第16話 決戦の宴

 夜の闇が迫る夕刻となって、星彩はさりげなく慌ただしい厨房の中に入り込んだ。

 いつもの着物を脱ぎ、用意してもらった女官の衣装を着て、三つ編みでなく頭の両端でだんごを作って、余った髪は両脇に垂れている。どこからどう見ても、星彩は若い女官でしかなかった。

『星彩、あれだ』

 袖の中には鼠の紫忠が潜み、膳を運ぶ女官の二人を指差した。

「恵香と、小燕だね」

 星彩と全く同じ髪型と格好の二人。見失わないよう注意しながら、星彩は表にいる韓当に近づいた。

 韓当は重い水瓶やらを運ぶ男手として、袖も裾も短い、粗末な着物の小間使いに変装していた。その格好で剣を帯びることはできなから、懐に短剣を忍ばせている。

「韓当、間者はあの二人だよっ」

 小声で耳打ちし、女官の姿を指す。

「二人だけですか?」

「たぶん。一応、鼠たちにも改めて調べてもらってる」

 よく見ると、あちこちで時々「きゃあっ!」とか「うわぁっ!」とか悲鳴が上がっている。鼠たちが女官や下男の着物の中に入りこんで刺青の有無を確かめているのだ。

「・・・星彩さま、ずっとお伺いしたいことがあったのですが」

 しかし聞こうか聞くまいか悩むように、韓当は口籠る。

「なに?」

「その・・・・星彩さまは、よく鼠に調べてもらうとおっしゃっていましたよね? 私は、手下の者のことをそのように呼ばれているとばかり思っておりましたが、お袖にいる鼠は」

 小さな頭をぴょこんと出している紫忠を見て、韓当は困ったような顔をする。

「それに先程から、妙に鼠どもが慌ただしく・・・じ、自分でもおかしなことを申していると思いますが、その、星彩さまは」

「うんっ」

 星彩は、大きく頷いた。

「わたし、人以外のモノの言葉がわかるのっ。韓当は信じてくれる?」

「・・・」

 すぐには答えられず、驚いた表情のまま固まってしまった韓当に、星彩は笑いかけた。

「無理はしなくていいよっ。でも、信じてくれたら嬉しいっ」

 星彩はそれで会話を打ち切って、宴の準備の中に戻った。

 後ろで韓当がどんな顔をして、どんなふうに思っているか、不思議と気にはならなかった。たとえ誰に信じてもらえずとも、肯定してくれる人を、星彩はすでに持っていたから。また、この力を信じてはもらえずとも、星彩自身を信用してくれる人たちがあることを知ったから。

 怖いものなど何もなかった。

 星彩は間者二人の後にこっそり付いて、膳を運んだり、会場の準備をしたり、時折離れてしまうこともあったが、鼠たちがすぐに居場所を教えてくれた。

「にょ、女官ってけっこー大変なんだね」

 松明に火が灯り、宴が始まる頃になると星彩はすっかりクタクタになっていた。若いせいで女官の中でも下っ端と見なされた星彩は、同僚たちにも用を言い付けられ、あちこちに走り回りつつ間者の二人からも目を離さぬようにと気を配っていたため、倍に疲れてしまった。

『大丈夫か? 星彩』

 さすがに紫忠も心配そうにしている。

「うん、平気、平気っ。これからが本番なんだもん、へばってちゃいられないよっ」

『うっし、その意気だっ』

 紫忠の小さな手にぺちりと頬を打たれ、星彩は気合いを入れ直す。

間者が毒を仕込むなら宴の最中。配膳が終わり、給仕たちが酌のために厨房から出払った頃合い。そうしたら韓当を中に呼びこんで、毒をいれた瞬間を捕らえる。

 芻稟に言い含められたことを頭の中で反芻し、ひたすらにその時を待った。

 給仕ではなく細かい用事を言いつけられていた星彩は、ほとんど厨房の周りから動かなかった。韓当もなんのかんのと理由をつけて近くに待機し、よって二人とも宴の様子はさっぱりわからなかったが、厨房から人が消えたのに気付いたのは間者たちより早かった。

