第6話 歓迎の気持ち

 薬草園での散歩を終え、半日三人の公女と共に過ごした宗麟は、部屋に帰るやどうっと長椅子に倒れ込んだ。

「うんざりし過ぎですよー、殿下」

 従者の徐朱が、からからと笑う。

「いい感じだったじゃないですか」

 あからさまな皮肉に、宗麟は軽く従者を睨む。

「どこがだ。次女は一言も口利かないし、三女は俺を鬼か何かと思ってるのか怯えっぱなし。唯一まともに会話するのは長女くらいだったぞ」

「なら、もう第一公女になさればよろしいではないですか。背格好も年もちょうどいいし、なによりお三方の中じゃ一番お美しいですよ」

「おまけに琴もお上手でしたねえ。詩書にも明るく、王家の鑑とはああいう方のことを言うのでしょうね」

 もう一人の従者、韓当も同僚の意見に賛成する。

 宗麟の方はと言えば、起き上がってつまらなそうに頬杖をついた。

「ま、確かに長女が無難なとこだろうがな。まだわからない」

「いかに現王の寵愛を受けているかってやつですか? 確かに、そのほうが人質の価値は上がりますけど」

「でしたら王もお年ですし、そういう方は下の子ほど可愛がるもんでしょう。とすると、第三公女あたりですかね。聞けば母方の家は代々続く名家だそうじゃないですか」

「よく知ってるな」

「殿下が苦戦してる間、横で侍女を口説いて聞き出したんです」

「・・・徐朱、お前って奴は護衛中になにを」

 しかしちっとも悪びれない同僚を韓当が呆れた目で見つめた。

「下の子ほど・・・ね」

 宗麟はそんな従者二人を尻目に、一人考え込んでいた。

「そういえば殿下、午前の間はどこにいらしたのかそろそろ教えていただけませんか」

 不意に韓当が生真面目な口調で問いかける。

「勝手にいなくならないでくださいよ。同盟国とはいえ歓迎されてないんですから。何かあったら大変でしょう?」

「白龍のとこに行ってたんだよ。心配しなくとも自分の身くらい守れるさ」

「それは存じておりますが、万が一ということもございます」

 続く徐朱の言葉に、おや、と宗麟は思った。

 韓当が真面目なのはいつも通りだが、徐朱まで不安を漏らしたのは意外だった。どちらかといえばこの家来は楽天的で、己も仕事中に女を口説くなど自由な振る舞いをし、主の勝手な行動に関しても大目に見る方なのだ。ということは、それだけの何かを、侍女を口説き落としたついでに聞き出したのだろう。

「何がある」

「ただの噂です。同盟反対派が、強硬手段に出ようとしているのだとか」

「中心人物は?」

「重臣の誰かだとは思いますがね。そもそも淸じゃ誰もが心から同盟に賛成してるわけではありませんから、反対派の数が表裏合わせてどれくらいになるのかもわかりません」

「・・・同盟しても変わらない、か」

 背もたれに寄りかかり、凝った首の筋を伸ばす。わかりきっていたことに、今更驚くべくもない。

 とそのとき、韓当が腰の剣に手を添えた。

「殿下」

 窓の外をじっと見つめ、緊張した面持ちで気配を探っている。

 宗麟と徐朱は変わらず会話を続けながら、それぞれ得物に手をかけて韓当に倣い外を窺う。

 あてがわれたこの宮の、入口には連れて来た兵を置いてあるが、窓の外の立派な庭には、誰もいないはず。しかしもうすっかり夕暮れで長くなった影の中に、小さくうずくまっているものがあった。

 おそらく、窓の下でしゃがんでいる者の影だ。入口の兵士に見つからないよう、壁づたいに来たのだろう。

 そろりと韓当が窓の横に回りこんだとき、影はもぞもぞと、縦に長くなろうとした。つまり立ち上がろうとしたその瞬間、韓当が鞘に入ったままの剣を両開きの窓の中心に突き出した。

