第19話 風の声
宴を終え、亜の公子が国へと帰った数日後のある朝。
「―――ん」
伯符はいつものように書庫で目覚めた。
わずらわしい朝日に顔をしかめ、凝った筋を伸ばす。そのとき、ばさばさ、と書物の落ちる音がした。
「天祥! だから登っちゃダメだってば!」
早朝から騒ぐ娘の声に、心当たりは一つしかない。
「あ、伯符おはよう!」
無駄に元気のよい挨拶と共に、みすぼらしい格好の妃が現れた。肩には今日も、なんとも形容しがたい青い獣を乗せている。
「・・・また、お探し物ですか」
「うん! 伯符はお仕事中? こんなに早くから大変だね」
「いえ、別に」
会話には上の空で答え、改めて、まじまじと妃を観察する。
何の変哲もない、一見すると田舎の娘のような者。しかし数カ月前には反乱を止め、数日前には虎と公子を手懐け、ついでに関係無い横領の証拠まで拾ってくれた。
そして、宴の夜に見せた不可思議な現象。
あの嘘のような光景がなんであったのか、未だに不明だ。あれだけの人数に目撃されたものを、幻覚の一言で片づけてしまうこともできない。
まるで普通に見える娘。しかし不思議な力を持っている。
対して自分は、他と違って見える男。しかし何らおかしな力は持っていない。
真逆であり、似ているようでもある。
「・・・で、何を探しておられるんでしたか」
「え?」
少し質問が唐突過ぎたのか、何かを喋っていた妃はきょとんとした。
「書物をお探しなのでしょう?」
「あ、うん。恭について書いてある、わたしでも読めるような簡単な書物がないかなあって。わたしも恭人として、国のこと詳しく知りたいのっ」
「もっと具体的に内容を絞ってください。歴史だとか、風土だとか」
「じゃあ、歴史について?」
「それなら、あちらの棚にあったはずです。いくつかあるので、どれが読めるかは、ご自分で判断なさってください」
「わかった! ありがとう伯符!」
礼を言い、さっそく書棚の前でぱらぱらと書をめくり出す。
伯符はその様子をしばらく眺めてから、仕事に取り掛かった。
(まあ、少しくらいは相手をしてやってもいいか)
一風変わった妃のもたらすものは、必ずしも実入りの無い厄介事ばかりではないのかもしれない。
*
「―――もし、失礼いたします」
昼下がり、政務室にやって来たのは珍しい客だった。
「洞玄?」
ちょうど韓当も徐朱も出払い、宗麟が一人でいるところに、老いた占星官は現れた。
「何か用か? 星彩なら遊びに行ったぞ」
「構いませぬ。陛下に、調べ物のご報告しておこうと思いましてな」
「調べ物?」
「ええ。星彩さまに関することにございます」
「? なんだ?」
筆を置き、老人に向き直る。
「星彩さまがお見せになる数々の不思議―――人外のモノの言葉を介し、神獣を呼び寄せ、精霊の呼応する楽の音を奏でなさること―――少々、思い当たる節がございましたので、古い書を紐解き、調べてみたのでございます」
「星彩の、力の正体ということか?」
それは、気にならないと言えば嘘になる。星彩自身もその力のせいで苦しんでいた時期があったのだから尚更だ。
特にこの前の宴で不思議な光景を目の当たりにした者たちは、星彩をただならぬ娘と認識した。今や母の身分がどうのという話より、そちらの方で星彩の噂は持ちきりになっている。
妃を特別視する、それはそれでいいが、奇異の目を向けられて本人が気にするようなことになってはよろしくない。あの力が説明のつくものであるのなら知っておきたいと思う。
「陛下は、《万象の神子》というものをご存じですか?」
「? いや」