 酒瓶の並ぶ机の奥に韓当を隠し、星彩は間者たちが入ってくると後ろを向いて、棚から探し物をしているフリをした。

『恵香と小燕だ。こっちを警戒してンぞ。星彩、そのままだ』

 懐から紫忠が顔を出して、星彩の代わりに背後の様子を実況してくれる。

『お、袋を出したぞ。あれは―――丸い、薬みてーだな。あ、いれた』

 よく耳を澄ませると、ぽちゃんという微かな音が聞こえた。

「そこのお前」

 呼びかけられて振り向けば、うすら笑いを浮かべた二人の女官が手招きをしている。

「これを王の御前に持ってゆきなさい」

「わたしが?」

「お前以外に誰がいるというの。いいこと? これは王専用のお酒です。くれぐれも、王以外の方の杯に注いではならないわ」

 他の瓶と全く同じ瓶に入った酒が、王専用であるはずがない。彼女らは星彩を騙し毒を運ばせて、自分たちは悠々と逃げるつもりなのだ。

「王専用のお酒なら、毒味をしない?」

そう提案すると、女官たちは瞬時に顔を強張らせた。

「王が口にするものは、必ず毒味をするって聞いたよ」

「・・・毒味は、済んでいるわ」

「でも万が一ってこともあるよ」

 星彩は戸棚から椀を取り出して、瓶の中身を掬った。

「何をするの!」

「どうぞ」

 慌てる女官の前に酒の滴る椀を差し出した。しかし女官はぐっと口を引き結んで、受け取ろうとはしない。

「怖い? じゃあ、わたしが飲んでみるね」

 そうして星彩が己の口元に椀を持っていこうとすると、

「やめなさい!」

 女官の手が星彩の手を打ち、椀が床に転がった。

 ここで星彩が死んでしまえば、騒ぎとなって毒酒を王に飲ませることができない。咄嗟に判断し、結果として酒に何かがあることを露呈させた。

「やっぱり毒をいれたんだ! ちゃんと見てたよ!」

「くっ・・・」

 女官が舌打ちした瞬間、韓当が机の陰から躍り出て、近くにいた一人を捕まえた。

「周迂!」

 星彩が大声で呼ばわれば、もう一人、韓当の登場に泡を食って逃げ出そうとした女官を狙って、外から鷲が襲来した。

「やあっ!」

 周迂に怯んだ女官の後ろから星彩は飛びかかり、相手ごと床に倒れた。そのまま女官の首に抱きついて上から押さえ、周迂は彼女の頭を蹴爪で掴み、物陰から星彩と一緒に飛び出した大勢の鼠たちも手足に取りついた。