 勢いよく左右に開いた窓枠は、一瞬現れた何者かの頭に思い切りぶち当たる。宗麟の位置からは見えなかったが、襲撃者は声もなく庭に落ちたようだ。どさりと地面に倒れ込む音がして、続いて鷲がぎゃあぎゃあと飛び回った。

「・・・ん?」

 まさかと思った宗麟は、韓当を押しのけ窓から身を乗り出した。

 赤い陽の差す夕日の下、額を押さえ悶えている三つ編みの娘と、その周囲を心配そうに鳴きながら旋回する鷲とがあった。

「星彩!」

「そ、宗麟?」

 声をかけると星彩はうっすら涙目の顔をあげた。

「・・・大丈夫か?」

「瑛勝兄さまのげんこつのほうが、もっと痛いから、平気」

 ごしごしと涙を拭って、娘は健気にも笑ってみせた。

「ごめん、間が悪かったみたい。宗麟に話があって来たんだけど・・」

「それならそうと普通に入ってきていいんだぞ?」

「入口に兵士の人が怖い顔で立ってたから邪魔しちゃ悪いかと思って。それに、長居はしないからここでいいのっ」

 えっとね、と星彩は窓の側に寄ってきて、一旦しゃがんだ。

「―――これ! 宗麟にあげる!」

 掲げた手には、中に土を詰め、白い花を一本植えた小さな花瓶があった。

 白い花は花弁が星型で一つに繋がっており、茎は針のように華奢なのに、手の平ほどの花をまっすぐ支えている。

「ユラの花っ。淸にしかないって聞いたんだけど、宗麟は知ってる?」

「いや、初めて見るな」

 星彩から花瓶を受け取ってまじまじと観察するが、やはり覚えはない。昨日の花咲き誇る庭園でも、薬草園でも、このようなものは見なかった。

「この花はね、他の花がいるところに種を蒔くと芽も出ずに死んじゃうんだけど、こうして分けて育ててあげれば少し変わった花が咲くの。今はほら、真っ白でしょ? でもだんだん色がついてくるの。赤だったり青だったり、黄色だったり、持ってる人にふさわしい色になるんだって」

「へえ、おもしろいな。これは星彩が育てたのか?」

「うん。ずっと前に紅淑姉さまに種をもらって、たまに育ててるの。今日見たら花が咲いてたから、宗麟にあげようと思って。花が咲いてから枯れるまで毎日水をあげてると、その人の色になるんだよ。七日くらいで枯れちゃうんだけどね、それまでに宗麟にふさわしい色に染まるよっ」

「星彩は何色になったんだ?」

「わたし? わたしはダメ。変わらないの」

 星彩は残念そうに肩をすくめた。

「育て方が悪いのかも。ちゃんと姉さまと同じく育ててるつもりなんだけどね? それも色が変わらなかったらごめん」

「? それって―――」

「でもね!」

 こちらの言葉を遮り、星彩は「心配しないで!」と声を張る。

「枯れたあとに実が残るから、割ってみて! 中にたくさん種が入ってるの、お土産にするといいよっ。淸の貴族の間でも占いでよく使われてるから、きっと恭でも流行るよっ」

「土産まで考えてくれたのか? ありがとう」

 小さな頭をなでてやると、星彩はくすぐったそうに笑う。その様子を見ていたら宗麟も自然と笑みを浮かべていた。子供の特性とは、こういうものだろう。

 ところが手を引っ込めると、星彩はふと笑みを消した。真面目な、深刻な、ともすれば泣き出しそうな表情で、見上げてくる。

「あの、あのね、宗麟っ」

「うん?」

「わたしは宗麟が兄さまになるの、大歓迎だから!」

 いきなりといえばいきなりの発言に、宗麟もすぐには反応できなかった。とりあえず沈黙していると、思いつめたような星彩が胸の内を語ってくれた。

「わたし、聞いたの。恭はとってもすばらしい国だって。活気があって、豊かで、人は明るくて優しいって。宗麟はいつも忙しく働いてるのに、白龍のお世話も手を抜かないでしてくれて、白龍にとっては自慢のご主人さまなんだって。・・・鳥たちにお米を分けてあげたり、口の利けない馬の世話をおろそかにしない優しい人たちがいる国が、蛮国だなんて、わたしは思わないよ。この同盟は淸にとってちっとも嫌なことじゃないと思う。宗麟なら、姉さまのことだってきっと大事にしてくれると思うもの。だからね、ユラの花を贈るのは、わたしの歓迎の気持ち。宗麟が家族になること、淸と恭が仲良くなること、それが全部嬉しいって気持ち!」

