第13話 残された先

「――では、明日出発なのですか」

「うん!」

 午後の昼下がり、朧月に琴を習う合間、星彩は彼女に燕尾宮へと行く話をしていた。

「近くだからすぐ帰ってくるよ。お土産なにがいい?」

「ふふ、お気遣いは無用にございますよ。楽しんでらしてくださいませ」

「うん! あ、それでね、朧月」

 星彩は机の引き出しから、あるものを取り出した。

「出発の前に、これ、修理終わったから返すね!」

「え?」

 目の見えない彼女の手に、取り出した物を握らせる。彼女は指先でそれが何であるかを確かめた。

「・・・簪、でしょうか」

「そう。赤轡殿の前の塀に、まだ落ちてたよ。でもちょっと装飾が剥げちゃったりしてたから、大急ぎで修理してもらったの」

「これが、なんなのですか?」

「楽進の贈り物だよ」

「え・・・」

 すっ、と朧月の瞳が薄く開いた。光を映さない黒瞳が揺れている。

「刺客が宗麟を襲ったあの夜、楽進はこれを探していたの。せっかく見つけた贈り物なのに落としちゃって、一生懸命、探してただけなの。だから朧月の思った通り、無実だったよ。それは絶対なの」

 星彩は朧月の人差し指をつまんで、直った飾りの部分をなぞらせた。

「ほら、これ。晴れた空の色の石が、花の形になってるの。柄の部分は月の色で、とってもきらきらしてるっ。朧月に一番よく似合うと思うよ!」

「っ・・・」

「楽進は朧月に喜んでもらえるように、たくさん悩んで簪を選んだんだと思うの。直接渡してはあげられなかったけど、これが何年もなくならずにあったのは、きっと楽進の想いのお陰だよ」

 朧月は、しばらく何も言えずにいた。

 ただただ、指先で簪を何度もなぞった。

「・・・夫は、死の間際、私に謝りました」

 ややあって、呆然と朧月が語った。

「簪を、贈ってやれなくてすまなかったと・・・私が、それまで使っていた簪を壊してしまって、新しい物が欲しいとねだったら、あの人は一番似合う物を、きっと見つけて贈ってくれると言ったのです・・・これ、だったのですか? なぜ星彩さまがご存知なのですか?」

「過去を見て来たの。こんな話は信じられないかもしれないけど、うそじゃないよ。だから、まちがいないの」

「・・・」

 朧月は震える手で持ち上げて、そっと簪を頬に当てた。

「・・・ああ」

 瞳から、雫が一筋流れた。

「私は、私は・・・あの日から、二度と簪を使うまいとして、髪を切りました。あの人が贈ってくれるものでなければ、嫌だったのです・・・もう、もう、一生得られぬものと、思っておりました」

「朧月・・・」

「楽進は、夫は、無実であったのですね?」

「うんっ」

「――ありがとうございます、星彩さま、ありがとうございます。ああ、なんと貴女さまは不思議な御方でしょう・・・」

 礼を言いながら、朧月はたくさんの涙を零す。

 愛する人を目の前で処刑され、彼女は光を失うほどに泣いた。それなのにまだこんなに泣けるのだ。

 星彩は彼女が落ち着くまでずっとその背をさすってあげた。

「貸して」

 やがて涙がおさまった頃、朧月から簪を受け取り、彼女の短い髪を束ねて、うなじのところで留めた。

 青い石が、つややかな黒髪に映える。

 たおやかで繊細である一方、冴え冴えとした才気を放つ彼女に、とてもよく似合っていた。

「きれいだよ、朧月っ」

 楽進も、生きていればそう褒めたであろう。

 睫毛の先の雫を払い、朧月は微笑んだ。



**



「星彩さま、失礼いたしますよ」

 一声かけ、部屋に入った楊佳は、獣たちと寝台に座っていた星彩に眉をひそめた。

「あら? 朧月先生はお帰りになられたのですか?」

「うん。今日は、朧月にはゆっくりしてもらいたかったから、琴は途中で終わりにしたの」

「お加減でも悪いのですか?」

「ちがうよ。だけど、たくさん泣いたから疲れちゃったと思うの」

「はあ。よくわかりませんけども」

 首を捻り捻り、楊佳は台の上の琴を片付けたり、寝具の用意をしたりと仕事をこなす。天祥や蘭蘭が足元にまとわりついて邪魔をするのを追い払う侍女の背を眺め、星彩はふと思ったことを口にした。

「ねえ、楊佳。一つ、お願いしていい?」

「なんですか? 街に出たいとかはだめですからね」

「そうじゃなくて、もし、もしね? わたしに何かあっても、死なないでね」

「は?」

 さすがに楊佳は振り返る。

 彼女の主は、まるで不安に怯える子供だった。

「わたしが死にそうになったって、楊佳は死んじゃだめだからね」

「急にどうなさいました? なんのことをおっしゃっているんです?」

 楊佳は側に寄り、星彩を心配そうに覗きこむ。

「わたしは、自分のために誰かが死ぬなんて嫌だよ。みんな生きてるのが一番いいの」

「・・・よく、わかりませんが、主の危機に従者が体を張るのは当然の行いですよ」

「そんなのいやっ!」

 叫んで楊佳に飛び付いた。

「せっ、星彩さまっ?」

 ぎゅう、と楊佳を抱きしめて、星彩はいやいやと首を振る。

「そしたらわたしが楊佳を守るもの! 絶対絶対死なせない! ――だから楊佳、そんなこと言わないでっ。何があっても死なないでっ」

 涼杏のように、自ら死を選ぶようなことをしてほしくない。ではあの時どうするのが一番良かったのか、星彩にはわからない。だが、きっと何か方法があったはずだ。

「落ち着いてくださいませ。本当に、どうなさってしまったんですか?」

 楊佳は胸の中でぐずり出してしまった子の頭をなで、困ったように笑った。

「まったく・・・どこで何をお聞きになったか知りませんが、承知いたしましたよ。私は死にません」

「ほんとっ? 約束だよっ」

 ぱっと星彩は顔を上げた。

「ええ。だって私が死んでしまったら、星彩さまのお世話を誰ができるというのです? こんなに手のかかるお妃では、並みの者には務まりませんもの」

「うんうんっ! わたしのお世話は楊佳じゃないと無理だよっ!」

「少しは反論、いえ、反省なさいませ」

 はあ、と溜め息を吐かれるのも、なんだか今日は嬉しかった。

「わたし、みんなが仲良くできるようにがんばるから!」

「はいはい。それが星彩さまのお得意技ですものね。きっと、そのお役目は立派に務められますよ」

「うんっ! まかせてっ!」

 戻らない過去は過去として、これから先へと繋いでゆく。

 流れた涙や、失った命を想いながら、星彩らは手を取り合い、今を生きてゆく。

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