第11話 乗馬訓練

(うう・・・ダメだなあ)

 軽く落ち込みつつ、星彩は寝所まで運ばれ寝かされた。

 しばらくは瑪岱と楊佳が側に付いて様子を見ていてくれたが、星彩が寝入って起きた頃には日も暮れており、部屋には蘭蘭と天祥以外はいなかった。

「ああ・・・」

 今日も役目を終えて沈みゆく太陽を見送り、溜め息を吐く。

「また、うまくいかなかったなあ」

『仕方ないんじゃない? 今回は』

 蘭蘭は星彩の隣に寝そべって、あくびをしつつ答えた。

『茶と酒を間違えたのは女官だし、倒れるまでがばがば飲んだのは公子自身よ。星彩は何も悪くないわ』

『星彩、ずっと悪くない!』

「うん、そう言ってくれるのはありがとだけど、わたし、今日こそはうまくやろうって、思ってたの。せっかくまかせてくれた宗麟に申し訳ないよ」

『平気! 宗麟、怒らない! 怒る、は、縻達!』

「や、やっぱり怒られるよね」

『あの頑固そうな爺さん? いちいちうるさいわよねえ。アタシが喰ってあげましょうか?』

「ダメ!」

『冗談よ。あんな骨と皮だけの人間、自分から口の中に入って来たとしても食べる気にならないわ』

「そ、そう?」

 ひとまず胸をなでおろす。

 瑞其も、今頃は目を覚ましただろうか。

「・・・そういえば、倒れる前に、瑞其さまは色々言ってたよね」

 ふと、公子が泣きながら呟き続けていた光景を思い出す。

 話題は、彼の兄の話であったはずだ。

『立派な立派な兄貴だって話だったわよね。それにしちゃあ、自慢げでもなく苦しそうだったけど』

「ね。そんなにすてきな兄さまなら、もっと楽しく話してもいいのに。兄さまと比べて自分は、みたいなこと言ってたよね」

『剣、下手。馬、乗れない。思慮、浅い。物、知らない。ゆってた』

「それって全部、自分の悪口だよね。どうして、そんなこと言うのかな?」

 星彩が尋ねたのは、瑞其の兄のことであったはずなのに。

『優秀な兄貴と比べられて、拗ねてる弟ってところじゃないの? よくある話ねえ』

「兄さまと、比べられて・・・?」

 うーん、と星彩は唸って、しばらく黙って考え込んだ。

 獣たちはその間邪魔をしない。ごろごろと寝台の上を転がって、お互い本気にならない程度にじゃれ合って遊んでいる。

「星彩」

 かたり、と戸口から音がして、宗麟が顔を覗かせた。

「具合はどうだ?」

 事情はもう聞いているのだろう。寝台の空いている所に腰かけて、星彩の顔色を窺う。

「うんっ、平気だよ。瑞其さまは大丈夫だった?」

「ついさっき目が覚めたと、瑪岱から報告があった。ただ酔っ払っただけだ、なんともないだろ」

「よかった。―――あの、ごめんね? わたし、また失敗しちゃって」

「気にするな。星彩は悪くない」

 案の定、宗麟は笑って頭をなでてくれる。その優しさに笑みを返してから、星彩はおもむろに尋ねた。

「ねえ、宗麟。亜の太子がどんな人か知ってる?」

「亜の太子?」

 藪から棒であったが、宗麟は一、二度瞬いただけですぐに答えた。

「噂じゃかなり優秀な人物らしい。まだ二十にもなってないそうだが、治水事業で手腕を発揮してるとかなんとか。武芸の方もなかなか達者らしいな」

「やっぱりすごい人なんだ」

「まあ、噂だけどな。それがどうした?」

「今日、瑞其さまに色々お話を聞いたんだけど・・・」

 さっき獣たちと話していたことを宗麟にもかいつまんで話した。そして沈黙していた間に、自分なりに感じたことも説明する。

「わたし、ちょっとわかる気がするの」

 とても立派だという兄の話をしつつ、自分を引き合いに出して劣る部分を語った瑞其。酔っていたから正気ではなかったにしても、苦しげなあの表情は、真実であったと思う。

「姉さまたちと比べて、なんで自分はこんなに何もできないんだろうって、わたしも思ってたから。姉さまたちは箏も弾けるし、詩も作れるし、難しい書物だって読める。美人で、礼儀をわきまえてて、公女の役割を立派に果たしてるのに、わたしはみすぼらしい格好で遊んでばかりいて、情けないなあって。もしかしたら、瑞其さまも同じような気持ちなのかも」

 立派なものと、みじめな自分とを比べて、卑下して、落ち込んでいる。星彩にはそんなふうに見えた。

「星彩はそれを何とかしてやりたいのか?」

「――うん。だからね、宗麟。もし、よかったらなんだけど、もっと、わたしにまかせてもらえないかな? どこに案内するとか、何をするとかもぜんぶ。・・・うまくいくかはわからないけど、このまま放っておきたくないの」

