第2話 城下の出会い
星彩の立つ道は、活気溢れる大通りだった。
左右に露店が隙間なく並び、あちこちから良い匂いが漂ってくる。売り子の声が宴の楽の音のように絶え間なく響き、その喧騒だけで心はうきうきしてしまう。
淸の街では決められた店しか通りで商売をしてはいけなかったが、恭にはそういう決まり事はないようだ。ゴザの上で装飾品を売ってる人もいれば、振り売りもあるし、立派な店構えの茶屋もある。祭りのような騒ぎは、それだけ多くの人がこの街に集まっている証だろう。
星彩は通りの人や馬車に注意しながら、店々を覗いていった。
「おいしいおいしい豚まんはいかがぁ?」
「お、そこの姉ちゃん、ちっと見ていかないかい?」
「旦那ぁ、あんたにゃこっちがお似合いですよ」
「喉が渇いたら果実を搾った特製茶ぁー。団子もいかが?」
「針ー、針はいらんかぇ」
「お買いものに疲れた方はどうぞこちらへ~」
様々な声と人と物とに、星彩はだんだん目が回ってきた。
「あうう・・・」
一刻も歩きまわれば人ごみですっかりクタクタになり、しかし茶屋で休む銭もないから、大通りから枝のように伸びる小路に入って道の脇に座り込んだ。
「ふう、疲れたあ。でも楽しいなあ」
宗麟に案内してもらうはずのところを先に一人で来てしまったわけだが、何も知らなくとも結構楽しめる。大通りにいれば一本道だから、帰りも迷いようがなくて安心だ。さすがに小路に入りこめば迷いそうではあるが、大通りに店は尽きることがないため、わざわざ道を外れて行こうとは思わない。一応、奥にもぽつぽつと露店はあるが、なんとなく暗い雰囲気で近寄り難かった。
城を出たのは朝のうちであったから、まだ日も高い。少し休んだら、通りの端まで行ってみようと思い、瞼を閉じた。
疲れた目を休めていると、ぽふ、と何かが体にぶつかった。毛のような感触で、猫でも寄って来たかと見れば、青い毛の獣がいた。
獣、と曖昧に表すのは、それ以外に何と言ってよいかわからない姿であったからだ。
耳は兎のようである。顔は犬のようである。体は猫のようである。尻尾は狐のようである。そして額に、小さな白い角がある。
見たこともない獣は、なぜか仰向けになって星彩の側に転がっていた。
「こんにちは?」
とりあえず挨拶してみると、獣は跳ね起き、白目のない藍の瞳をじっと星彩に向けた。
「わたし、星彩。あなたは?」
『星彩!』
獣は嬉しそうに尻尾を振ると、ぴょん、と膝に飛び乗った。
『星彩、星彩!』
「それはわたしの名前だよ? あなたは何ていうの?」
『ない!』
「名前ないの? じゃあ付けてあげるっ。えっとねー・・・天祥なんてどう?」
ぱっと浮かんだ名前を言ってみると、獣は再びふさふさの尻尾を振った。
『いい! 天祥! 天祥!』
「気に入ってくれた? よかったっ。はじめまして天祥!」
『はじめまして!』
「天祥って兎じゃないよね? 角あるし。何なの?」
『天祥!』
「名前じゃなくてさ、ほら、わたしは人間で、星彩でしょ? 天祥は、なんの天祥なの?」
『天祥、ニンゲン! 星彩と一緒、いい!』
「わたしと一緒がいいの? うーん、まあいっか。天祥は街に住んでるの?」
『天祥、恭、住んでる!』
「恭のどこ?」
『どこでも!』
「どこでも? あっちこっちって意味かな? 天祥は恭に詳しいんだね」
『詳しくない!』
「あれ、そうなの? この街は初めて?」
『初めて!』
「じゃあわたしと同じだね。あ、そだ、もしよかったら、天祥も一緒にお店見て回らない? 一人じゃちょっと寂しくて」
『行く! 天祥、星彩と一緒!』
「ありがとっ」
ぎゅ、と星彩は天祥の小さな体を抱きしめた。
「天祥ふかふか~」
『ふかふか! 天祥、ふかふか!』
褒められたと思ったのか、とても嬉しそうだ。
星彩は天祥を抱いて、大通りに戻った。天祥はちょうど猫と同じくらいの大きさなのだが、体重はそれよりずっと軽く、抱えて歩いても負担にはならなかった。
「お・そこのお嬢ちゃん! ちっと見てかないかい?」
「? わたし?」