「韓当! 韓当! 捕まえた!」

「すぐ参ります!」

 韓当ははじめに捕まえた一人を縄で柱に縛り付けてから、急ぎ星彩のもとにやって来て、もう一人も同じ柱に縛り付け、口に布も噛ませた。

「やったやったっ! できたぁっ!」

 星彩は周迂や鼠たちと共に歓声をあげる。

「せ、星彩さま、もう少しお静かに・・・」

「何事です!?」

 韓当の弱り声にかぶって、女の悲鳴じみた叫びが響いた。

 春麗の侍女に紛れ込んだ間者、夸白だ。

「韓当っ、あの人も間者だよ!」

「え!?」

 焦って韓当が捕まえようとしたときには、状況を察した侍女はすでに踵を返したところだった。

「しまっ・・・」

 逃げられる、と二人が絶望したとき、途端に「きゃあっ!」と見えない廊下から悲鳴が上がった。

 すると侍女の腕をひねり上げながら、徐朱が現れた。

「やはり、後をつけて正解でしたね」

「徐朱!」

 星彩は手を打って味方の登場を歓迎した。

「ありがとう! 助かったよ!」

「お役に立てて光栄です」

「なぜお前がここに? 殿下の護衛はどうした」

「夸白が第三公女の側を離れるのが見えたから、許しを得てつけたのさ。案の定、計画の進行具合を確かめに来たみたいだな。どうだ、助かったろう」

「確かに助かったが、お前に言われるとなぜか否定したくなる」

「おいおい、殿下のひねくれがうつったか? 少しは星彩さまの素直な御心を見習えよ」

 徐朱は韓当と言い合いつつも、ぎっちりと容赦なく侍女を縛り上げた。

「さ、星彩さま。もう一つ、お仕事です」

 女官の懐から赤い紐を取り出して、徐朱が星彩に手渡した。

「これを厠の裏の木に結び付けるんだよね」

「本当にお一人で大丈夫ですか?」

 もし他の間者がどこかで見張っていても不審に思われぬよう、この役目ばかりは女官の格好をした星彩がやるしかない。暗い中では、同じ格好をした女官の区別などつけられるはずがないからだ。

 韓当も徐朱も、付いては来られない。だが、怖くはない。

「一人じゃないよっ。周迂も、鼠たちもいる。何かあったら知らせに行ってもらうから安心して! ――――行くよ、みんなっ」

 赤い紐を振り、頼もしい友たちと一緒に暗闇の中へ踏み出した。

 周迂は空高く舞い上がり、そこから星彩を見守る。鼠たちは陰の中を走り、紫忠のみが懐に残る。

 右も左も味方ばかり。

 星彩は慌てず急がず、目的地まで向かった。

 宴の会場は神水宮という宮殿で、塀に囲まれた中には厨房も厠もある。兵士が庭のあちこちに詰め、星彩の姿を一瞥するが、何も言ってはこない。その視線の中に間者もいるのだろうかと思うと緊張したが、なるべく目を伏せ、気にせず歩いてゆくよう心掛けた。

 厠の裏手には一本だけ、細い木が立っていた。幹に紐を結びつけ、星彩は辺りに人がいないことを確認して、厠の中に隠れ、壁についた小さな窓から外を窺った。

 しばらくし、兵士が一人やってきて木に結び付けられた紐を取っていった。

『呉文だぜ』

「うん」

 星彩は相手がすっかりいなくなってしまってから厠を出て、厨房に戻った。そこには韓当が一人だけで待っており、徐朱も柱に縛り付けてあった間者たちも消えていた。

「あれ? あの人たちどうしたの?」

「他の者の目に付きますので、食料庫の中に放り込んでおきました」

「徐朱は?」

「持ち場に戻りました。星彩さまの方は、首尾はいかがです?」

「今、間者の呉文が紐を持っていったよっ」

「では星彩さまは皆さまにそれをお知らせください。私はここで間者どもを見張っておきます」

「ううん、韓当は着替えて宗麟の側に戻ってあげてっ。狙われてないって言ったって、黄鵠とかもいるんだし、もしかしたら危なくなるかもしれないから」

「それは、そうですが・・・しかし、見張りをつけないわけには」

「周迂と、紫忠たちに見張ってもらうよっ。周迂は飛ぶの速いから、何かあったらすぐに知らせてくれる」

「・・・」

 机の上に降り立った立派な鷲を韓当はしばらく眺め、

「・・・お手」

 ぺしん、と周迂は手の平を出してきた韓当の頭を翼で叩いた。

「周迂は犬じゃないよ? そんなことしたら怒るよ」

「・・・ええ、賢そうな鷲ですね。わかりました、星彩さまを信じます」

 韓当は意を決したように言い、では、と畏まって退出した。

「周迂、紫忠、よろしくね」

『うむ。まかせろ』

『まかしとけ!』

 周迂と鼠たちが頼もしく胸を張って答えたのに安心して、星彩は酒瓶を一つ持ち宴の席へ向かった。

 篝火がたくさん焚かれ、笛やら琵琶やら、軽快な楽の音も響いている。

「わあ・・・」

 初めて宴というものを見た星彩は、思わず感嘆の声を漏らした。

 いつもより更に立派な衣装に身を包んだ貴族らが並んで酒を仰ぎ、煌びやかな舞妓が中央で羽衣をはためかせ舞っている。奥に座す王も、その両隣りに座る宗麟も瑛勝も、更に脇に並ぶ兄姉たちも、普段は見ないような豪奢な着物を纏い、光を受けて輝かんばかりだ。