 期待半分、不安半分、駄目で元々お願いしてみた。

 宗麟は笑みを漏らして、小さな頭をなでた。

「俺は最初から言ってるぞ。今回は全部、星彩に任せるって」

 ぱあっと、見るからに星彩の表情が明るくなった。

「ありがとう宗麟! わたし、瑞其さまにいっぱい楽しんでもらえるようにがんばるよ!」

「ただし、危ないことはするなよ?」

「心配しないで! 屋根にも登らないし、勝手に城外に出たりもしないから!」

 浮足立つ星彩の頭には、すでに明日の素敵な計画が思いついていた。



 *



 翌朝、星彩は早起きするといつもの格好に着替えてしまう。

「じゃあ、楊佳が来たらよろしくね」

『はーい』

 寝台の蘭蘭に耳打ちして、天祥を肩に乗せてこっそり後宮を出た。

 朝も早いこの時間。向かう先は、西の離宮。兵の守る入口を避け、裏手に回り込む。

「ここらへん、かな?」

 大体の間取りを思い浮かべつつ、背伸びをして格子の隙間を覗いた。すると、すやすやと寝息を立てている瑞其が見えた。

「瑞其さま!」

 呼びかけに、相手は案外早く気付いた。一声で「ん・・」と薄く目を開き、もう一声かければ、格子の隙間から覗く人影に驚き飛び起きた。

「しーっ! 静かに! わたしです! 星彩です!」

「え・・・あ?」

 おそるおそる、寝台を降りて瑞其は格子に寄る。

「星・・・彩、どの?」

「はいっ」

 町人の如きみすぼらしい着物に、がたがたの三つ編み。あまりの様相の変化に、寝ぼけた頭はすぐに付いて来れなかったようだ。

「え? 本物?」

「本物ですっ」

「・・・えっと、どうして?」

「瑞其さまをお迎えに来たんです! 見つからないうちに早く着替えてください! なるべく動きやすい格好の方がいいです!」

「・・・いや、あの」

「早く!」

「・・・」

 なおも急かされ、瑞其は戸惑いつつも寝間着の帯に手を掛けた。

 しばらく壁に寄りかかって待っていると、やがて「できました・・・」との声が降る。

「じゃあ、行きましょう! 天祥よろしく!」

『おまかせ!』

 天祥の白い角が光る。

 途端に小さな雷が横に二閃走り、金属の格子の上下がぱっくり切れた。

「!?!?!?」

「よいしょっと」

 格子の一本を掴めば、簡単に外れる。三本ある棒をすべて取り去ってしまうと、人一人が十分通れるくらいの穴ができた。

「さあ、行きましょう!」

「・・・あ、あの」

「早く!」

 無理矢理外に連れ出した後は、格子を元のところに倒れないようはめて、また天祥が雷を発生させる。うまい具合に溶接し、元の通りとまではいかないが、きちんとくっつけた。これで、ここを切り取って逃げたとは誰も思わないだろう。

「こっちですっ。みんなには内緒なので、静かに、ですよ?」

「・・・」

 もはや瑞其は言葉もなく、星彩に袖を引かれるまま付いていった。

 人の少ない城内を駆け抜け、着いた先は厩。

 早朝から騎馬の訓練をしている新兵たちと、調教を行っている馬番たちで、柵の中は一杯だった。

「おはよう白龍! 烏淵!」

 柵に近づき、眩しいほどに白い馬と、それに乗っている青年に挨拶をした。

『おはようございます星彩っ』

「おはようございます。お早いお目覚めですね」

 星彩の前で止まって、烏淵が白龍から降りて礼を取る。

「今朝も白龍にお乗りになりますか?」

「うん! 今日はね、瑞其さまを乗せてあげてほしいの!」

「そちらの方、ですか?」

 見慣れない顔に、烏淵は不思議そうにしていたものの、こちらにもきちんと礼を取った。瑞其は一応、身軽な格好ではあるものの、着物はそこらの者が着ているのとは違い、立派な装飾がなされているから、一目で高貴な人物であることはわかるのだ。