たまたま通りがかった露店の前で、気のよさそうな男に声を掛けられた。中年の日に焼けた立派な体格の店主で、しかし売り物は棒に刺さった手の平ほどの小さな飴だった。
飴はよくある丸い形のものではなく、様々な獣の姿をしていて、目や模様など、簡単に色付けまでされている見事なものだった。
「わあ!」
「嬢ちゃんはどんなモンが好きだい? なんでも作ってやるぜ」
大きな顔に大きな笑みを浮かべて、店主が尋ねた。
「なんでもいいの? じゃあね、天祥を作って!」
星彩は天祥を店主の鼻先まで持ち上げた。
「んん? こりゃ何だ?」
「天祥だよ!」
「新種の獣か? まあ、いいや。ちっと待ってな」
店主は温めて柔らかくなった乳白色の飴を丸めて棒に刺すと、完全に固まる前に鋏でもって切り込みをいれ、形を作っていく。見る見る間に小さな天祥が棒の先にできてゆき、最後に体に薄く青色を塗って完成した。
「ほらよ」
「ほんとに天祥だぁ!」
『すごい、すごい!』
一見しただけで、店主は細部まできっちりと作りこんでいた。太い指先から生み出されたとは思えない繊細な一品である。
「ありがとう、おじさん!」
「お代は二銭だよ」
手を差し出されて、星彩ははたと止まった。
当然、というか、もともと城下に来るつもりで来たわけではないので、星彩は一銭も持ってはいない。
「・・・・天祥は、お金、持ってたりする?」
『しない』
「だよね・・」
星彩はがっくりと肩を落として、受け取った飴を返した。
「ごめんなさい、お金持ってないの」
「なに? まったくねえのかい?」
「うん、ごめんね? せっかくこんな、すてきな物を作ってくれたのに」
「母ちゃんに金貰ってきたらどうだ? 二銭ぐらい、鬼じゃなきゃくれるだろうよ」
「母さまは死んじゃっていないの」
「え、父ちゃんは?」
「父さまもずっとずっと遠いところにいるから」
「ありゃまあ。嬢ちゃんはみなし子なのかい」
「え?」
首を傾げたが店主は答えてくれず、代わりに深々と溜息を吐いた。
「それで一人でいたんだなあ。可哀想に、こんな子供が」
「おじさん?」
「―――よし、わかった。嬢ちゃん、そいつはくれてやるっ」
「え? いいの?」
「ただし」
にっ、と店主は白い歯をこぼした。
「うんとおいしそうに食べて、他の客を呼んでくんなっ。そしたら、お代はいらねえぜっ」
「ほんと!?」
星彩は途端に顔を輝かせた。
「ありがとう、おじさん! わたし、いっぱいお客さんを呼ぶよ!」
くるりと人ごみを振り返り、周りの喧騒に負けない元気な声を出す。
「みんな聞いて!」
いらっしゃい、でも、寄ってらっしゃい、でもない、本当にただの呼びかけでしかない言葉に、思わず星彩を振り見る者が、幾人かあった。
「ここの飴屋のおじさんは、とってもすてきな物が作れるの! ほら、これ! 鶴に虎に、天祥! 見たもの何でも、すぐに飴で作ってくれるんだよ!」
ぱく、と星彩は飴を口に含み、広がる甘さに「ん~!」と歓声をあげた。
「すっごくおいしい! これ、宮中で出るお菓子より甘くておいしいよ!」
「おいおい嬢ちゃん、あんた、宮中の菓子なんか喰ったことあんのかい」
立ち止まった男の茶化しに、星彩は大真面目に頷いた。
「あるよっ」
「嘘つけー」
「嘘じゃないよ! おじさんの飴は宮中のお菓子よりおいしいよっ! 宗麟・・・王さまだって、食べたらきっとほっぺた落っことしちゃうよ!」
くすくすと聴衆から笑いが起こる。たかが二銭の飴を売る店が、王の口にも合うなどと大きく出たのがおかしいのだ。
「疑うよりは信じた方が、きっと良い事あるよっ。ほら、ちょっとこっちに来てみてよ!」
「お、おお?」
星彩は茶化してきた男を人ごみから引っ張り出し、店主の前に連れて来た。
「おじさん、今度はこの人を作って!」
「こいつを?」
「おいおい、俺は獣じゃないぜ? 人を飴で作るなんざ無理だろ?」
「いいや、やってみようじゃねえか」
店主は鋏を取ると、さっと、男の首から上を作ってしまう。
「うげえ」
「あははっ、そっくり!」
星彩はできたばかりの飴を受け取り、群衆に見せて歩いた。
「わ、こりゃいいねえ」