 それから、星彩は昼間の日差しのような眩しい笑顔を浮かべた。

「これだけ、どうしても言いたかったの。―――わたしは宗麟に味方するから。わたしなんか何の力もないけど、困ったことがあったらいつだって相談に乗るよ! できることは何だってする!」

 嘘も、詭弁も、疑念も、驕りも、何一つ知らないような澄んだ瞳が、真っ直ぐに宗麟を見つめてくる。

 今朝、星彩の様子が少しおかしかったのには気付いていた。突然恭の建国の話を聞いてきたから、おそらくは兄にでも恭は蛮賊の国であると聞かされたのだろう。多少は誤解を解くつもりで宗麟も事情を説明はしたが、兄の言葉とよく知らぬ男の言葉のどちらを信じるかは、考えるまでもないことだと思っていた。

 しかし予想に反し、恭の善なることを信じてわざわざ味方をすると宣言しにやって来たこの娘の心の在処が、宗麟はどうしても気になった。

「なんで星彩は俺に肩入れしてくれるんだ?」

 これに、娘は即答した。

「だって宗麟はわたしを助けてくれたし、名前を呼ぶのも普通に話すのも許してくれて、白龍にも乗せてくれたでしょ? こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、宗麟は新しい兄さまっていうより、友達のような気がしてるの」

「友達?」

「うんっ。友達にはいつだって力になってあげたい、わたしができることの全部、してあげたいのっ」

「・・・そうか」

「?? なんで笑うの?」

 あまりに単純な答えに、つい吹き出してしまって、小首を傾げられた。

「いや、これほど友情に篤い友を持てて、俺は幸せだなと思って」

「ほんと? そう思ってくれる?」

 少し皮肉っぽい言い方をしてしまったのにもかかわらず、星彩は嬉しそうだった。言葉の裏側を知らない娘は、素直に捉えることしかしないのだろう。まだ数度しか顔を合わせていない者相手になんら構えず向き合える所以は、おそらくそこにある。