「この人は、亜の公子の瑞其さま! 瑞其さま、こっちは馬番の烏淵と、白龍です!」

「えっ、公子さまだったんですか? これはこれは、汚い格好で失礼をいたしましたっ」

 烏淵は慌ててぱっぱと着物の泥を払うが、大して変わっていない。瑞其はそんな馬番の様子には気付かず、物珍しそうに辺りを見回していた。

「あの、星彩どの。ここで何をなさるのですか?」

「もちろん、馬に乗せてもらうんですっ」

「・・・え?」

 ぽかん、と瑞其は口を開けた。

「な、なぜです? そもそも私は馬には・・」

 言いかけ、やめた。まるで苦虫を噛み潰しているかのように表情を歪めている。

「・・・酔った勢いとはいえ、昨日申し上げたことはすべて真実です。兄上と違って、私は馬には乗れません」

「はいっ。だから烏淵に教えてもらいましょう!」

「へ?」

「烏淵、瑞其さまに乗り方を教えてあげてもらえない? 白龍も、いい?」

「俺は構いませんが」

『僕もいいですよ。星彩の客人は、僕の客人でもありますから』

「やった! ありがと!」

 早速、瑞其を引っ張り柵の中へと入る。

「せ、星彩どの! だから私は馬には乗れないと・・」

「白龍なら平気ですっ。わたしだって乗れたんですよ?」

「は? 星彩どのも、馬にお乗りになられるのですか?」

「はい、歩くだけなら乗ってられます。走るときは、宗麟と一緒に乗ります。―――ほら、乗ってみてくださいっ。大丈夫、落ちませんから!」

「い、いや、わ、私は・・・」

「公子さま、失礼をいたしますよっ」

 白龍の横でぐだぐだ言い合う二人を見かねて、烏淵がさっと瑞其を抱え上げた。

「うわっ!? き、きさま何をっ!?」

「足をお開きください」

 馬番のたくましい腕は、年の割に小柄な瑞其を軽々と白龍の上に乗せてしまった。

「お、おいっ!」

「見晴らしがいいでしょう? 男が怖がってちゃあいけませんよ」

「っ!」

「背を丸めないで、しゃんと伸ばしてください。その方が安定しますから」

「ぶ、無礼者めっ! なぜお前などに指図されねばならない! さ、さっさと降ろせ!」

 全身強張ったまま、瑞其はひどく狼狽して叫んでいるが、烏淵は降ろそうとはしない。

「公子さまともなれば、馬に乗れた方がいいでしょう? 我らの姫君のお頼み事でもありますし、きちんとお教えいたしますよ」

「瑞其さま、わたしも側に付いてますから、がんばりましょう? 大丈夫! お兄さまにできることは、瑞其さまにだってできます!」

「えっ・・・」

 瑞其は驚いたように目を丸くした。まるで、聞いたこともない言葉を耳にしたかのように。

「では、まずは常歩から慣らしましょう。手綱は緩んだままでいいですから、腹を優しく押してやってください。それが出発の合図です」

「・・・あ、ああ」

 言われるがまま、瑞其は白龍を発進させた。柵に沿ってゆっくりと歩いて行くその横を、星彩と烏淵も付いて歩く。

「馬の動きに合わせて、腰を前に前に動かしてあげてください。うまく合わせられれば、馬の負担も少なくなります」

「う、うむ」

『速度はこのくらいで良さそうですか? 遅ければ、軽く合図してもらえればもう少し速く歩きますよ。速いときは軽く手綱を引いてください。力一杯は嫌です』

 白龍の言葉は星彩から、それとなく瑞其に伝える。

 ゆっくりと、柵を右回り左回りに二周ずつ歩いたら、瑞其の緊張もいくらかほぐれた。

 慣れてきたところで、今度は少し早歩き。それも慣れたら、軽く走り出す。歩きまではかなり順調であったのだが、走りに移ると、途端に瑞其は体勢を崩すようになった。馬が走ると人は反動で跳ねあげられるので、下手をすると鞍から体が完全に浮いてしまう。落ちやすくなるのだ。

「あっ」

 と思ったときには、瑞其は地面に転がり落ちていた。

「瑞其さま!」

 慌てて駆け寄り、助け起こす。幸い頭は打っていなかったようだが、背中を痛そうに押さえている。

「お、落ちたではないか」

 恨みがましい視線を向ける瑞其に、烏淵は苦笑を返した。

「俺は落ちないとは申し上げておりません。馬に乗った最初は、誰もが一度は落ちるものです」

「兄上は落馬をしたことなどないぞ」

「お兄君は乗馬の達者な方なのですか?」

「ああ。兄上にできないことなどない」

「では、公子さまのご覧になっておられないところで、たくさん落馬なさったのでしょう」

「なに?」

「落馬をしないうちは真の上達はないと、馬乗りたちの間では昔から言われております。たくさん乗っていれば必ずいつかは落ちましょう? 落ちることで、まずい乗り方を自覚し、馬の気持ちもわかるようになります。たくさんたくさん落ちたその後は、どんな馬からも絶対に落ちない馬乗りとなれましょう」

「・・・兄上が、そんなに何度も落馬したとは思えんが」

 むすっとして瑞其は着物の土を払い、立ち上がる。

 そこへ、

「うぎゃあっ!」

 隣の柵から兵士が一人、もの凄い勢いで空を飛んできて、毬のように地面を転がった。

「皓大!?」

 星彩はこちらにも慌てて駆け寄り助け起こす。

「皓大! 皓大! 生きてる!?」

「う、うう・・・ほんと、もう馬なんか嫌いだ・・・」

 柵の向こうでは、皓大を振り落とした鹿毛が暴走している。馬に慣れていない新兵たちばかりの中、隣は混乱を極めていた。

「・・・とりあえず落ちれば上達するってわけでも、ないんですけどね」

 ぼろぼろの皓大を見下ろして、烏淵が呟いた。

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