 つい見惚れて廊下で立ち止まってしまっていると、誰かに肩を叩かれた。見れば、徐朱であった。

「うまくゆきましたか?」

「うん、ばっちりっ」

「それは祝着」

「徐朱は宗麟の側にいないの?」

「さすがに王族の方々のいらっしゃるところへは近づけません。ここでも殿下をお守りすることはできますのでご安心を」

「そっか。あ、韓当もすぐ戻ってくるからねっ。間者の見張りは周迂たちに頼んだから」

「おや。よく韓当が承知しましたね」

「わたしの言ったことを信じてくれたの」

「星彩さまのおっしゃったこと?」

「人以外のモノの言葉がわかるってこと。徐朱も信じてくれる?」

 すると綺麗な従者は綺麗に微笑んだ。

「殿下はご存知なのでしょう? わが主の信じるものならば、私も信じます」

「―――ありがとっ」

 徐朱もまた、気付いていたのだ。星彩の他とは違う、不思議な力に。そうして受け入れてくれたのだ。

「じゃあ、わたし行くねっ。みんなに報告してくるっ」

 星彩はじっとこちらを注視する芻稟の視線に気づき、徐朱と別れてそちらに向かった。

「首尾は?」

 側まで寄っていくと、団扇の陰からこっそり問いかけられた。

「うまくいったよっ。女官と侍女の間者は捕まえたし、兵士の間者は赤い紐を持ってった」

「ご苦労。お前にしてはよくやったわ」

 素っ気ない言い方ではあったが、姉のねぎらいの言葉は素直に嬉しい。

「瑛勝兄さまにもお知らせしてきなさい」

「うんっ。あ、芻稟姉さまはお酒いる?」

「いらない。兄さまに注いで差し上げなさい」

「はーい」

 星彩は居並ぶ兄姉たちの後ろを通って、瑛勝のもとへ行く。

「よくやった」

 報告を済ますと瑛勝も褒めてくれた。

「お前はここで我らの給仕をしていろ。他に毒を盛る者が近づかぬようにな」

「わかったっ」

「ただし父上の方は良い。狙われている父上の側に、お前がうろついていては邪魔だ。事情はお話ししてあるから気にせずいろ」

「うん」

 つと、一段高いところに座す父を見遣った。

 皺深い皮膚の奥にある、強い光の宿った瞳と視線がぶつかる。その目は物言いたげで、しかし近づくことができない限り、声を聞くことはなかった。

 頭を低くして奥にいる王の前を横切り、今度は宗麟の側に移動する。

「宗麟、うまくいったよっ」

「やったな」

 杯に酒を注ぎながら嬉々として報告すると、宗麟も笑った。

「韓当と徐朱は役に立ったか?」

「大活躍だったよっ。韓当はすぐに宗麟の護衛に戻ってくるからね。捕まえた間者の見張りは周迂たちにまかせたから」

「そうか。星彩はまだ給仕をするのか?」

「うんっ、宗麟や、兄さまや姉さまの担当なのっ。父さまのとこは危ないからいいって言われたけど」

「まあ、そうだな。給仕とはいえ、あまり動き回らなくていいぞ。矢が飛んでくるからな」

「気をつけるよ」

 宗麟と瑛勝の側には遠くから見えないように剣が置いてある。普通、宴の席には持ち込まないのが常識であるが、緊急事態のため、やむを得ない。

 星彩の使命は終わっても、事はまだ終わっていないのだ。

 緊張が蘇ってきたところで、不意に髪を軽く引っ張られた。

「? 宗麟?」

 だんごから垂れた髪の端をつまんで、宗麟はじぃっと見つめてくる。

「なんか、可愛いな」

「!」