「本物より男前なんじゃないかい?」
「うるせえや!」
女たちがきゃっきゃと騒ぎ、男は顔を赤らめ怒鳴る。
星彩もその様子を笑って、往来をぐるりと見回し両手を掲げた。
「ほらね! おじさんは何でも作れちゃうんだ! 見て楽しい、食べておいしい! それがたったの二銭だよ!」
「ちっ、しゃーねえな。俺の顔した飴なんか売れねえだろうから、買ってやるぜ」
「母ちゃん、オイラも顔、作ってほしいっ」
「あたし鶴がいいなっ」
「おれ、その変な青い獣がいい!」
「ねえ、あたしの顔を作ってくれない? もちろん、とびきり美人にね!」
「俺も女房子供に買っていってやろうかなあ」
わらわらと人が飴屋に群がった。小さな露店には不釣り合いの人数がいっぺんに押しかけ、口々にあれやこれやと注文を投げつけた。
「ちょ、ちょいとお客さん、並んでくだせえよっ」
店主は大わらわになりながら、次々と注文通りに飴を仕上げ、星彩も配るのを手伝った。
半刻もすると飴の壺がすっかり空になってしまい、まだ日中だというのに店じまいをする羽目になった。
「ありがとよ、嬢ちゃん」
組み立て式の露店の屋根を畳みながら、店主は頬をほころばせた。
「嬢ちゃんはすげえなあ。あっちゅう間に売れ切れちまったぜ」
「すごいのはおじさんだよっ。何でも作れちゃうから、みんな喜んで買っていったんだよ」
「いいや、嬢ちゃんが人を集めてくれたお陰さ。人間の顔を作るなんて、思いもしなかったことだったからなあ。商売の幅が広がったよ。これはほんの礼だ」
そう言って、店主は薄汚れた小さな巾着袋を投げて寄越した。
中を見ると、銭が数枚入っていた。
「わっ、お金!」
「よく働いてくれた駄賃だよ」
「で、でもわたし、飴の代金も払ってないのに・・・」
「恩人に礼を渋るほど、俺もケチな男じゃねえさ。気にせず貰ってくんな。そっちのが親切ってもんだぜ」
「そう、なの? ・・じゃあ、ちょっと悪い気はするけど、ありがたくもらうね!」
「おうよ。あ、嬢ちゃんの名前は何てンだ?」
「星彩!」
「俺は且而ってンだ。―――星彩、また小遣いが欲しくなったら、店を手伝いにおいで。今日みたく働いてくれたら、たんまり給料をくれてやるからな」
「ありがとう、且而! 飴が食べたくなったときも、且而のお店に行くよ!」
「いつでも歓迎するぜ」
店を片した且而と別れ、星彩は巾着を握って鼻歌まじりに大通りを進んだ。
「やったよ天祥っ。お小遣いもらえたから、これで何か買えるよっ。ほしいものある?」
天祥は器用に星彩の肩に乗って、小首を傾げている。
「ほしいものができたら言ってね。あんまり高いのは無理だけど、ちょっとくらいならっ―――」
どん、と急に誰かがぶつかってきて、星彩は地面に尻餅をついてしまった。その衝撃で天祥がぽろりと落ちる。
「いてて・・・」
相手はどうしたかと思って見ると、ぶつかった男は、地面に落ちていた星彩の巾着袋を掴み瞬時に踵を返して走っていった。
「あ・・・」
止める間もなく走り去る相手の背を、星彩は呆然と見送る。
「―――やあっ!」
とそのとき、気合十分の掛け声とともに、石が空を飛んだ。相手は人ごみの中を全速力で駆けて行っているはずだったが、狙い澄ませた一撃が頭に直撃し、ぱったりと倒れ伏した。
星彩の横をぱたぱたと通り過ぎ、少女が一人、倒れた男のもとから巾着袋を取って戻って来る。
「はい」
「・・あ、ありがと」
目の前に袋を差し出されて、星彩は我に返り受け取った。
少女は、年の頃なら星彩とちょうど同じくらいであろう。黒い髪を横でまとめて先を垂らし、顔には薄く化粧を施している。口元にある黒子が大人っぽい雰囲気だが、まだ表情はあどけない。片手を腰に当て、呆れたように星彩を見下ろしている。
「いつまで座ってるの? さっさと立ちなさいよ」
「え、あ、うん」
ぱたぱたと土を払い、ついでに天祥も抱き上げて背中の土埃を落としてやる。立ち上がると、少女は星彩よりもほんの少し背が高いのがわかる。
「あんた、ぼーっとしてるわねえ。そんなんだからスリに狙われるのよ」
