第15話 新しい絆
一日、務めを果たした太陽が西の山へと帰り、代わりに煌めく星々と、月の光とが、寝静まった城の上にしずしずと降り注ぐ。
いつもならすっかり夢の中にいる時間、星彩の庵には明かりが灯っていた。
「―――いい眺めだな」
どこか楽しそうに攸恭が呟く。
兄の感想は、星彩にもよくわかる。母と二人で暮らしていたときでさえ狭い部屋であったのに、今宵、ここには八人もの人間が大集合していた。
机を挟んで向かい合う形で宗麟と瑛勝が、寝台の上には紅淑と春麗が座し、攸恭と羅鑑と芻稟は壁にもたれかかって思い思いの場所に立っている。庵の外には韓当と徐朱が見張りに出て、星彩は戸口のところで全員を見回していた。
父を守るために、星彩が助けを求めたのは兄姉たちであった。昼間のうちに彼らのもとへ行き、同盟に関わる大事な話があるからと、こっそり耳打ちして夜に庵に集まってくれるようお願いしたのだ。
もし、来てくれなければ寝所に忍び込んででも連れて来ようと思って覚悟していたのだが、意外にも兄姉たちはすんなりと集まってくれた。
「星彩、こんな錚々たる面子を揃えて、何を始めようっていうんだ?」
皆それぞれに緊張しているなか、攸恭はいつもの軽い調子で尋ねた。
星彩は一度目を瞑って気を落ち着かせ、それから告げた。
「みんなに、聞いてほしいことがあるの。――――今、お城に魯の間者が紛れ込んでる」
「っ!」
すぐに反応を示したのは瑛勝だ。
「どういうことだ。なぜお前がそんなことを知っている?」
「春麗姉さまのお部屋で、腿に玄武の刺青がある侍女を見たの。玄武って、魯の紋章でしょ? 調べてみたら、同じ刺青をしている人を合わせて六人も見つけたの。しかもみんなで、父さまの周りをこそこそ探ってた」
「・・・それは本当なのか?」
「うん。たくさん調べて、わたし、魯の目的がわかっちゃったんだ」
星彩は偶然聞いてしまった宗麟の暗殺計画のことから、おそらく現在進行中の父の暗殺計画まで、その考えに至った経緯を丁寧に説明しながら、兄姉たちに語って聞かせた。
全てを話してしまった後は、長い沈黙が降りた。
「・・・それ程のことを、お前が一人で調べたのか?」
抑えた声音で瑛勝が尋ねる。
星彩は、さっき語った中で獣たちのことには触れなかった。どれほど兄姉たちを慕っていても、彼らが星彩の力を信じてくれないことはわかりきっていたからだ。
「何者からの情報だ? 私は、お前が黄鵠の下に忍び込んだり、目の触れぬ場所に刺青を持つ輩を看破できるとは思わない。名を言え」
「・・・言えない」
「なに!?」
「言ったら、きっと兄さまはまともに取り合ってくれないもの」
「・・・つまり、確かな素姓の者ではないということか」
「なんとでも思ってくれていいよ。でも、情報は確かだよ」
「出所のはっきりしないものに耳を貸す気にはならん」
「瑛勝兄さま!」
星彩は大声で兄を呼んだ。
「今はそんなことを話し合ってる場合じゃないよ! 父さまが殺されちゃうかもしれないんだよ!? 情報が嘘だったならそれでいいよ、困るのは本当だったときだ!」
普段、瑛勝に叱られてべそをかいている姿からは想像もできない力強い声に、その場にいた誰もが、星彩を驚きをもって見つめた。
「わたしはっ、いっつも迷惑かけてばっかりで、なんの役にも立ったことないけど、でも、こればっかりはちがう! 大変なことが起こるってわかって、それを止めたいと思って、兄さまたちに信じてもらえないかもしれないってわかってても、父さまを助けるために言うって決めたの! ―――だから、だからお願い、瑛勝兄さま!」
星彩の瞳からは、緊張で堪え切れなかった雫が零れた。それでもうつむかず、真っ直ぐに兄を見つめ続けた。
「お願いだから、信じてっ、力を貸してっ。じゃないと、ほんとに父さまが・・・」
心から、信じてほしいと願った。人外のモノの声聞く力など信じなくてよいから、どうか拾い集めたこの情報だけは、信じてほしい。
「お願いします。わたしに、力を貸してください」
震える声を必死に抑えて、深々と頭を下げた。ぽつぽつと、降り始めの雨のように涙が床に落ちる。