 星彩は危うく酒瓶を取り落としかけた。予想もしていなかった言葉に、頬が熱くなる。しかしそんな星彩にはお構いなしに、宗麟は続けた。

「普段より女らしい格好だからか? こうして見ると星彩は美人だな」

「そ、それはない!」

 生まれてから一度もかけられたことの無い賛辞は全力で否定する。

「そーゆーのは姉さまや徐朱に言うんだよ! わたしに言っちゃダメ!」

「駄目じゃない。星彩は可愛くて美人だ。俺はそう思う」

「だ、だから、そんなことは・・あ、うぅ・・」

 星彩は真っ赤になって、とても居た堪れない気持ちになったが、髪を掴まれているので離れることもできない。せめて下を向いて、宗麟の視線から逃れた。

「あ、ありがとう・・・」

 小さくお礼を言うと、宗麟は笑って髪を放した。

「なるべく俺の側にいろ。たぶん、ここが一番狙われなくて安全だ」

「う、うん」

 まだ少し恥ずかしさは残っていたが、素直に宗麟の横に控えた。

 しばらくして、中央で舞っていた舞妓が下がり、楽の音も静まると、瑛勝が場に聞こえるような声で言った。

「紅淑、そろそろお前の琴を聞かせてくれぬか?」

「・・はい」

 紅淑が席を立つと、貴族たちから歓声が上がった。紅淑が出席する宴の目玉はいつだって彼女の琴の演奏であり、それを楽しみにする家臣たちは大勢いるのだ。

 紅淑が中央に進み出るのと同時に、攸恭が立ち上がった。

「瑛勝兄上、此度は恭と淸が結ばれた目出たい祝いの席。私と羅鑑が、恭の太子どのと父上に舞を捧げましょう」

 攸恭が盾を、羅鑑が抜き身の剣を持って進み出る。

 第一公女の演奏ばかりでなく、第二公子と第三公子の舞も伴うとあって、家臣たちの驚きと興奮は大きなものだった。

「落ち着けよ」

 微かに震える紅淑に攸恭が耳打ちする。

「我らがきっと父上をお守りします。姉上はどうか、心安らかに」

 羅鑑も姉を勇気づけるように剣を構えた。

 紅淑はすっと背筋を伸ばして、やや青い顔を、まっすぐ二人へ向ける。

「武運を、祈ります」

「ああ」

 攸恭が答え、三人はそれぞれ位置についた。

 白い指が、弦を弾く。

 凛とした響きと共に、攸恭と羅鑑が舞う。攸恭は流れるような優雅さで、羅鑑はしなやかに力強く、時に背を合わせ、離れ、辺りを十分に警戒しつつ動く。

 すばらしい紅淑の琴と、貴重な兄たちの舞姿に、刺客の存在を知る星彩ですら、一瞬、全てを忘れ見惚れてしまった。

 宴の会場でこの光景を見る者の目は、兵士や女官にいたるまで残らず中央に釘づけとなっている。

 そんな時、攸恭が急に拍子を乱して前に躍り出た。

 きぃん。

 掲げた鉄の盾に、矢尻が黒く塗られた矢が当たり、跳ね返った。

「羅鑑!」

「承知!」

 羅鑑が素早く居並ぶ家臣らの隙間を抜け、庭の茂みから飛び出した兵士を襲撃をする。

「はあっ!」

 気合と共に振り下された剣が相手の腕を切り落とし、兵士の手からは矢がこぼれた。

「兄上! 捕らえました!」

 敵を組み伏せ羅鑑が叫べば、突然のことに困惑する宴の席へ、瑛勝の鋭い命令が飛ぶ。

「門を閉じよ! 外へ出ようとする者はその身を検め、刺青の有無を確認せよ!」

 二か所あった出入り口が塞がれ、事情を知らぬ臣たちは騒ぎ出す。

 場が混乱する中、兵士の内から剣を抜き放った者が、猛然と玉座に突っ込んできた。瑛勝の言葉に己らの正体を暴かれたことを悟った間者が、逃げることも叶わず捨て身で仕掛けてきたのだ。