大体ね、と少女は星彩の鼻先に指を突き付けた。
「この人ごみで、無防備に財布を振って歩く馬鹿がいる? 盗ってくださいと言ってるようなもんよ?」
「そ、そうなの?」
「これだけ人がいりゃあ、泥棒もいるってことを疑いなさいよ」
「そうなんだ。ねえ、あなたの名前、聞いてもいい?」
「明玉よ」
「わたしは星彩で、こっちは天祥だよっ。明玉、お金を取り返してくれてありがとうっ、とっても助かったよっ」
「そう?」
にこりと明玉は笑って、星彩の腕を掴んだ。
「じゃ、お礼はあの茶屋でってことで。あたし、喉渇いてンのよね」
「え? あの?」
よくわからないままに、明玉に引っ張られ近くの茶屋に入る。小さいが店構えのしっかりしたところで、明玉は空いている席に座ると店員を呼びつけ、さっさと注文してしまった。
「あの、明玉?」
「感謝してるなら態度で示しなさいよね」
「つまり?」
「ここはあんたのオゴリってこと」
「あ、あの、でもわたし、そんなにお金持ってないんだけど」
「安心なさい。ちょうど袋に入ってる額のものしか注文してないから」
「いつの間に見たの?」
やがて運ばれてきたのは一人分の茶と団子。本当に、且而にもらった分ぴったりを店員に取られた。
「これよこれっ」
明玉は手を打って、さっそく一串頬張った。甘いタレのかかったおいしそうな団子を見て、天祥が机に前足を掛けて鼻をふんふん鳴らしている。
「ねえ明玉、一個でいいからさ、天祥にもお団子分けてもらえない?」
「いやよ。っていうかその獣なんなのよ。兎?」
「よくわかんない。天祥も、自分でよくわかってないみたいだし」
『天祥は、天祥!』
叫ぶと天祥は机にのぼって、明玉の持つ団子に飛びかかった。
「あっ! なにするのこのケダモノは!」
明玉が慌てて天祥を押しやるが、すでに天祥は一個の半分を齧り取っていた。
『おいしい!』
明玉は残ったもう半分をさすがに食べる気はしなかったのか、串からもぎ取って天祥に投げ与えた。
「食い意地の張った奴ね。ちゃんと躾けておきなさいよ」
「わたしもさっき会ったばっかりだもん」
結果的にまるまる一個貰えて満足し、膝の上に戻ってきた天祥をなでながら、明玉に尋ねた。
「明玉はこの街の人?」
「当たり前じゃない。あんたは違うっての?」
「ちがうような、ちがわないような・・」
紫微城も豊邑の街の中にあるといえばあるので、街に住んでいるということになるのだろうかと、首をひねる。
「わたし、最近こっちに来たばかりなの。だから、あんまりこの街のこと知らなくて」
「はーん、あたしに案内頼もうって魂胆? だったらそれなりの駄賃を払わなきゃ、やってやんないわよ」
「もうお金ないよ?」
「じゃあ諦めなさい」
「うう・・明玉も商人なの?」
「あたしは歌妓よ。見習いだけど」
「カギって?」
「あら、お子様にはまだ早かったかしら? そうねえ、簡単に言うと、男の人を慰める職業よ」
「ふうん? 慰めてくれる人のことを歌妓って言うの? じゃあ宗麟も歌妓なのかなあ。わたしが泣いてると慰めてくれるし」
「そーゆー慰めとは違うわよ。歌とかお酒とか、あとはこの自慢の体で・・って、お子様にはまだ早い話だわね。大人になったらわかるわよ」
「明玉はわかるの?」
「当たり前よ。大人だもの」
「いくつ?」
「十五」
「わたしと一コしかちがわないよ?」
「数の上では一つでも、経験からすれば十年はひらきがあるのよ」
「十年も? じゃあ宗麟と同い年になるね」
「そうよ。って、誰だか知らないけど。星彩は働いてるわけ?」
「・・・働いてない」
後宮での自分の生活を脳内で振り返った結果、当然のごとく答えは出た。
「ま、これっぽっちしか銭持ってないんだものね。親に小遣いせびってる子供はいいわねー」
「ううん、親はいないよ」
星彩としては一緒には住んでいないという意味で言ったのだが、明玉は不意に口を噤んだ。
「・・・あんた、みなし子なわけ?」
「え?」
「暮らしはどうしてるのよ? 住むところはあるの?」
突然、身を乗り出し、真剣な顔で尋ねてきた。