長い、長い、沈黙の後、瑛勝の大きな溜息が響いた。
「・・・私は、何をすればよいのだ」
弾かれたように顔を上げると、渋々と、煮え切らない表情の兄があった。
「言っておくが、情報が確かではない以上おおっぴらに動くことはできんからな」
「っ、ありがとう瑛勝兄さま!」
「うわっ!?」
星彩が突然抱きついたため、瑛勝は危うく椅子ごとひっくり返りそうになり、慌てて机の端を掴んだ。
「星彩! はしたない真似はよせ!」
「だってだって嬉しいの! 初めて兄さまがわたしの言うことを信じてくれたんだもの!」
「まるで私が薄情な兄であるかのような言い方をするなっ」
瑛勝は憮然として星彩を引き剥がすと襟元を整えた。星彩は嬉しくて涙も吹き飛び、その場を跳ね回った。
「やった、瑛勝兄さまが協力してくれるんだ! ねえ、攸恭兄さまも、羅鑑兄さまも、紅淑姉さまも芻稟姉さまも、春麗姉さまも協力してくれる?」
すると攸恭は苦笑し、羅鑑を見遣った。
「兄上が動かれるというなら、弟として何もしないわけにはいかんだろ。なあ?」
「無論ですっ」
羅鑑は右拳でぱしりと左掌を打った。
ただ、困惑しているのは姉たちである。
「星彩、私たちの協力も必要なのかしら?」
紅淑が戸惑いながら問いかける。横で春麗も口を尖らせて抗議した。
「私たちは兄さま方と違って武芸の心得もないのよっ。間者を捕らえるなんて野蛮なことできないわっ」
「でも春麗の侍女の中に間者が混じっている」
冷静な声音で指摘したのは芻稟だ。
「であれば、春麗の協力は必要。更に、私と紅淑姉さままで呼んだということは、星彩、お前何か考えがあるのね?」
「うんっ。宗麟と一緒に考えたことなんだけどね。間者たちが父さまを襲いやすいような状況を、わざと作ってあげようと思うの」
「なに?」
「つまり、宴を開きたいの!」
「はあ?」
皆一様に首を傾げたが、芻稟だけが「なるほど」と小さく呟いた。
「間者は女官や兵士に多く紛れている。宴であれば下級の者も父さまのいらっしゃる場に入ることができる。わざと襲わせて、現行犯で捕まえようって魂胆ね」
「そうなの! さすが芻稟姉さま!」
拍手すると芻稟はふん、と小さく鼻を鳴らした。
「馬鹿にしないで。このくらい、わからなければ脳味噌が腐っている証拠」
「しかし、危険ではないですか?」
「間者が本当に六人だけかどうかも怪しいな」
羅鑑が心配そうに、攸恭が疑わしげに言う。
「だから燻り出すのです」
と、ずっと黙っていた宗麟が口を開いた。
「全員とまで保証はしませんが、多くの間者が宴には潜入するでしょう。門を閉じ、行動に移った者を捕らえれば、体に同じ印を刻んだ者は己も捕まることを悟り、逃げようとするか、あるいは死に物狂いで向かってくるか。いずれにせよ、見分けはつき易くなります。暗闇にまぎれ寝所に忍び込んでくる相手を待つよりは、明るい中で敵を視認できる方が、王の危険は減るかと」
「・・・なるほど、確かに。太子どののおっしゃる通り」
羅鑑が感心したように宗麟を見た。
「だからね、瑛勝兄さま!」
星彩は瑛勝に向き直る。
「同盟のお祝いとか誰かの誕生日だとか、理由はなんでもいいから宴を開いて欲しいの!」
「・・・まあ、その方が合理的であることは理解した」
「瑛勝兄さま、宴を開くのであれば、春麗に用意をさせてはいかが?」
不承不承頷く瑛勝に、芻稟が進言した。
突然の名指しに驚いたのは春麗だ。
「え、ちょ、芻稟姉さま?」
「春麗は侍女の間者に配膳を指示しなさい。きっと仲間の女官を給仕にいれてくるわ。女官が酒に毒を仕込むは、暗殺の常套手段」
「で、では、わざと毒を仕込む機会を与えてやるとおっしゃいますの?」
「そう。毒を入れた瞬間に間者を捕らえればいい。無論、全てを捕らえるならこれだけでは足りないけれど。詳細は奴らが宴のことを耳にしてから決めましょう。―――星彩、ここまで調べられたのだから当然、奴らの作戦を聞いてくることくらい、できるわね?」
「まかせて!」
「どうやら、作戦指揮は芻稟どのにお任せして良いようですね」