「星彩の気持ちはありがたくもらっておくよ。――なあ、今度は俺の方からも訪ねていいか?」

「もちろん!」

「そういえば、ここの場所は誰に聞いたんだ?」

「周迂が調べて案内してくれたの」

 星彩が元気よく答えると、足元で大人しくしていた鷲が裾を嘴で引っ張った。

「え――? あ!」

 気付いた星彩は慌ててぶんぶん首を振る。

「うそ! 人に聞いたよ、ちゃんと!」

「・・・誰に?」

「じ、侍女の人とか」

「とか?」

「侍女の人に!」

 顔が真っ赤なのは、夕日のせいか、必死なせいか。

 宗麟はもう堪え切れず笑い出した。

「なななななに? お、おかしくないよ、何もっ」

「―――っ、―――っ、そうだな、何もおかしくない」

「だ、だったら笑っちゃダメ!」

「悪い」

 動揺を隠すためかわざと怒ってみせる星彩をなだめ、宗麟もようやく笑いを収めた。それでも口元に笑みは残ってしまっている。

「明日はちょうど空いてるんだ。遊びに行ってもいいか?」

「いいよっ。あ、お茶とか用意しておくねっ。お迎えにも行くからっ」

「ありがとう。さあ、そろそろ日も暮れる。兄上殿に見つかる前に帰ったほうがいいぞ」

「うん。じゃあ最後にひとつだけ。今夜は雲が晴れて、月がきれいに見えるよ。明日もずっと晴れ! ―――それだけ! おやすみ、宗麟!」

 大きく手を振って、星彩は来た道を走って戻っていった。周迂は助走をつけて飛び立ち、その後を追っていく。

「・・・なんだったんです? 今の」

 ずっと口を挟めずにいた二人の従者が、主に問う。

「第四公女の星彩だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・初耳ですね」

 韓当が呆然と呟き、徐朱が改めて星彩の去った方向を見遣る。

「あれは、確か暴れ馬に乗っていた娘では?」

「母親が平民の出であるためか、あの娘にはどうも王族としての教育が一切なされていないらしい。昨日、王の私室で鉢合わせて判明した」

「・・・もしかして殿下、午前の間は第四公女とご一緒に?」

「白龍を見に行ったらちょうどいたんだよ。まあ、いそうだと思ったから行ったんたが」

「わざわざ会いに行かれたということですか? しかし、見たところずいぶん幼いようですし、境遇を聞く限りとても淸王に愛されているとは思えませんが、興味がおありで?」

「大いに」

「まさか殿下、幼女しゅ」

「待て徐朱! それ以上は言うな!」

 同僚の口をすばやく塞ぐ韓当。

「そこまで幼くはないだろう」

「いやでもけっこー・・・いえ、なんでもありません。とにかく」

 韓当は途中で言葉を切り、ごほんと一つ咳払いをした。

「殿下の好みは置いときまして」

「別に幼女趣味だとは言ってないぞ」

「ああそんなはっきりと! ――いえ、それはまあともかくとして、殿下は妃の条件に、淸王が最も愛着を持っている姫と決めてらっしゃるのでしょう? でしたら、ないがしろにされている第四公女などにかまけていてはなりませんよ」

「幼女がお好みなら第三公女でもよろしいではないですか。あの方もなかなか、あどけないお顔をされていますよ」

「徐朱! 言い方ってものがあるだろう!」

「いや、お前らなんで幼女趣味を前提に話を進める? 俺は別に、条件さえ合えば顔にも年にも希望はない」

 勝手に言い争っていた従者二人は、ふと口を噤んで怪訝そうにする。

「第四公女が条件に合うとおっしゃりたいんですか?」

「さあな。ただ、少し引っ掛かる」

 淸王の庭で、星彩は茂みから現れた。きっと塀に穴でもあいているのだろう。つまり星彩は許可なく王の私室を訪れているということになる。なのに王はそれを咎めず、穴を塞ごうともしない。それを語って聞かせると、従者たちも神妙な顔つきになった。

「あともう一つ。身に染みてわかった通り、淸での恭の評判は最悪だ。そんな国に娘を人質にやるのに、どうして後ろ盾もなくどこからも文句の出ない星彩に白羽の矢が立たない? 礼儀がなってないと言うならきちんと教育すればいいし、着物だって与えてやればいい。嫁がせるために必要なことなら他の公女や妃も納得するだろう。なのに、なぜ」

「それは・・・やはり太子妃には相応しくない身分であるからでは」

 韓当の意見には、しかし思案顔の徐朱が反論した。

「淸がそこまで恭のご機嫌を伺うか? この国はあくまで恭を見下しているんだぞ。そんな都合のいい姫がいるならこちらの要望など聞かず、はじめから第四公女を送ってしまえばいいじゃないか。母御の身分がどうあれ、仮にも公女を送られてしまえばこちらとしても文句は言えない」

「・・・なるほど、確かに。第四公女を嫁がせることができれば淸としては一番都合が良いのでしょうに。なぜ、その存在をわざわざ隠すのでしょう?」

「だからつまり、何か不都合があるってことだろう」

 宗麟はユラの花を机に置き、その柔らかい花弁を指でなぞった。

「公に出せない不都合。他国にはやれない理由。―――ま、とにかく何かあるのは確実だ。今は妃選びよりそっちの方が気になってしょうがない」

「・・・それ、寄り道になりません? あんまり時間をかけないでくださいよ、帰ったら政務が山積みなんですから」

「韓当、殿下が我々の言うことを聞いた試しなんかないんだ。諦めてお付き合いするっきゃない」

「腐るな。寄り道で思わぬものを見つけることだってあるさ」

 不満げな従者たちに言いつつ、さあこの花は一体どんな色に染まるだろうかと、宗麟はすでに別のことを考えていた。

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