 瑛勝が、剣を抜いた。

「せいっ!」

 間者を斬り伏せ、王の前に立つ。

 一人が行くと、兵士の中から続々と間者が現れ宴の席に乱入した。

「真なる兵は偽物の兵を捕らえよ! 戦えぬ者は芻稟に従い、場を離れよ! 敵の印は着物の下の玄武の刺青だ!」

 喧騒の中、瑛勝の怒声が響く。

 芻稟が座を降り、困惑する臣たちを誘導する。その護衛には攸恭がつき、紅淑や春麗も従った。

 ぱっと見では区別のつかない敵味方が入り乱れ、場はすっかり大混戦となっていた。

「星彩!」

 呆然としてしまっていると、急に宗麟の背が目の前を塞いで、甲高い金属の音が響いた。

 気付けば、白刃を抜き放った兵士と宗麟が鍔迫り合いをしていた。

「――よっと!」

 宗麟は相手を押し返し、よろめいたところに蹴りをいれた。ちょうど鳩尾に蹴り込まれた相手は吹っ飛び、床に転がって起き上がらなくなった。

「わ、わ・・・」

「どうも敵は狙いが何だかわからなくなってるようだ。手当たり次第襲ってくるかもしれんから気をつけろ」

「う、うん。あ、来るよ宗麟!」

 星彩が指したのと同時に、宗麟は左からやってきた兵士を振り向きざま斬り伏せる。

「わっ、宗麟って強いんだねっ」

「言ったろ、腰のものは飾りじゃない。―――やっぱりここも危ないな。星彩は王の側にいろ」

「わかったっ」

 いつまでも星彩を背に庇っていては、宗麟も動きにくいのだろう。星彩は周りに気をつけながら王のもとへ走った。

「星彩」

 低い声が娘の名を呼ぶ。王に特段慌てた様子はなく、座ったまま落ち着いて戦いの様子を眺めている。

 星彩はそんな父の側に膝をつき、皺の多い手を握った。

「大丈夫だよ、父さま。すぐに瑛勝兄さまたちが刺客を捕まえてくれるよっ」

「・・・わが子らと、恭の太子が、結託したか」

 あまり抑揚のない声で、王は呟いた。

 彼の目の前では、瑛勝と宗麟が背を預け合い、左右から来る刺客を次々に退け、玉座を守っていた。

「淸と恭は、きっと仲良くなれるよ。瑛勝兄さまは宗麟のことを盟友だって言ったもの。それって友達になれたってことだよね」

「・・・」

 王は無言で娘を見た。

「星彩は、あの若者が好きか」

 唐突な父からの質問に、星彩は目を瞬いた。

「宗麟のこと?」

「・・・そうだ」

「大好きだよっ。宗麟はね、わたしの話を聞いてくれるの。信じてくれたし、一緒に考えてくれた。今回のことだって宗麟がいなかったら、わたしはきっと何もできなかったよ。――宗麟は優しくて、とても強い人だよ。時々冷たくなるのは、自分の責任の重さをよくわかってるからなんだと思う」