宗麟が言うと、芻稟は小さく舌打ちし、そっぽを向いてしまった。話の通り、姉は本当に宗麟が嫌いらしい。
「・・・少し、よろしいですか」
ふと、静かな口調で瑛勝が宗麟に問いかけた。
「太子どのは、何故、我らに協力してくださるのですか」
「? 瑛勝兄さま?」
「黙ってろ、星彩」
口を出そうとすると、攸恭に制される。
「黄鵠らの一件、こればかりは魯の企みも関係なく、実行されていたであろうこと。我らを責め、同盟を破棄するには至らぬのですか」
「・・・あ」
星彩は、今更のような事実に愕然とした。
魯が関わっていようがいるまいが、宗麟の暗殺は確かに淸の重臣たちが計画したこと。それが発覚した時点で、この同盟は破棄されても仕方がないはずだ。
宗麟は、殺されかけた。怒りを感じていたとしても、無理はないのだ。
星彩は、怖々と宗麟を見た。瑛勝と向き合うその口から、一体どんな言葉が飛び出すのだろうと、初めておそろしく思った。
「・・・確かに、淸人は私を殺そうとしました」
ふ、と宗麟は笑う。
「――が、私を助けようとしてくれたのも、淸人でした」
宗麟の視線が、星彩に向けられた。
優しい、穏やかな瞳に見つめられて、胸の中に温かなものが満ちる。
(・・・ああ、よかった・・・)
星彩は涙ぐみそうになるくらい、心から安堵した。宗麟は、怒ってなどいなかったのだ。
「恭が、淸に受け入れられていないことは承知しております。しかし、私の暗殺が淸の総意ではないということも、理解しております。此度のことは、恭がまだまだ未熟である証。歴史ある大国淸の同盟国として相応しい国となれるよう、励んでゆこうと思います」
いっそ殊勝すぎるくらい殊勝な態度に、誰もが唖然として言葉を失う中、星彩だけは盛大に拍手をした。
「宗麟かっこいいっ!」
「ん」
宗麟は声援に片手を挙げて応える。そのとき、瑛勝ががたりと椅子を立った。
「宗麟どの」
名で呼んで、淸の太子は恭の太子に深々と頭を下げた。
「これまでの数々の非礼をお詫びします。淸はまこと得難き盟友を得ました」
瑛勝に倣い、攸恭も羅鑑も、紅淑らも立ち上がり、芻稟や春麗でさえ礼を取った。
「宗麟っ」
星彩も、背筋を伸ばして頭を下げた。
「わたしたちは、宗麟と出会えてとても嬉しいよっ!」
淸と恭は仲良くなれる。今夜はその第一歩となるのだと、星彩は確信を持って未来を予見した。
**
慌ただしく立ち働く者たちがいる厨房の、すぐ裏の物陰で、侍女と兵士と女官という妙な組み合わせの三人が、額を突き合わせてこそこそと話し合いをしていた。
「宴は明日。これを逃す手はないわ」
目元にほくろのある侍女が、妖しく笑う。
「都合の良いことに、私は配膳の指揮を任されたわ。恵香は小燕と共に給仕をなさい。頃合いを見計らって王の酒瓶に、この丸薬をいれるのよ」
と、あまり特徴のない女官に小さな巾着袋を渡す。
「王の杯に毒を仕込むなぞできンのか?」
鷹のような鋭い眼差しの兵士が、疑わしそうに侍女を見た。
「給仕は他にもいるだろう。もし見つかったらどうする」
「毒酒が無理と判断できたら、これを厠の裏の木に結ぶ」
と、侍女が赤い紐を取り出す。
「お前たちはそれを見たら、王を射殺しなさい。矢尻に毒を塗るのを忘れないように。殺したら、騒ぎに乗じて逃げなさい」
「酒が駄目なら直接、か。大得意だ」
兵士は喜んで承知した。
「まさか奴らは淸王が狙われているとは思っちゃいねえだろ。度肝を抜くぜ」
「ええ、そうね。我らの存在など、きっと夢にも思ってないでしょう」
三者三様にほくそ笑み、人の気配を感じると即座に散った。
**
「―――ということみたい」
残念ながら間者たちは希忠一家の張る網の中にあり、細部まですっかり筒抜けで星彩らのもとに伝わっていた。
宴を明日に控えた前夜、再び星彩の庵に集合して、兄姉たちと宗麟たちとで作戦会議を開いた。
皆立ち位置は先日と同じだが、話の中心は芻稟へと移っていた。
「やっぱりそうきた。では女官のことは星彩に任せましょう」
「えっ、わたし?」