「それは遥か千年より昔、まだ我らの知る国がなかった時代、地上にあって天の血をひく娘を指す言葉にございました。是は天帝の娘、すなわち天女が人と交わり成した子で、天地にあるすべての命と対話をし、天機を悟り、過去から未来まで見通す力があったといいます。―――ちょうど戦乱期を迎えた時代、諸侯は神子の存在を知り、競って求めました。天地を操り、未来まで見通す娘が、まさしく宝と見えたのでしょう。諸侯の間で奪い合いがなされていた神子は、ある時、愛しい者を失い悲嘆し、自害をいたしました。すると天地は怒り、神子を死へと追いやった国々は、天変地異により悉く滅びました。――――これが、多くの者が忘れてしまった古い古い歴史のお話ですじゃ」
「・・・」
「その御力の性質を察しまするに、星彩さまは天の血をひく御方なのではないかと」
「・・・星彩の母は天女だったと言いたいのか?」
それは、とても突拍子のない考えに思える。しかし、説明のつかない星彩の力が、天という同じく説明し難い存在に由来するものであるとするのは、納得できないわけでもない。
「母御のご実家は、わからぬのでありましょう?」
「ああ。聞く前に死んでしまったらしいが・・・天女も死ぬのか?」
「詳しい事情はわかりませぬが、可能性は否めませぬ」
髭をなでつけ、洞玄は深刻そうに唸った。
「陛下。もし、星彩さまが神子であられるとすれば、その御力を周囲へ知らしめるのは危険にございます。しかも星彩さまはご自身がまこと貴重なる存在であるということに気付いてはおられない。誰にでも心を許すはあの方の美徳なれど、わしは心配ですじゃ」
「悪い兆しでも見つけたか?」
「星彩さまの宿星を眺めておりますと、白き輝きが時折蔭ることがございます。何かが近づいておる証か、あるいはもう、影に接しておられるのやもしれませぬ」
「・・・影、か」
「陛下、陰陽は必ず対となりまする。たとえ神子といえど、闇との出会いを逃れられぬこともございます。陛下がどれだけ、怖いものから遠ざけようとなさったとしても」
「・・・」
「いつか邪なる者が現れた時、しっかりと星彩さまをお守りくだされ」
宗麟は、小さく息を吐いた。
「・・・占星官の言葉は兆しか。もっと具体的なことがわかれば、なおいいんだがな」
「お気をつけなさいませ。あるいはこうしておる間にも、何かが近づいておるのやもしれませぬ――――」
*
「今日は何して遊ぼっか」
午前中は勉強をして、借りた本も少し読んで、意気揚々と星彩は遊びに出かけた。
瑞其が亜に帰り、遊び相手が減ってしまったのが少し寂しい。しかし仕方の無いことだから、元気を出そうと声を張った。
「かくれんぼでもしよっか?」
『する!』
『えーイヤよ。だってアタシの隠れるところがあんまり無いじゃない』
「あ、そっか。じゃあー、紫微城で行ったことがないところを探検するのは? 蘭蘭もまだあんまり慣れてないし」
『賛成っ』
『天祥、星彩一緒なら、なんでもいい!』
「よーし決まりっ! 早速しゅっぱーつ!」
『おー!』
ぱたぱたと駆け出した。その時。
――――せい、さい――――
「・・?」
名を呼ばれた気がした。風の声ではない。風に乗って、どこか離れた場所から届いてくるようだ。
――――せい、さい――――
呼ばれている。しかし、どこから聞こえて来るのかわからない。
「・・・誰?」
問い掛けても返事はない。しばらく待っても、もう、聞こえてこなかった。
『星彩? どうしたの?』
先行していた蘭蘭たちが、心配して戻ってきた。
「今、誰かに呼ばれた気がしたんだけど・・・」
『アタシは何も聞こえなかったわよ? 気のせいでしょ』
「そ・・・かな?」
風の声ならともかく、風に乗って届く声なら、星彩よりずっと耳の良い蘭蘭が聞き逃すはずがない。
『早く行きましょうよっ、探検!』
「う、うん!」
結局よくわからないまま、獣たちに急かされ謎の声はうやむやになる。
涼しい秋風が吹き去り、だんだんと冬の気配が近づく、そんな頃の出来事だった。
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