 すると、王はたくわえた髭の隙間から、細く息を吐き出した。

「話を聞いてくれたから、か。まるで子供のようなことを言う。お前の母そっくりだ」

 王は星彩の手に、もう一方の手を重ねた。

「できることならお前には、どのような苦労もかけたくはなかった」

「? 父さま?」

 首を傾げても、王はそれ以上語らなかった。ただ、温かい手で星彩の小さな手を包み、決して離そうとしなかった。

 やがて、宴の騒ぎは静まる。

 間者は当初から知られていた六人より更に多く潜んでいて、その全てが捕らえられた。

 大乱闘の中、一番多く敵を斬り伏せたのは意外にも遅れてやって来た韓当で、次に羅鑑が続いた。臣を誘導した芻稟たちにも怪我はなく、作戦は大成功を収めた。

 皆の無事を確認し、星彩は父の側でほっと胸をなでおろす。

「父さま、ほら見て! 間者はみんな捕まったよ!」

 中央に集められ、縛り上げられた間者たちを指して、星彩は歓声を上げた。

 兄たちと宗麟が事後処理のため、兵士たちに指示を発している。その様子を眺めながら、ようやく本当に全てが終わったのだと実感できた。

 後のことは、瑛勝らが上手くやってくれる。

 星彩の役目はここまでだ。明日は女官の衣装を脱ぎ、またもとの臣に忘れられた第四公女の姿に戻る。しかし、全く元通りになるのではない。

 新しく役割を貰ったわけでも、公女らしい所作の一つも身に付けたわけでもないが、何もわからず何も背負わず日々遊び暮らしていただけの者には戻らない。

 こんな自分にも、できることがあるとわかった。味方がたくさんいることを知った。ならばもう、何もしないままではいられない。

 姉たちのように、兄たちのように。父や、宗麟のように。

 すぐに立派になるのは無理であっても、少しずつ、歩んでゆこうと決めた。

「ねえ、父さま―――っ」

 決意のまま父を振り返ったとき、星彩の笑みは凍りついた。

 庭の暗闇より、突如、飛び出した黒衣の影を見たから。

 忘れもしない。あのおそろしい夜、恭の兵士を殺した刺客。

 瑛勝も、宗麟も、他の誰もが側にはいない。

「っ!」

星彩は咄嗟に父の前に立ち、両腕を広げた。向かってくる黒衣の刺客は、刀身を黒く塗りつぶした短剣を握っていた。

「星彩っ!」

 大きな声はすぐ後ろから。その途端、星彩は襟首を引っ張られ床に転んだ。

 一瞬のことだった。

 星彩と王の位置が入れ替わり、瑛勝や宗麟らが気付いたときには、刺客はあと数歩まで王に迫っていた。

「父さまぁぁあっ!」

 星彩の悲鳴が宮にこだまする。

 最悪の結末を、誰もが予想した。



『――むごふぅっ!』



 次の瞬間、刺客の頭に矢のような勢いで真っ直ぐ何かがぶち当たった。

 刺客は王のすぐ足元で目を回し、何かは黒い羽を散らばして、膳の上にもんどりうって突っ込んだ。

「うちょーーーーーうっっ!」

星彩は歓喜の叫び声をあげ、突如天より現れた救世主を抱き上げた。

「雨鳥! 雨鳥! 雨鳥! ありがとう雨鳥! いつも部屋に入るときは静かになんて叱ってごめんねっ!」

『うう・・・こ、ここはどこだ? お、オイラは誰だ?』

「あなたは疾風の雨鳥! 天下を風の如くに飛びまわる渡り鳥の中の渡り鳥! そして父さまの命を救ってくれた、わたしの自慢の友達だよ!」

『お? おお、そうだ! オイラ、雨鳥ってンだっ。しっかし星彩、模様替えしたのか? 前より部屋、広くなってねえ?』

「ここはわたしの部屋じゃないよ」

『でも星彩がいるじゃねえか』

「さっきまで宴をしてたんだよ。雨鳥、間違えて飛びこんできたんだね?」

『お、おぅ、そうだったか。あ、怒ンなよ星彩っ。悪気はねぇンだからな!』

「怒らないよっ」

 星彩はぎゅうっと雨鳥を抱きしめた。

「雨鳥ありがとう! 思いきり飛びこんでくれて!」

『んん? よくわかんねえが、まあいいか』

 長い首を伸ばして、散らばった膳から魚の破片をつまみ、雨鳥はケパケパと上機嫌に鳴いた。

「無事か、星彩!」

 宗麟と、後から瑛勝も急いで駆けつけた。

「宗麟! 雨鳥が父さまを助けてくれたよ!」

「ああ、あの時水に浸かってた鳥」

「雨鳥はわたしの部屋と間違えて飛びこんだんだって」

「こいつは人一人気絶させる勢いで毎回飛びこむのか」

『いやあ、オイラってば仲間うちでも一、二を争う飛ばし屋だからよぉ』

 照れくさそうに雨鳥は首をゆらゆらさせた。

「雨鳥、たぶん宗麟は褒めてるわけじゃないと思うんだけど・・・」

「まあ、おかげで助かったな」

 くつくつと宗麟は笑う。

「星彩はすごいな。予期せぬところからも助けがやって来る。天に守られているのかもしれないな」

「うんっ。わたしは本当に、いろんなものに助けられてるなあって思ったよ」

 星彩は無事だった父を見遣った。

 そうして場にいる瑛勝や、羅鑑や、韓当や徐朱、雨鳥を見回して、最後に宗麟に笑いかけた。

「―――みんな、ありがとう!」

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