「住むとこは、あるよ。立派なとこ。今はちょっと追い出されちゃってるけど」
「追い出された? 何をしたのよ?」
「何したってわけでもないけど・・・いろいろと誤解があって、中に入れてもらえないの」
「・・・あんたねえ、それはもう、クビになったってことよ」
「え!?」
妃とはクビになるものなのだろうかと、一瞬、本気で悩む星彩に、明玉は憐れむような目を向けた。
「可哀想に、親が死んで、奉公に出てたんでしょ? よくあることよ。何かなくなると、弱い立場のモンがすぐに疑われるのよねえ。つらかったでしょう。暢気そうな顔して、意外と苦労してンのね」
「え? あ、あの?」
明玉は、星彩を天涯孤独の身で、あまつ奉公先で物を盗んだと疑われ追い出された下女だと勘違いした。それは星彩の格好を見れば確かに予想可能なことであり、王妃がうっかり兵士につまみだされてしまったという話よりは、信憑性がある。
「今夜泊まる場所の宛てはあるの? まさか路上で寝るつもりじゃないでしょうね?」
「う、うーんと、もし、誰も迎えに来てくれなかったら、そうなるかも?」
「迎えなんか来るわけないでしょう。――――わかった。この際、とことん面倒みてやろうじゃないの」
「明玉?」
「あたしのお店に来なさい。仕事と寝床をあげるわよ」
明玉はお茶の残りを飲み干して席を立ち、星彩の手を引っ張った。
「あ、あの! 明玉!」
「なによ?」
「いろいろしてくれるのはありがたいんだけど、もうそろそろ入れてもらえるかもしれないし、ちょっと確かめてきていいかな?」
明玉の心は嬉しいが、このまま城に帰らず一夜を過ごすのはさすがにまずい。宗麟だって、そろそろ星彩の不在に気付いてくれる頃だろう。世話係の楊佳など尚更だ。星彩を通すようにとの命令が門番に下っているかもしれないし、もしかすると誰かが探しに出て来てくれているかもしれない。
「無駄だと思うけど?」
「一回だけ! もしダメだったら、そのときはあきらめて明玉にお願いするよ。行って来てもいい?」
「あんた、よっぽどその奉公先が気に入ってるのね」
呆れたように明玉は溜息を吐いた。
「わかった。ここで待っててやるから、せいぜい悪足掻きしてきなさい」
「ありがと!」
星彩は走って大通りを戻っていく。その後には天祥も続いた。
気付けば空は、すっかり赤い。街ゆく人も、露店も、心なし昼間より減ったようである。
ずいぶん端の方まで来ていたから、戻るのにもなかなか時間がかかった。ずっと走り続けることはできなくて、道の半ばからは歩いて城門に向かう。
大門の前には朝とは別の門番が二人立っていて、近づいて行くと槍を突き付けられた。
「娘、何用だ」
「わたし、星彩っていいます。いちおう、王妃なんだけど」
「は? 王妃?」
すると兜の下で鋭い目つきをしていた兵士たちは、緊張を崩して破顔した。
「冗談なら家で母ちゃん相手に言ってな。お兄さんたちは仕事中なんだ」
「いや、あの、冗談じゃなくて、本当に」
「妃殿下が後宮からお出になるわけがないだろう? もっとマシな嘘がつけるように、しっかり勉強しておいで」
「・・・」
何を言っても、門番たちは聞いてくれない。
つまり、宗麟から何も連絡が入っていないということだ。
星彩は思い出した。
宗麟は稀に、仕事で後宮に帰って来ないときがある。一度も顔を合わせない日だって、皆無ではなかった。
しかし楊佳は違う。星彩が見当たらなければ彼女が不審に思うはずなのだ。
(それとも・・・)
星彩があまりに言うことを聞かないから、嫌気が差してしまったのだろうか。顔を見るのも嫌になって、探してくれていないのだろうか。
「・・・天祥」
とぼとぼと明玉の待つ茶屋に戻りながら、星彩は泣きそうになっていた。
「明玉の言う通り、クビになってたらどうしよう?」
『平気! 明玉、面倒みてくれる!』
「うん・・・」
ぐずりながら茶屋に着くと、明玉は何も聞かずに星彩の肩を抱いて、長い影の落ちる小路の奥へと導いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます