頭に、綺羅やかな衣裳を纏った体。
見た目は三十か四十ほどで、体格はがっしりしていて眼光鋭く、片方の口の端を吊り上げている仕草が、貴人というよりは賊の頭のようである。
しかし立ち居振る舞いに粗野な感じはしない。
王、と言われれば、そんな風格があるような気もする。
星彩も一応、恭の大まかな歴史は書で読んだので知っていた。
簡単に説明すると、もとは浬という国に仕えていた者が、その王を斬り、新たに恭を名乗って国を興し、最後は浬国を滅ぼしてしまったのだ。
その者の名は慧㕮。確かに間違いない。
「は、はじめまして」
とりあえず、ぺこりと頭を下げた。
「わたしは星彩で、こっちが天祥、こっちが蘭蘭です。ええと、わたしは宗麟の、今の王さまの妃です」
『ああ知っているとも。この城で起こった事で余の知らぬことはない』
「え?」
『余は死んだその日から、ずっとこの城に憑いて離れてはおらぬからな』
「ええええ!? そうなの!?」
初代の王が死んだのは、少なくとも五十年は前だったはずだ。それほど長い間、現世に留まり続けていたというのか。
であれば、星彩が恭に来た時にはすでに、慧㕮は紫微城にいたということだ。
「ぜんぜん気付かなかった・・・」
『うむ。今まで特に用がなかったからな。いたずらに生者とは関わらぬようにしておった』
「どうして?」
『そもそも幽鬼を見る者は少ないが、なにより余は死人。生きていたときの如くに、誰かと関わることは許されぬ』
つまり、慧㕮は今まで星彩に見つからぬよう過ごしてきたということだろうか。幽霊の決まり事は知らないため、そういうものと思うしかない。
「でも、姿を見せてくれたってことは、わたしに用ができたってこと?」
『まったくその通りだ。今、この城で余と確実に言葉を交わせる者はそなたしかおらぬ。ちょうど月は陰を迎え、余の力も強まっておる。ぜひ、そなたに頼みたきことがあるのだ』
「それはいいけど・・・慧㕮はどうして城に留まってるの?」
『む、呼び捨てか?』
「ダメ?」
『まあ・・・よい。――余が冥界に行かぬ理由は、自身の建てた国の行く末を見届けるためぞ。余が現世から離るる時は、すなわち恭が滅ぶ時』
「じゃあ恭がある限り、慧㕮はずっとここにいるんだ?」
『それが余の未練であるからな』
「ふうん・・・」
未練なら晴らしてやりたいと思うが、この場合は時が経つ以外に解決法がない。
ということは、頼み事は別に彼の未練に関係することではないのかもしれない。
「それで、わたしに何の用? 何をすればいいの?」
『うむ。が、それほど急ぐことではない。人と口を利くのは実に久し振りなのだ。まずは散歩でもしながら、余と話をしておくれ』
「いいよ!」
散歩、と言いつつ慧㕮は浮いたまま宙を滑るように移動する。
その横を付いて歩きながら、昼の城内を回った。
「慧㕮はどうして死んじゃったの?」
『病を患っておった。余も十分に老いていたのだから、いたしかたなき事よ』
「あれ? でも今は若い姿だね?」
『死んだ後に好きな形を取れるのは幽鬼の特権というものであろう?』
『いや、知らないわよ』
『では覚えておくとよい。この姿は余が恭の建国を宣言した日のものぞ。この見目麗しい男に女は吸い寄せられて来たのだぞ?』
「モテモテだー」
『モテモテ!』
『うむ。どれもこれも美女ばかりでなあ。あの頃は国事に私事に大変ではあったが、楽しかった』
『英雄色を好むってヤツかしらねえ。ろくでもないとは思うけど』
『虎に批判されたくはないぞ』
『アタシは一途だもの』
『しかし、そなたもオスだろう』
『人のオスとは違うわよ』
『そうなのか?』
くく、と慧㕮は笑みを漏らした。
『いや、幽鬼となって良き事もある。こうして獣と話すなど、生きている時は考えられぬことであった』
『アタシも死んだ人間と話せるとは思わなかったわ』
『星彩は良いなあ。生きているうちから様々なものと触れ合える。まこと不思議な娘よ』
「うーん、わたしは昔からこーだから、不思議でもなんでもないんだけどね? むしろ、どーしてみんなは聞こえないんだろうって思っちゃう」
『そなたは特別な娘なのだ。ほら、なんと余も触れることができる』
慧㕮は再び星彩の頭をなでた。やっぱり不思議な感触だが、確かに存在しているのがわかる。
「他の人には触れないの?」
『大概は触れようとしてもすり抜ける。余は確かに現世に留まる者ではあるが、存在している場所は決定的に生者たちとは異なるゆえ』
「? どーゆーこと?」
『例えば氷の張った池の下に棲む魚のようなものだ。人と魚は確かに同じ世に存在するものであっても、氷がある限り触れ合えぬ。死者と生者との間には、常にこの氷の如き隔たりがあるのだ。――同じく、天地と人にも境界がある。人どうしにすら境界が存在する。ところが星彩という娘は、それをいとも容易く乗り越える。ゆえにそなたは、万物の声を聞き、万象の理を知り得るのだ』
「・・・よく、わからないよ」
難しい話になってきて困惑している星彩の頭を、慧㕮は優しくなで続けた。
『良い良い。言葉でわからずとも、そなたは感じることで知る。こうして余と触れ合うことで、天地にある理の一つを悟るのだ』
「・・・なんだか、慧㕮はわたしよりわたしのことを知ってるみたいだね」
『長いこと不思議な存在をしておると、様々のことがわかるのだ。――うむ、そなたの頭は、なで心地が良い。我が曾孫がよくなでておるのも頷ける』
「ひまご・・・あ、宗麟のこと?」
こんな若い姿で曾孫などと言われると、おかしな気がしてならない。
「慧㕮は宗麟のことも、ずっとずっと見てきたんだよね?」
『ああ。余の血を受け継いでおるだけあって、なかなか面白き男だ』
「宗麟の方は、やっぱり慧㕮のことを知らないの?」
『うむ。あの悪餓鬼は察しは良いが、人の世から外れた者の気配には疎い。・・・ゆえに、今も気づかぬのであろうな』
慧㕮はふと、どこかを見つめた。視線を追っても、先にあるのは建物だけ。それなのに、その横顔は悲しげで、あるいは何かを憐れんでいるようでもある。
『悔しいが、余もまた人の理を外れた存在。あの男に語りかける術を持たぬ』
「慧㕮?」
『もし肉の身があれば真っ先に殴りつけていたであろうに』
「え!?」
いきなり物騒な発言が飛び出した。仮にも自分の子孫に対して、そんな憎悪を抱くとはどういうことであろう。
「どうしたの? 宗麟と何かあったの?」
『まさか。奴と余は関われぬのだ。互いに何かすることなどできようはずもない』
「じゃあ、どうして?」
『余が勝手に苛ついておるだけよ。人とはまこと、もどかしき生き物だ』
慧㕮は深々と溜め息を吐いた。
『見届けると決めたは己であるが、時々どうにも苦しくなる。生前は思いついたら即実行できていたというのにな。死んだら何もできなくなると言うが、それは真実だ。余は、今やただ存在しておるだけ。何もできはせぬ』
「慧㕮?」
事情はさっぱりわからないが、あまりに悲しい言葉だったから、思わず慧㕮の袖を引いていた。
慧㕮は空中で静止して、やわらかく微笑んだ。
『ゆえに、余はそなたを呼んだ。死者と生者の両方に通ずる、万象の神子よ。そなたならきっと、あの者の救いとなれる』
そうして手を差し伸べられた。少し透けて見えても、生きている人と全く同じ形をしたもの。これが死んでいるなど信じられない。
だから、普通の人にそうするように、星彩は手を取った。
『ふっ』
と慧㕮が口の片端を吊り上げた瞬間、体ごと抱え上げられ宙を浮く。
「わっ!?」
ぐんぐん高度が上がり、あっという間に紫微城の屋根が見えた。
『星彩!』
足下で天祥や蘭々の騒ぐ声がする。
しかし慧㕮は星彩を抱えたまま、紫微城の上空をかなりの速さで飛び回った。
「わわわわわっ!?」
これまで不思議なものと関わってきた星彩でも、空を飛んだのは初めてだ。足を付ける地面の無い不安定な状態の中、高速で飛び回られるのは恐怖以外の何物でもない。
必死に慧㕮の体にしがみつくも、慧㕮はおもしろがって身を捻ったり星彩から手を離したりする。
「慧㕮―っ! ちゃんと支えてぇっ!」
『はーっはっはっはっ! ひ―っかかった! ひーっかかった!』
娘の叫び声に初代王はご満悦で、結局彼の気が済むまで、星彩は紫微城の上空を飛び続けた。
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