いきなり名が出て、驚いてしまう。
「お前なら女官に化けて怪しまれず奴らを見張れる。毒を入れた瞬間を捕らえるのよ」
「待て芻稟。いくらなんでも星彩一人で間者を捕らえるのは無理だろう」
瑛勝が眉間に皺を寄せて渋ると、芻稟はすぐに答えを示す。
「では恭の太子さまの従者を一人お借りしましょう。下男に化けさせ潜ませればいい」
「そのようなことを勝手に」
「構いませんよ」
宗麟があっさり了承する。
「韓当でいいか? 星彩」
「わたしはいいけど、韓当は宗麟の護衛でしょ? 離れちゃっていいの?」
「今回、狙われてるのは俺じゃないから平気さ。―――韓当、聞こえたか」
「承知いたしました」
外に待機している韓当は畏まって答えた。
「星彩は女官を捕まえたら木に赤い紐を結びつけなさい。そこまでが仕事」
「はいっ、芻稟姉さまっ」
「では次」
芻稟は無表情を全く崩さないまま、先を進める。
「星彩が成功したら、今度は兵士。そこで、紅淑姉さまの出番です」
「私?」
「ご自慢の琴をお聞かせください。姉さまの琴は誰もが耳を傾けるので、場に隙ができます。わざと射かけさせ、敵自身に居場所を教えてもらいましょう」
「い、射かけさせてしまうのですか?」
羅鑑が驚いて目を見開いている。
「それでは父上が危険ではありませんか」
「だからお前の出番」
芻稟は自分よりずっと大きい弟をびしりと指した。
「それと、攸恭兄さま」
「俺も?」
「ええ。二人で紅淑姉さまの琴に合わせ、剣舞などいかが? 矢を防ぎ、射かけた相手を捕らえてくださいな」
「無茶苦茶な・・・」
「あら、そのくらいできると踏んだのですけど」
唖然とする攸恭に芻稟は不敵に笑いかけた。
「矢を防ぐことに関しては、瑛勝兄さまや太子さまにもお気を配っていただきましょう。羅鑑はその無駄に鍛えた体をいかして間者を捕らえなさい」
「む、無駄・・・」
「瑛勝兄さまはすぐ兵に号令を発し、残りの間者を捕らえてください。事情を知らない臣たちは私が誘導します。――――作戦は以上。何かご質問は?」
「あ、あのう、芻稟姉さま」
春麗がおずおずとした様子で手を挙げた。
「なに」
「私は、何もしなくてよろしいんですの?」
「春麗には準備をもうしてもらってる。宴の最中は、侍女の動きに注意しておきなさい。無理に何かをする必要はないわ」
「それを聞いて安心いたしましたわ」
言葉の通り、春麗は胸をなでおろした。自分の侍女が間者であることを知らぬふりをしているだけでも、どちらかといえば臆病な彼女には堪えるものがあるのだ。この上何か責務を乗せられれば、倒れてしまいかねない。
芻稟にも他の兄姉たちにもそれがわかっていたから、できるだけ春麗の荷を軽くしてやろうという動きになったのだ。
対して、星彩には重い責任がのしかかった。
「星彩」
芻稟の黒曜石のような瞳が、いつもより少し大きく見開かれて、星彩の姿を映した。
「この作戦の最初の要は、お前。そもそもこの話を持ってきたのも、お前。この責務、果たせる?」
「―――」
ほんの少し前まで、何も知らない、何も背負えない、公女と名乗ることすらはばかられていた星彩が、国のために重要な役割を与えられた。
初めて背負う重いものに押しつぶされぬよう、しっかりと地を踏みしめる。
「―――約束する。絶対、絶対、果たしてみせるよ!」
力強く宣言すれば、兄も、姉も、宗麟も、皆優しく笑ってくれた。
「どうか無理だけはしないでね、星彩」
紅淑がそっと囁く。
「あなたに何かあっても、私たちは悲しいわ」
「平気だよ、紅淑姉さまっ。わたし、ちゃんとわかってるものっ。無理なんかしなくたって、やりようはいくらでもあるってことっ」
そう言って宗麟を見遣れば、大きく頷いてくれた。
最後に瑛勝が椅子から立ち上がり、場を締める。
「―――では明日、我らの作戦を決行する! 各々、準備を怠らぬよう!」
「はっ!」
いつの間にか強くなった彼らの絆を、月明かりが煌々と照らし出していた。
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